第65話 ツケ
1546年(天文15年)7月下旬 山城国 北花山
「クッククク。周りは敵だらけ、面白いではないか!」
「手柄首が、向こうからやって来ると云うのじゃ。有り難い事よ。」
「父上!笑い事では有りませぬ。」
「やはり、公方様方の動きが不自然ですな。」
「此処までは、凡そ殿の予想通りとなりましたな。流石に御座います。」
「しかし、敵勢の士気はそれ程高そうでは有りませぬな。今晩にでも夜襲を仕掛ければ、我等が大勝となりましょう。」
我軍が、この京の東部にあたる北花山に陣を張り今日で五日目となる。
様々な情報が齎されたので、現在は5人の軍長と勘助を集め情報の共有を兼ねた評定の最中である。
現在の状況は、京では3つの勢力が睨み合っている形となっている。
その、一つは此度の上洛における殲滅目標、賊軍とされる細川氏綱の軍勢、河内の畠山正国、丹波の内藤国貞等の丹波勢と合流したその軍勢約3万、氏綱の軍勢は、京の西部、桂川の西で陣を張っている。
そして、本来ならば公方方となり友軍となる筈の三好長慶、三好政長を中核とする、細川晴元率いる2万7千の軍勢は、京南部の宇治にて陣を構えている。
現状、京周辺に長尾、氏綱、晴元の3勢力が京を挟んで睨み合っている状況だ。
本来であれば、長尾軍と公方方の晴元軍が協力して、賊軍で有る氏綱軍を数で圧倒して殲滅してしまえば、それで終わりの話である筈なのだが…
そもそもが、この上洛の名目自体が茶番でしか無い。
賊軍とされる氏綱と公方が裏で繋がっている事は、情報局の調べで既に判明している。
俺達は敵となる氏綱軍に加えて、友軍である筈の晴元の軍勢までも相手にしなければいけない状況となる。両軍合わせれば我が軍の倍近い大軍である。
これだけでも、充分混沌とした状況なのだが、情報局からの情報によると
『近江・六角、領内の国人衆に動員を発令現在、居城観音寺城に続々とその軍勢が集まっております。その数3万5千!』
「本願寺門主証如、摂津・河内・和泉の門徒に大号令、当家を仏敵と認定し打倒を叫んでおります!集まった門徒は5万を越える勢いです!」
『若狭・武田、及び丹後・一色、合流し共に京に向け進軍しております!その数8千!』
こんな情報が、俺の元には次々と齎されている。
これらの軍勢の動きは、どう考えても打倒長尾の動きだろうな。
となると、我軍3万は15万を越える大軍に包囲されつつ有ると、云う事だ。
現在、この京は我軍にとっては、完全な死地となりつつある。
やはり、この畿内では衰えたとはいえ、未だ将軍の權威は健在だな。
脅威となる強敵が現れたなら、将軍が音頭を取って、普段は相争っている周辺大名が一致団結して、その強敵を潰す。
このやり口は、室町幕府の伝統の様なものだ。
此度兵を出す大名達にとっても、長尾家は余程目障り且つ脅威として映っていたのだろう。
何より、長尾家の治める領国は他国に比べ豊かだ、家を滅ぼすなり弱体化させるなりすれば、その領国が自分達の物となる。欲深い者達には、今当家は、随分と美味そうな餌に見えているのだろう。
「それにしても、晴元勢の動きも随分とあからさまよの。」(宗滴)
「ふん。我等と氏綱勢がぶつかれば、我等の背後を突ける位置じゃな、小賢しい。」(大殿)
「されど、我等がこの堅陣に籠っておれば敵勢も迂闊には動けませぬ。」(氏康)
「左様ですな。殿には暫くは此処で病に掛かって貰っていた方が、良さそうですな。
」(勘助)
「しかし、何時までも此処に籠る訳にもいきませぬが。」(晴信)
「現状は、概ね当初の想定内です。焦る必要はありません。」(千代)
千代の言うように、俺が京に入ったならば、周辺の諸勢力が動きだし、周りは敵だらけになる。
そんな事態は、既に想定済みの事である。
ならば、何故こんな敵地に越後から遥々軍勢を率い、やって来たのか?
