第68話 軍長
1546年(天文15年)7月下旬 越中国 馬場信春
「畠山が動くか。先代の義総殿は名君として讃えられた方であったが、その息子はとんだ阿呆であったか。」
某の上司である、越中・飛騨軍長・柿崎景家殿が
『能登畠山家当主・畠山義続、能登、加賀の国人衆に動員令発令、畠山家居城・七尾城下に、現在続々と集結しております。その数凡そ1万5千!間もなく、この越中に侵攻する見込みで御座います。』
との、情報局の忍びからの報告を聞き、呆れた様子で呟いている。
その、意見には某も同意するしかない。
某が長尾家に仕えてから、未だ1年に満たないが、新たに仕える事となった長尾家の他家を圧倒する軍事力、そしてその軍事力を支える他家が足元にも及ばぬ程の、絶大なる経済力を、身に染みる程に理解させられた。
経済力、等と云う観念自体が武田家に仕えて居た頃には考えもしなかった事だったが、商いや産業を奨励し人を集め、国を富ませ、其処から得た富にて軍を興す。
今となれば当たり前とも思える事で有るが、以前は如何にして、強兵を集め戦に勝利し領地を広げるか、そんな事しか考えていなかった。
思えば、愚かな事よな⋯そんな考えの武田家が、長尾に膝を屈したのは必然といえる。
そして、その強大な長尾家に、今自ら戦を仕掛けてくる愚か者が現れた。
「愚かな事ですな。殿が上洛の最中、手薄と考えたのでしょうが、此度の上洛の主力は越後の部隊、この越中からは、ほとんど兵は出しておりませぬ。殿の御慧眼は流石で御座いますな。越中が護りは、万全と言ってよろしいかと。」
畠山家との国境である田近、荒山峠には堅固な砦が築かれておるし、既に越中・飛騨にて予備役の召集も済んでいる。
現在、越中との国境に迫る畠山家の軍勢1万5千に対し、此方は正規兵含め2万5千の兵が越中を護っている。
それは、畠山家への侵攻に対応するのに、充分な兵力といえる。
「うむ。殿に付き従っておれば、間違いは先ずなかろうよ。にしても、高々1万5千の兵で、この俺が護る越中を落とせると思うなど、随分と舐められたものよな。その思い上がり、必ずや後悔させてやろうではないか。馬場殿、越後水軍との繋ぎは?」
「越後水軍・副軍長、鬼頭吉成殿は何時でも出撃は可能との事で有ります。」
「ふふふ。奴等も阿呆な事よな。越中に攻め掛かれば、空家同然の居城を攻められる。そんな事も判らんのか。」
「そうですな。我等は砦に籠もり敵勢を引き付けられれば良いのです。随分と、楽な戦となりましょう。」
そう、長尾家を敵に廻すと云う事は、日ノ本最強を謳われる越後水軍をも敵に廻すと云う事だ。
現在富山湾には鬼頭殿率いる越後水軍5千が準備万端整えて待ち構えている。三方を海に接する能登で、我等と戦いながら長大な海岸線を防衛する事など不可能であろうな。
「せっかく、向こうから攻め寄せて来てくれるのだ。これは能登、加賀を手に入れる絶好の機会じゃ。馬場殿、手柄を上げられるが良いぞ。」
「承知しております。我等で必ずや能登、加賀の畠山領平定を成し遂げましょうぞ!」
出自に囚われ無い長尾家は、仕え易き家よ。仕えて半年も経たない某を越中の副軍長にまで抜擢して頂いた殿の、その御恩に少しでも報いる。
その為に、この戦で某も大いに暴れてやろうではないか!
畠山の馬鹿息子が、長尾家を敵に廻した事、後悔するが良いぞ。
1546年(天文15年)7月下旬 武蔵国
江戸城 北条綱成
「漸く関東も落ち着いてきたと思っておりましたが、また荒れそうですな。」
現在俺は、副軍長である多目元忠と共に、関東方面の諜報責任者である。風魔小太郎からの報告を受けている最中である。
「そうなるでしょうな。安房の里見、常陸の佐竹、小田、下総の結城、下野の宇都宮、那須等、反長尾で手を組んだ様ですな。」
「思ったよりも、大規模な勢力と成ったな、質は兎も角としても、数はそれなりに揃いそうだ。」
「不可解なるは、それだけの諸侯が遠く京に居られる公方様の命だけで、長尾家と敵対する道を選んだのか?と云う所ですかな。」
「ほう。公方様以外にも、此度の戦に暗躍しておる者が居ると?小太郎、心当たりはあるか?」
「今川の手の者の動きが、此処関東にて活発になっておる様です。」
「ほう。また、あの糞坊主か⋯」
太原雪斎、先年北条が滅亡の危機を迎える事となった元凶である。
懲りずに、また関東へちょっかいを掛けているらしい
「今川は未だ、天下への夢を捨て切れぬ様で御座いますな。」
「ふん。その分不相応な夢、此度で叩き潰してやるとしようか。兵に臨戦態勢をとらせ、予備役を招集しろ!戦だ!」
さあ、命を救われた御恩を、殿にお返しする時ぞ!
