↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「紙入れ」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2024/09/15


落語声劇「紙入(かみい)れ」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約30分


必要演者数:3名

      (0:0:3)

      (3:0:0)

      (2:1:0)【性別準拠人数比率】

      (1:2:0)

      (0:3:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


●登場人物


新吉:貸本屋(かしほんや)を生業(なりわい)にしている男。

   あちこちに出入りしており、お得意先の一つのおかみさんと良い仲

   に。小綺麗(こぎれい)で若い男。


おかみ:新吉(しんきち)が出入りしている店の奥さん。

    女の立場を最大限利用して、道ならぬ恋愛を満喫(まんきつ)する、

    ちょっと熟(う)れている人。


旦那(だんな):新吉(しんきち)が出入りしている店の旦那(だんな)。

   ある日、泊(とま)りで出かけたが用が早く済んだため、日帰りに。


兄い:新吉(しんきち)の兄貴分。

   新吉(しんきち)に商売上の心得(こころえ)を説(と)いている。


語り:雰囲気を大事に。



●配役

新吉:

おかみ:

旦那・兄い・語り・枕:


※:枕、兄いは1セリフのみです。



枕:落語の枕(まくら)というものは、噺(はなし)のサゲに関係することが多いです。

  その枕(まくら)の中で一つや二つは、川柳(せんりゅう)が引合(ひきあ)いに出る事もあります。

  廓話(くるわばなし)ですと女郎買(じょろうか)い、居候(いそうろう)の話には居候(いそうろう)の川柳(せんりゅう)、といったように、

  落語と川柳(せんりゅう)は切り離せない、ふかーい関係があるんです。

  あの短い中に様々が感情が謳(うた)い込まれている。すごいもんですな。

  で、その中でも一番多い題材は…。

  ……。

  えー、下品なお話になりますが、どうか、失礼ごめん下さい。

  川柳(せんりゅう)で最も多い題は、なんと間男(まおとこ)、つまり姦通(かんつう)ものなんです。

  …トンネルのお話じゃございません。大昔の話ですので。

  おかみさんが亭主(ていしゅ)以外の男と関係を持つ歌、これが一番多い。

  有名なのに、

  「町内で 知らぬは亭主(ていしゅ) ばかりなり」

  てぇのがあります。これはもう万国共通(ばんこくきょうつう)と言えましょうな。

  中には意味深(いみしん)なものもあります。

  「間男(まおとこ)と 亭主(ていしゅ)抜(ぬ)き身(み)と 抜(ぬ)き身(み)なり」

  というのがありましてですね……ごほんごほん。

  本来ですと、このまま次へスッと移るんでございますが、

  今回特別にこの歌の意味を、こと克明(こくめい)に説明してみたいと思います。

  間男(まおとこ)とおかみさんがよろしくやってるとこへ亭主(ていしゅ)が踏(ふ)み込んで来て、

  「間男(まおとこ)動くなッ! 重(かさ)ねておいて四つに斬り捨ててやるッ!」

  と長いのをギラリ引っこ抜く、つまり刀の抜(ぬ)き身(み)でございますな。

  間男(まおとこ)もいきなりですので、何か抜(ぬ)き身(み)をぶら下げてるらしいんです。

  ……。

  これ以上は申し上げられません。電波が全国拡散しちゃう時代です。

  ま…、どうしてもお聞きになりたい方は、後(のち)ほど個別にご連絡いただ

  けましたら、別料金にて”しみじみ”とご説明申し上げます。

  今しも、姦通(かんつう)相手から届いた文(ふみ)を眺(なが)めている間男(まおとこ)がいまして。


新吉:弱ったなぁ…あすこのおかみさんから手紙もらっちゃったよ…。

   今夜は旦那(だんな)が帰らないから来てくれ、ってかい…。

   行けるわけねえじゃねえか。

   あすこの旦那(だんな)にゃあ、ひとかたならぬ世話(せわ)になってんだ…。

   

旦那:新吉、困った事があったら脇(わき)へ行かねえで、俺のところに来いよ!

   どんな相談にも乗るからな!


