第38話 上陸
1544年(天文13年)8月上旬 日本海 津軽半島沖
「……あの、新様、何をなさっておいでです?」
「ちょっと家の軍の旗印を造ろうと思ってな……少し待ってくれ……出来た!どうだ?」
俺達は現在、津軽半島を右手に眺めながら一路、蝦夷の地を目指している。天候も穏やかで、この航海を邪魔する海賊や水軍も最早存在しない、穏やかな航海なのだが、船旅も6日目となればぶっちゃけると暇なのだ。
そこで以前から要望のあった我が軍の旗印を、この機会にと作ることにした。思い立って、適当な白布に今書き上げたところだ。
この戦国の時代では、武田信玄の【風林火山】、上杉謙信の【毘】、石田三成の【大一大万大吉】、後は織田信長の【永楽通宝】なんかが有名だな。信玄の【風林火山】は孫氏の兵法由来の言葉だし、謙信の【毘】は信仰していた毘沙門天にあやかって造られた。三成の【大一大万大吉】は、一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、人々は幸福になれる、そういった意味があったはずだ。信長の【永楽通宝】はこの時代に主として使われた通貨名だ。通貨を旗印にするとは経済感覚に優れた信長らしい。
長尾家は謙信の使っていた【毘】でも良いのだが、俺は特段信仰が厚い訳じゃないし、毘沙門天を信仰している訳でもない。
それなら俺独自のものを造ってみようと思い、考えたのが……
「皆、どうだ?」
「……【護国護民 豊国豊穣】ですか?」
「【国と民を護り、豊かで実り豊かな国】ですか、良いですね旦那様!」
「私は気に入りました!」
「ふむ、殿らしいですな。素晴らしいかと。」
美雪は意味がよく分かっていない様だが、将次郎や幸綱は気に入ったようだ。
「よし!じゃあこれを旗印にして、どこか目立つ所に掲げといてくれ。」
「しかし、殿は達筆ですな。」
「あぁ、姉上に仕込まれたからな。」
「蘭様ですか?」
「あぁ、あれで中々器用な姉なのだ。」
「へぇ~、意外ですね。」
「あら兄様、蘭様はとても美しい文字が書けるようには見えないと?兄様がそうおっしゃってたと蘭様にお伝えしておきましょう。」
「ちょ!おま……」
「ククク、俺からも伝えておくか。」
「殿!?」
美雪と一緒になって将次郎で遊んでいると……
「大将!蝦夷地が見えてきましたぜ!」
船首の方から平八の大声が聞こえてきた。
急ぎ船首に駆け寄ると、そこには夏の日差しに照らされた美しい津軽海峡を挟み、彼方にうっすらと島影が見えた。
その光景に思わず涙が溢れそうになる。前世で何度も家族旅行で訪れた思い出の地だからだ。最近は思い出すことが少なくなっていた亡き妻や娘の姿が脳裏に浮かんでしまった。
「……どうなさったのです旦那様?」
いや、いかんな。前世の俺は既に死んだ。今生を生きているのは長尾新次郎景重だ。何も知らない千代に心配を掛けるのも筋が通らん。
「……いや、何でもない。陽の光が眩しくてな、心配を掛けてすまんな。」
「い、いえ、平気なら良いのですが……」
さて、切り替えよう。
この調子なら今日中には蠣崎家の松前湊に到着するだろう。既に蠣崎家には早船を送ってある。
「舜季、蠣崎家の当主蠣崎義広とはどのような男だ?」
先日旗下に加わった檜山安東家当主、安東舜季は蠣崎家の主家にあたる家である。今回蝦夷編入に当たり、居れば何かと事をスムーズに済ませられると思い、蝦夷地やアイヌについても詳しい様なので案内役としても期待して同行してもらった。
「義広ですか……最近は体調が優れず寝込んでおるとの事で政務は嫡男季広が行っておるようです……まあなんというか……」
何気なく舜季に聞いた話は想像以上に凄かった。いや、酷かった。
蠣崎家は長年に渡り交易などでアイヌと対立していたが、その対立は義広が家督を継いでより激化していった。義広は享禄元年(1528年)にアイヌの首領タナサカシが蜂起した際、家臣にその討伐を命じたのだが敗北、逆にタナサカシに自らの館を包囲され、義広は和議を申し出たそうだ。そして賠償を受け取りにノコノコやって来たタナサカシを弓で暗殺し、辛うじて勝利を収めた。