そもそもにして、此度の上洛。俺の目的は、敵勢の殲滅では無い。
今回の上洛で俺が率いる兵は3万、この兵力では畿内の制圧は難しい。
俺は、長尾家が畿内を継続的に統治するには、少なくとも近江、美濃の領有が必要不可欠だと、考えている。
やはり陸路からの継続的な、補給支援無くば、現状では一時的なら兎も角として、長期の畿内統治は難しいと考えている。
「それで婿殿よ。朝廷への工作、上手くいきそうなのか?」
「十中八九は、上手く運ぶと思っています。」
そう、俺がわざわざ、京迄やってきたのは
朝廷への工作、その総仕上げの為だ。
俺は糸魚川時代から、朝廷に対して多額の献金、様々な物産の献上を行って来ている。これでも、帝や公家からは、今時珍しい勤皇の家と、何かと頼りにされているのだ。
現在、越後には戦乱を逃れ多くの公家が、長尾家の保護を求めて京から越後へ下向している。以前からそれらの公家を通じて、禅棟に朝廷への工作を行なわせていた。
あの、腹黒坊主なら狡猾な公家共にも臆する事無く、上手くこの交渉に当たってくれる。そう、考えての抜擢であったのだが、禅棟は俺の期待に見事に応えてくれた。
此度の上洛も、幾つかの目標が有るが、禅棟の工作が大詰めを迎え、その最後の後押しとしての意味合いも大きい。
さて、禅棟が御所に赴き2日目となる。
そろそろ、その結果が出ても良い頃合いだが⋯と考えていたら、まるで狙っていたかの様なタイミングで、使番に連れられた禅棟が陣幕内に入ってきた。
相変わらず、太々しい顔をした腹黒坊主である。その腹黒坊主が、得意満面の笑顔で告げたのは
「殿!この禅棟、見事殿より仰せつかりました大役を果たしましたぞ!現帝であらせられる、今上帝(後奈良天皇)の越後へ行幸、帝御自身が御承諾されましたぞ!」
「「「「「おおおぉ!」」」」」
禅棟のその報告に、陣幕内に居た者達がざわめいた。
それはそうだ、この時代では帝が京の都の外に出る事は稀である。それどころか殆どの帝は御所から出る事すら無く、その在位を終えられる。
その帝が、遠く越後までも行幸されると云うのだ。
此度の俺が率いる軍勢は、その帝に対する近衛兵的な意味合いで連れてきた。
俺の官職である左近衛権中将は、今では儀礼的な役職に過ぎないが、元々は御所や帝の警護任務を主とする役職だ。
丁度良いよな。
越後への行幸、それに多くの公家の支持も取り付けたが、残すは帝の決断だけであったのだ。
よく、決断して頂けた。
当初は難色を示しておられた帝も、越後から齎さらる物産や書籍に心奪われた様だ。特に先日発表されたばかりの、日ノ本の風景を伝える【日ノ本紀行】に心打たれたらしい。
あの引き篭もり画伯が、長尾領内の名所を訪れ、その風景を丁寧に描き上げた力作である。
俺が見ても、まるで現実の風景と見える様な素晴らしい出来だった。
あの引き篭もりが、随分と成長したものだ。
帝は、人生の殆どを御所で過ごされてきた方だ。京から出た事すらなく、俺から見ればとても狭い世界で生きてこられた。
【日ノ本紀行】に描かれた美しい日ノ本の風景を見られて、それが外の世界に興味を持つきっかけとなったのでは、と推測している。
そして、長尾家の上洛は幕府だけでは無く朝廷からの要請でもあったのだ。
最も、その要請を出すよう工作したのは俺だがな。
帝には、此度の上洛顛末、幕府の卑劣な裏切りを包み隠す事無く全て、帝に上奏させて貰った。
この話を聞き、帝は随分お怒りになられたそうだ。
そして、遂に帝も決心なされた。
帝の越後への行幸、それの意味する所は途轍も無く大きい。
足利幕府は、その權威の源泉に等しい朝廷の後ろ盾を失い、その権威は地に落ちるだろう。
そしてその逆に、新たに朝廷の保護者となる長尾家の権威は飛躍的に上がる。
朝廷を説得すれば、幕府を朝敵として討伐する事も可能となるし、将軍職を罷免する事も可能となる。
幕府としては、とんでも無い事となるのだ。
それ程、朝廷の後ろ盾は幕府にとって重要な意味を持つはずのものだが、朝廷に対する幕府の扱いは酷いものだった。
現在、帝や公家達の置かれている状況は厳しい。収入源たる荘園の殆どを各地の武家に奪われ、その困窮は酷い。現帝は資金難の為に、即位式をあげる事が叶わず、正式に即位したのは先代が崩御されてから、十年も経ってからの事だ。
そもそも、金が無いから結婚式すら出来ない、その為生まれてきた皇女も殆どが尼寺行きとなる悲惨な状況である。
朝廷の困窮、その原因の大部分は、足利幕府の怠慢だと俺は思っている。
これからは、長尾家が帝の保護者となる。大きな権力を持たせる心算は無いが、
惨めな想いはさせないから安心して欲しい。
足利将軍家はその怠慢の、ツケをこれから払っていく事となるのだ。
俺は、帝を越後に迎え、現在の室町幕府に代わる新たな新政権を誕生させる事を考えている。
その為の準備は、凡そは終わっている。
現在新たな町割りを行っている、春日山城下の一角には既に新たな御所や公家の屋敷が完成間近となっているし、新たな政権の法の整備、組織造りも順調に進んでいる。
越後が、日ノ本の政治の中心となる。
とは言っても、帝の越後への下向はそれ程長くはならないはずだ。
これからも長尾家が更に拡大するならば必然的に、関東や畿内・名古屋への遷都が必要となってくるだろうし、今後、長尾家が畿内を平定し安定したならば、その時また京に戻る事を考えてもいい。
俺は、朝廷の權威を後ろ盾にして、日ノ本に新たな政権を造り上げていく。
「それにしても、殿はとんでもない事を思い付くものです。まさか、幕府に代わる新たな政権を打ち建るお積もりとは。我祖父・早雲も昔関東にて新たな政権を打ち立てる事を、夢見ていたとか。」
「ふふふ、この禅棟が活躍お忘れ無き様。褒美の件、今から楽しみでなりませんな。」
あの名将、北条早雲公も関東で俺と同じ様な事を考えていたのかな?
禅棟はもう少し待て、まだ終わってない。
新政権でのポストかなんか、後で考えてやるから。
先ずは、この帝を連れてこの悪霊共が蔓延る、この京を抜け出さないとな。
帝や共に下向する公家達を無事に越後迄お連れする為には、やはり少しばかり掃除が必要だ。
せっかく上洛を果たした事だし、少しは長尾家の武威も示して置かないとな。
此度、公方に踊らされた馬鹿共の内の幾つかには、そのツケをしっかりと払って貰うとしようか。