新吉:って、我が子のように可愛(かわい)がってくれてるんだ。

   行けるわけがねえよ…。

   でもなぁ…手紙の最後に、


おかみ:今夜来てくれない時は、こちらにも覚悟(かくご)があります。

   

新吉:って書いてある…穏(おだ)やかじゃねえよ…。

   あのおかみのこった、行かねえと後が怖(こわ)いに決まってらぁ。

   兄いが言ってたな…、


兄い:いいかァ、新吉(しんきち)。

   お得意先(とくいさき)のご内儀(ないぎ)に可愛(かわい)がられなくちゃダメだぞ、

   可愛(かわい)がられてりゃ、仮にしくじっても取りなしてくれる。

   男というものは女の言う事をちゃんと聞くものだけど、

   女はそうはいかない。

   いったんしくじったら、いくら旦那(だんな)が取りなしても許しちゃくれな

   いから、ご内儀(ないぎ)には可愛(かわい)がられてろよ。


新吉:って言われてるしなぁ。

   行かねぇと、しくじっちまうかなぁ…

   でも行っちゃあ済まねえしなぁ…。

   弱ったなぁ…うぅぅぅん……。

   …そうだ、ちょっと行って、すっと帰って来よう。

   それならいいだろ。


語り:妙に落ち着かない心持(こころも)ち、

   浴衣(ゆかた)を着たまま湯に入っちゃったようなへんてこな気持ちです。

   人目(ひとめ)を忍(しの)んで旦那(だんな)の家へ。

   お目当(めあ)てはもちろん旦那(だんな)にあらず、今や遅しと待ちくたびれている

   、そのおかみさんでございます。


新吉:よし、辺(あた)りに人はいねえな…。

   【戸を三回叩く】


おかみ:【ささやく】

    …こっちだよ、入って。

    【二拍】

    遅いじゃないか。


新吉:…おかみさん、ご無沙汰(ぶさた)してます。


おかみ:新(しん)さん、あたしの手紙を読んでくれたんだね。


新吉:あの…手紙を読んだんでこうしてうかがったわけなんですが…、

   実は今日はおかみさんに、折(お)り入(い)ってお話したい事があるんです。


おかみ:まぁ、この人は他人行儀(たにんぎょうぎ)だねえ。

    新(しん)さんとあたしの仲(なか)じゃないか。

    なんだい、その折(お)り入(い)ってお話って言うのは?

    …あ。

    分かってますよ、またお小遣(こづか)いが足りないってんだね?


新吉:あぁいえ、そうじゃないんですよ。

   実は…あっしとおかみさんがこういう事になっちゃってる、

   これが世間(せけん)の人に知れたらどうしよう、そう思うと近頃(ちかごろ)、

   夜もろくろく眠れないんです。


おかみ:まあ、新(しん)さんは男のくせに気が小さいねえ。

    お前さん、あたしとこうなってる事を世間(せけん)の人に知れたらどうし

    ようって、誰かに喋(しゃべ)るかい?喋(しゃべ)りやしないだろう?

    あたしだって言いやしませんよ。

    世間(せけん)様から褒(ほ)められる事をしてるんじゃないんだもの。

    こういう事をしたからって、お上(かみ)から褒美(ほうび)がもらえるわけでも

    ないんだから。

    女中(じょちゅう)の方は大丈夫。

    袖(そで)の下をしっかり握(にぎ)らせて、みんな知らぬ顔の半兵衛(はんべえ)になってる

    んですから。

    新(しん)さんは言わない、あたしも言わない、女中(じょちゅう)は半兵衛(はんべえ)、

    世間(せけん)様は知りようがないじゃないか。

    大丈夫だよ、安心おしよ。


新吉:…知れなきゃ大丈夫だって言われちまうと、それまでなんでござい

   ますけど…。

   ただ…ふだん可愛(かわい)がってもらっている旦那(だんな)の顔に、

   泥(どろ)を塗(ぬ)っちまっているような気がしてならねえんです。


おかみ:もう、新(しん)さんがそんなに気を使うことないんだよ。

    うちの人だって、外へ出れば適当(てきとう)に羽を伸ばしてますよ。

    あたしゃ知ってるんだよ。

    知っているけどその事をこれっぽっちも言ったことが無いんだよ

    。

    大丈夫、安心おしよ。


新吉:でも…近頃(ちかごろ)あっしは、旦那(だんな)の顔をまともに見られなくなってきちま

   って…。


おかみ:まぁ何だい、この人は。

    二言目(ふたことめ)には旦那(だんな)旦那(だんな)って、旦那(だんな)を盾(たて)にとってさ。

    …わかった。

    新(しん)さん、お前さん本当はそうじゃないね?

    他にいいのができたんだろ?

    で、あたしみたいなババアは邪魔になるからお払い箱。

    あぁ~わかりましたよ。

    新(しん)さんがその気だったらそれでいいよ。

    ただし、あたしにも覚悟(かくご)ってものがあるんだ。

    今までの事ぜーんぶ、洗いざらい、うちの人に喋(しゃべ)っちゃうから!