中々のゲス具合である。
そして後年、暗殺されたタナサカシの娘が夫と共に義広に反旗を翻した。うん、その気持ちはとても理解できる。というよりその娘を応援する。
しかしこのゲス広君、またもややりやがった。この夫婦を和議と偽り誘い出して酒宴の席で自ら切り殺したそうだ。
何かと血生臭い戦国の時代でも、ここまで酷い話は中々聞かない。
俺の中で義広君が、戦国ゲスランキング堂々トップに躍り出たよ。
そりゃぁ、こんな事してちゃ蝦夷の統治も儘ならんわ。江戸時代に入っても蠣崎家の松前藩は散々アイヌの反乱に悩まされていたし、その支配地域も道南に留まり、殆ど増えていなかった。まぁ、人的にも資金的にも小藩では北海道の開拓は難しいってのもあるが。
「……まぁ嫡男の季広は多少マシかと思いますが……」
「……お主も苦労したな。」
「はい、色々と……」
やはり舜季も義広には色々苦労させられていたようだ。蝦夷地に関しても、アイヌとの仲がここまで拗れると、半ば統治を諦めていたそうである。
そりゃそうだよね。
はぁ~、これは考えていた以上に蝦夷の統治は難しいかもしれない。
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その後も航海は順調に進み、予定通り夕刻には松前湊に到着することができた。喫水の深い洋船はこの湊には入港できないため、小舟に乗り換えての上陸となる。一応、兵も予定より多めの1,000を連れていく。あのゲス広君の話を聞くとなぁ。大丈夫だとは思うが、念のためだ。
前世と今生を合わせて20年振りか……と感傷に耽る間もなく、
「お初にお目に掛かります!某、蠣崎家が次期当主、蠣崎季広と申します!長尾家のような大身にお仕えすることが叶い、天にも昇る心地でございます!粉骨砕身お仕えする所存でございますので、どうぞ末永くよろしくお願い申し上げます!」
また煩いのが現れた。
蠣崎家の次期当主、蠣崎季広だ。早船によって今日の来訪を知り、次期当主自ら出迎えに駆け付けてきたらしい。
ゲス広君の話を聞いて少し警戒していたが、季広には特段後ろ暗さはあまり感じられないが……
「うむ、長尾左近衛権中将景重じゃ、出迎え大義」
「ハハハ、久しぶりよの季広、小身の安東家当主も参ったぞ」
「は?げえええぇぇぇぇ、御屋形様!!!?」
煩い男だ。
「な、な、何故……このような所に?」
「ふむ、儂が我が領に顔を出すのがそれほど不自然かの?お主、まさか……謀反など企んでおるまいな?代々散々と世話になり、儂が偏諱まで与えたお主が、まさかとは思うがの」
「……アハハは…そ、そのようなこと……この季広、決して、御屋形様の御恩にどう報いるかが、我が人生でございますれば」
「ほう、長尾家を主とすると言う話は、嘘であったと?」
「ぐほぉ!そのようなことは決して……」
『ぐほぉ』ってなんだよ?こいつ、動揺しすぎだろ。舜季と幸綱相手に冷や汗垂らし、しどろもどろになっている。
美雪、眼で『ヤリますか?』とか、問うてくんな『ヤリません』。頼むから殺気とか押さえてあげて。
見ていて少し可哀想になってきたので、助け船を出してやった。
「舜季、幸綱、その辺にしておけ、季広が困っておろうが」
「殿、申し訳ございません、昔からからかい甲斐のある男でして、つい。」
「ハハハ、中々面白い御仁でございますな。」
舜季は、ただ単純に揶揄っただけのようだ。
にしても、この季広という男、ある意味安心できる男である。
『この男に謀略とか不可能だ』と思わせる安心感がある。
これが演技だったら、オスカーも狙える。
こうして蠣崎家に出迎えられた俺達は、蠣崎家の松前館に招かれることとなった。その道中、最初こそ失態に落ち込んだ様子の季広だったが、館に到着する頃にはすっかり復活していた。
流石、苛酷な蝦夷の大自然に揉まれてきた男だ。中々逞しい。