1546年(天文15年)8月上旬 上野国
長野業正
「つまらぬな。」
「つまりませぬな。」
儂と、儂の上司となる上野軍長、武田信虎殿が、敵陣を見て意図せずに同じ考えに至った様である。
現在我等上野軍は、下野との国境を流れる渡良瀬川を挟み、宇都宮・那須・結城を中心とする、下野・下総の国人連合軍と睨み合っている最中である。
連合軍はその数こそ、2万を少し越える大軍で我等と互角ではあるが、その兵の質、装備、士気、そして将の質、戦の勝利に必要な全てが、我等に遥かに及ばない上に、所詮は有象無象の集まりよ。それにのう⋯
「越中の柿崎殿の相手は名門能登畠山家、武蔵の綱成殿は名門佐竹に安房の驍将・里見義堯、甲斐の内藤殿や相模の鈴木殿はどうやら、今川との大戦に成りそうだと云う。羨ましのう。」
「そうで御座るな。対して我等が相手は…他と等に比べると幾分小物臭く感じますな。」
「然り然り、唯の烏合の衆よ。これでは目立てぬでは無いか!此処は、早々に蹴散らして、武蔵か相模勢の援軍に向かうべきじゃな。」
流石、信虎殿よ。よく判っておるわ!
戦とは敵にもある程度は手応え無ければ、つまらぬものよ。
「ふふふ。それでは、先ずは眼の前の連中から叩き潰すと致しましょうか。」
お主達、少しは気張って、儂を楽しませてくれよ。
1546年(天文15年)8月上旬 伊豆韮山城 鈴木重家
「チッ。やはり我等単独では、ちと厳しいか。」
「仕方有りませぬ。我等、相模軍は総勢1万7千、この伊豆にて敵勢に当たれるのは1万2千が限度、迫る今川勢は2万を越えるとの事、此処は素直に甲斐軍・信濃軍と連携して今川に対処すべきかと。」
俺の呟きに答えたのは、俺の相棒である、相模軍副軍長・武田信繁、名門甲斐武田家の次男坊である。少し真面目過ぎるのが玉に瑕であるが、良く気が利き機転も利く、良く出来た若者である。
そんな事は、俺だって判ってんだよ。
駿河の今川が、兵を集めている!との報告を情報局から受け取り、警戒していた所に、今川が不戦の盟約を破り長尾家に宣戦布告をし、この伊豆へ侵攻を開始した。そんな報告が届いたのは3日前の事だ。俺は急ぎ相模の兵を取り纏め急行し、伊豆の韮山城に入った。
此方に侵攻する今川勢の総数は2万、今川もかなり無理をしているのだろう。
本国である駿河、遠江の防衛を鑑みれば、その数は想定よりも多い。
籠城となれば、なんとでもなろうが俺の殿様は、民の犠牲をとことん嫌うからな。
その辺の事まで考えると、やはり甲斐や信濃の連中と連携して潰すしかないわな。
甲斐や信濃からも多少は上洛に兵を出しているが、まだまだ余裕がある。
甲斐は2万、信濃からは3万は出せる。
せめて、相模水軍が使えれば、やり様はあったろうが、水軍は現在里見水軍への対応で忙しく動かせん。
致し方無い、此処は信繁が云う様に、甲斐や信濃の連中と連携して事に当たるしか無いな。
殿様には、野盗と殆んど変わらなかった俺を、この相模の軍長にまで引き上げて貰った大きな恩も義理も有る。お陰で、嫁や子供達には何不自由無い暮らしをさせてやれている。
これが、軍長となって初の大仕事よ。
しくじりは許されん、精々気張るとしようかね。
それにしても、今川の太原雪斎って云う奴は随分と頭のキレる男と聞いていたが、よくうちとの戦を決断したもんだな。
いくら、殿様が上洛して留守とはいえ、相模に俺、甲斐に工藤、信濃に古賀の兄貴まで控えていんだ。いくら偉いさんの指示とはいえ、俺なら手は出さんがな。
なんか策でも有るのか?
それとも、唯の馬鹿なのか?
まあ、潰してから殿様にでも聞いてみるか。