    あたしが嫌だ―、嫌だーって言ってるのを無理無体(むりむたい)に抑(おさ)えつけて

    、事(こと)に及(およ)んだ、って!


新吉:そ、そんなこと言われたら、えらいことになります!


おかみ:【笑いながら】

    バカだね、言いやしませんよ。

    いいかい新(しん)さん、よーくお聞き。

    あたしだってね、こういう事をこれから先ずーっと続けていこう

    って思ってるわけじゃないんだよ。

    新(しん)さんに本当に好きな人ができた時にはね、

    熨斗(のし)を付けてきれーいに別(わか)れてあげますよ。

    それまでの事なんだからさぁ。

    ねぇーえ?


    【ポンと手を叩く】

    そうそう、新(しん)さんウナギが好きだったね。

    奥(おく)に支度(したく)がしてあるんだよ。

    これから二人で”お相撲(すもう)”を取るんだから、

    たっぷり精(せい)をつけなくちゃ…ね。


新吉:う、あ…お、おかみ、さん…!

   【唾(つば)をのむ】


おかみ:そんなに離れてないでさあ、もっとこっちへお寄りよ、

    ねぇーえ、しぃんさぁん。


新吉:あ、ああぁ…!


語り:亀(かめ)の甲(こう)より年(とし)の劫(こう)、男惑(おとこまど)わすシナ作(つく)り、匂(にお)い立ったる熟(う)れた実(み)に、

   男の性(さが)が色めき立つ。

   「よく聞けば 猫の水飲(みずの)む 音(おと)でなし」

   というのがありまして。

   ……。

   …これは説明しにくぅございますので、説明なしで参ります。

   ですから、お気づきにならない方はどんどん置いていかれますので

   、そのお覚悟で。

   端(はな)のうちは二人(ふたぁり)でもってゴダゴダゴダゴダなんか言ってたんですが

   、しばらく経(た)ちますとこれが含(ふく)み笑いか何かに変わっていく。

   そしていよいよこれから最高潮(さいこうちょう)へーー


新吉:あぁッ、おかみさん、おかみさんんッ…!


おかみ:しぃんさぁん、うふふ、いやん、いやん、あっ、ああんーー


旦那:【戸を叩く】

   おぅい、いま帰(けぇ)ったぞー。

   今日は帰(けぇ)らねえつもりだったんだが、用が早く済んだんで、

   帰(けぇ)ってきた。

   開(あ)けてくれー。

   寝ちまったのかい?

   【戸を叩きながら】

   おーい!

   開(あ)けないかー!


新吉:【声を落として】

   !!っお、おかみさんッ!

   たいへんだ、旦那(だんな)がお帰りになりましたよ! 

   ほら言わないこっちゃない!

   だから今日ここへ来るのは嫌だったんだ!


おかみ:【声を落として】

    新(しん)さん! 戸棚(とだな)開けてどうしようってんだい!

    なに同じところをぐるぐるぐるぐる回ってんの!

    フン詰(づ)まりの金魚じゃあるまいし!


    柱へ登ってどこへ行こうっての、お前さんは!

    そっちに行ったってダメだよ、バカだね!

    こっちへおいで、 裏から逃げるんだよ!

    大丈夫、あとであたしが話をするからね…!


語り:こうなりますと男より女のほうが、ずーっと肝(きも)が据(す)わってきます。

   男をうまーく逃がしといて、さほど立て付けが悪くもないのに

   わざとはばかりの音を、ぎいーばたんっ、と外に聞かせるように

   たてる。

   つまり今まではばかりに入っていたという風(ふう)に見せかけるんでござ

   いますな。

   そしてこれもすっと開(あ)ける事の出来(でき)る表(おもて)の戸を、わざと手間取(てまど)って

   がちゃがちゃがちゃがちゃ掛(か)け金(がね)の音を外へ聞かせておいて、

   おもむろにゆっくりと戸を開(あ)けます。


おかみ:…あら、お帰りなさいまし。

    いえね、お帰りが無いって聞いてたのと、

    ちょっと頭が痛かったものだから横になってて…。


旦那:なに、頭が?

   大丈夫なのかい?


おかみ:えぇもうそれは良くなりました。

    あ、お吞(の)みになるんでしょ?

    ただいまお支度(したく)をいたしますから。


語り:いっぽうすんでのところで難を逃(のが)れ、走りに走って我が家の近くま

   で来た新吉(しんきち)。

   胸は早鐘(はやがね)を打ち、冷や汗だかあぶら汗だかわからない嫌(いや)ぁーな汗を

   ぬぐいつつ、そっと後ろを振り返る。


新吉:はあ、はあ、はあ、はあッ……!!

