第67話 逃亡
1546年(天文15年)7月下旬 山城国 山城国 北花山
「おお、晴元勢に動きが有りますな⋯どうやら阿波三好家が撤退を始めた様ですな。それと⋯あの旗印は、三好政長の軍勢でしょうかな、何やら慌てて陣を引き払っている様です。殿の策、嵌りましたな。見事で御座いまする。」
我軍と対峙していた敵勢に動きがあったのは、敵勢が陣を張ってから間もなくの事だ。晴元方の主力で有る三好長慶、三好政長の軍勢ばかりでは無く、氏綱方の主力で有る畠山政国の軍勢迄、陣を退く動きを見せている。
「婿殿⋯⋯まっことに、やる事が厭らしいのう。」
「ほんに、何やら敵勢が哀れになって参りました。儂は、戦狂いの自覚は有り申すが、殿との戦だけは勘弁して貰いたいものですな。」
「大殿、この純朴な少年に何を申される。宗滴、俺もお前と戦場で出会うなぞ勘弁してもらいたわ。」
勘助には褒められたが、ジジイ共にはエライこと引かれた。
大方、大戦を期待していた所、あっさりと敵勢が退き始めているのが、気に食わないんだろうな。
そんなもん知らん。人死にが少ない方が良いに、決まっているだろうが。
まったく、困ったジジイ共である。
此度は、流石に3万で15万近い軍勢を相手取るのはしんどいわ。
そう、考えて全力で小細工をさせて貰った。
此度の敵勢の中で、最も数が多く厄介なのは何処か?
それは、5万もの門徒を動員した本願寺だが、最も脆く隙が大きなのも本願寺門徒達だと、俺は考えている。
奴等を正確には軍隊とは呼べない、戦の素人である坊主が率いる、ただの武装した農民の集まりだ。
本願寺自体が、軍事組織として俺から見ると、その統制、命令伝達、組織、人材、育成その全てに置いて、未熟なのだ。
俺から見れば、素人の戦ゴッコの枠を出ない組織に過ぎない。
此度は、其処に大いに付け込ませて貰った訳だ。
俺が、加賀で一向宗の門徒を殲滅して既に6年が時が過ぎている。
その間、俺が仮想敵である本願寺を放置して置く理由は無い。越中、加賀にて捕虜とした門徒で、棄教しうちに協力的な者を既に、6年前にはかなりの人数を間者として本願寺に潜り込ませてあった。
この6年の間に間者はその協力者を増やし、中には教団の幹部クラスにまで上り詰め、大きな発言力を得た者も居る程だ。
此度は、その間者達と、畿内にて活動している2千を越える諜報局の忍びが、この混乱を演出した。
本願寺の命令系統の脆弱さを付いた形となる。元々本願寺門徒達は大きな信念を持たず、唯法主の命令を是とするだけの、駒でしか無いのだ。
以前の畿内での戦乱でも、本願寺は動員した門徒の暴走を止める事が出来ず、幕府から謀反人認定されている程だ。それ程に、この一向宗の組織と云うのは問題を抱えている。
一度命令が下されたなら、この集団は止められない。
上位の坊官を消すなり、偽の命令を伝える事により、集まった門徒衆の内半数程が、上層部の制御不可能な状態に陥り友軍である筈の、三好長慶の居城・越水城、三好政長が居城・飯盛山城等に攻め掛かる事となったのだ。
空城に等しい後方を、突如味方と思っていた一向宗門徒に襲われたのだ。その報告を聞いた敵勢は今頃、大混乱であろうな。
もちろん。其処に追い打ちを掛ける様に、情報局の面々には
『本願寺が、長尾家と手を結び我等を裏切った!現に味方の城が襲われておるぞ!』
『細川晴元が長尾家と手を結び、公方様を弑するお積もりの様だ!現に敵陣を前に動く気配はあるまい!』
『氏綱が我等を裏切り長尾家と手を結んだ!我等が城を攻める中に氏綱勢の旗印を見たぞ!』
こんな感じの噂を敵陣にばら撒いて貰っている。
この時代、畿内の戦では多くの日雇いの傭兵が参加している。その傭兵の中には家に銭で雇われ敵陣に潜入する者も多く居る。
その噂が敵陣に浸透するのに時間は掛から無いだろうな。
既に、敵勢は誰が味方で敵かも判らなくなっている状況だ。うちと戦どころか、何時同士討ちが始まってもおかしくないな。
前にも言った気がするが⋯
お前等、もう少し防諜対策、しっかりした方がいいぞ。
「旦那様⋯どうやら敵勢が同士討ちを始めた様ですが、どう致します?」
遂に、敵勢が同士討ちまで始めた様だ…
元々、こいつらは仇敵といって良い間柄だからな、一時的に手を結んだとはいえど、信頼など皆無だ。少し煽ってやればこうなる。
敵勢は、その半数程が既に陣を離れており、その残る半数も撤退の準備中、各所にて争いが起きている。
今や敵勢の混乱は、その極致に達している。
諜報局の連中は、実に良い仕事をしてくれた。その効果、そのタイミング見事なものだ。
そんな時、同士討ちする敵勢から、狙いが大きく逸れた矢が、此方に向かって飛来するのが目に入った。しかし、その矢に勢いは無く、陣の遥か手前の地面に落ちた。
勿論、此方に何の被害も齎していないのだが⋯
「ほう。宗滴殿よ、あれは我軍に対する明確なる敵対行為ではないかの?」
「然り、これは、官軍で有る、我軍に対する明確な攻撃で御座るな。」
そんな事を話ながら、ジジイ2人が此方を、期待に満ちた瞳で見詰めてくる。
おい⋯そりゃちょっと無理筋じゃないか?
と、思わなくも無いが⋯まあ、いいか。
理由は後で、如何とでもこじつければ良いだろ。
此処は早目にケリを付けたい。
「帝の居られる、我が陣への敵勢からの攻撃を確認した。此れより賊軍への反撃を開始する!敵は公方に細川管領家、この京に蔓延る害毒よ。殲滅しろ!出陣じゃ!」
「クククッ。磨り潰す!」
「大将首は、この宗滴が頂きまする!」
「そろそろ、頃合いでありましょう。」(勘助)
「残る敵勢を殲滅するは、容易き事かと。」(氏康)
「急がねば、我の取り分が残っておらぬやもしれぬな。」(晴信)
「旦那様、私も出ます!」
ヤル気に溢れた、越後五軍長が次々と出陣していく。
敵勢は混乱の最中、マトモな陣形を組む事すら叶わ無いだろう。
あんま、やり過ぎ無い様に頼むぞ。
この戦は、まだ前哨戦だ。
大物が、まだ残ってるからな。
京 足利勢本陣 足利 義晴
「三好長慶殿、三好政長殿につづき、伊丹親興殿、三宅国村殿が陣を離れました!」
「摂津・高槻城一向宗門徒により包囲されたとの事、至急の援軍を求めて来ております!」
「我軍の傭兵と、氏綱方の丹波勢が諍いを起こしております!怪我人多数!」
おのれ、本願寺の糞坊主が!
調子に乗って上洛した小僧を、圧倒的兵力にて囲んで殲滅する。多くの諸将がこの計画に参加し、計画は順調であったのだ。
それが⋯今や我軍は戦も始まらぬうちに大混乱に陥っている。
それもこれも、あの糞坊主が背後から我等の城に襲い掛かってきたからじゃ。
おのれ、長尾に銭でも貰ったか、国を貰ったかは知らんが我を謀った事、必ずや後悔させてやろうぞ!
然し、先ずはこの混乱を鎮めねば⋯
「大樹様!北花の敵勢、此方に向けて打って出参りました!その勢いは凄まじく、この本陣にまで迫る勢い!」
おのれ⋯そういえば、晴元の奴はどうした?さては、奴め臆して逃げ出しおったな!揃いも揃って、不甲斐ない役立たずな者共よ!
こうなれば、儂自ら出陣し敵勢を蹴散らしてくれようぞ。我も武門の頭領よ。田舎武士如きが、舐めるでないわ!
征夷大将軍が武威を、田舎者共に見せ付けてやるわ!
「儂が出る!越後の田舎者等儂の敵では無いわ!者共、続け!」
側近達が、必死に止めるのも聞かず、愛馬に跨った儂は前線に向かった。
今思えば、その側近達の忠告を素直に聞くべきであったのだ。
聞いておれば、あの様な恐ろしい目に遭わずに済んだものを⋯
敵勢は、既に本陣の直ぐ手前にまで迫ってきておった。
儂が、駆け付けた戦場で行われていたのは
「なんじゃ⋯あの化物は⋯」
敵勢による一方的な、蹂躙であった⋯
特にヤバいのが、二人の騎馬武者である。片手で身の丈程の大太刀を、振り回しながら戦場を駆け廻る武者と朱色の十文字槍を振りかざし大暴れしている男、その男達の廻りでは我兵の血が舞い、絶叫が沸き起こる。
悪鬼羅刹の類であろうか⋯とても、同じ人とは思えない。
冷や汗が止まらず、手足が震える。
先程迄の、高揚感、理由無き自信なぞはとっくに、何処か遠くへ飛んでいった。
思わず、唾を飲み込む。その音すら、やけに大きく聞こえる。
頼むから、此方に気が付きません様に⋯
そう願いながら、そっと馬首を返そうとした所に、最悪な事に二匹の悪鬼達と目が合った⋯合ってしまった!
二匹が【ニヤリ】と儂を見て嗤ったのが判った⋯
「ひぃいい」
思わず、情けない声げ出てしまうが、気にしている余裕など、ある訳がない
嗤うと同時に、悪鬼共が猛然と此方に向かって来ているのだ
その迫力は、伝え聞く死神どころの騒ぎでは無い
(無理無理無理無理無理無理〜!あんなの、無理〜!!!)
儂は全てを捨て、戦場から逃亡した。