   あぁぁ…びっくりしたァ…あぁ驚いたァ…!!

   見つからなくて良かったァ…!

   猿股(さるまた)一枚で着物(きもの)小脇(こわき)に抱(かか)えて走ってたんだから…。

   見られる格好(かっこう)じゃねえよ。

   今日は行くの止(よ)そうと思ったんだよ…虫が知らしたんだなぁ…。

   いや、考えてみるとだいぶ前からだよ。

   こないだも友達に顔色が悪いだの、変な事に首つっ込んでるんじゃ

   ねえのか、寿命(じゅみょう)ちぢめるぞ、とか心配されたんだ。

   あの時からだよ…なるほど、悪い事(こた)ァ出来ねえもんだ。


   …やめたやめた! きっぱり踏(ふ)ん切(ぎ)りがついた。

   これ以上は本当に寿命(じゅみょう)ちぢめちまう。

   さ、家(うち)帰って寝よう…っとその前に忘れ物はねえだろうな。


   煙草(たばこ)入れは…ある。紙入(かみい)れは…、


   …、…、…はッッ、しまったッ!


   あすこの家の火鉢(ひばち)の横に置いてきちまった!

   あの紙入(かみい)れは、旦那(だんな)からもらったものなんだ。

   見つかっちまったら一大事(いちだいじ)だ。

   それにあの中にゃ、おかみさんからの手紙が入ってんだ…!


おかみ:今日うちの人が帰ってこないから、泊(と)まりにいらっしゃいな。


新吉:あぁぁ…大変だ…!

   今のうちに逃げちゃおうか…!?

   それなら明日じゅうには江戸(えど)を出れる…!


   …でも、紙入(かみい)れが見つかったと決まったわけじゃねえ。

   なのに早合点(はやがてん)して逃げちまっちゃあバカバカしいよな。

   なにか確(たし)かめる方法は…、

   !そうだ、朝早くに旦那(だんな)の家に行ってみよう。

   ええと…、


   おはようございます。


旦那:何だッ、てめぇは新吉(しんきち)かッ!!

   今頃(いまごろ)よくものこのこ来やがったなァ!!

   図(ずうずう)々しいもんだ!

   そこに直れッ! 張り倒してやる!!


新吉:ご、ごごごめんなさーーいッ!!


   と、最悪の場合こうなるだろうけど、

   それから逃げたって間にあうよな。

   何より黙って逃げちゃあ卑怯(ひきょう)だ。

   たとえ一言(ひとこと)でも、ごめんなさいって謝(あやま)った方が、改悛(かいしゅん)の情(じょう)がみられ

   る。

   情状酌量(じょうじょうしゃくりょう)の余地(よち)がある。

   運が良ければ執行猶予(しっこうゆうよ)が付く。

   もっと運が良ければ無罪(むざい)だ。

   うん、そうだ、あっしの考えは正しいぞ…!


語り:正しくとも何ともありゃしません。

   さあ家へ帰ってさっさと布団(ふとん)へ入ったんですが、

   これァ寝られるもんじゃあございません。

   ウトウトっとしたかと思うと、閻魔(えんま)様に血の池地獄(いけじごく)へばーーんっと

   叩(たた)きこまれる夢を見る。

   うなされてパッと目が覚(さ)めたりして、


新吉:!!!!ッッッッ!!

   っはぁ、はぁ、はぁ…ゆ、夢…、あぁ、びっくりした…。

   あぁ…寝られねえなぁ…。

   寝たいんだけど寝られねえや…。

   どうしてこんなことになっちまったんだ…。


   …そうだ、アレぁ去年の七月だ。

   おかみさんが夏風邪(なつかぜ)ひいて寝込(ねこ)んだって耳にしたんだ。

   うちの商売が貸本屋(かしほんや)だってんで、しょっちゅう旦那(だんな)に注文を受けち

   ゃあ家に届けてたんだ。

   そういう義理もあるから、ちょいと見舞(みま)いにうかがったら、

   おかみさんが一人で寝ているところに行っちまったんだ。


おかみ:ねぇ新(しん)さん、あたしもただこうやってぼーっと寝てるのが退屈(たいくつ)で

    しょうがないんだよ。

    だから何か本を持ってきておくれよ。

    ただね、あたしゃうちの人みたいに、剣豪(けんごう)ものだのなんだのって

    武張(ぶば)ったものは嫌ですよ。

    読んですぐわかるようなものがいいよ。

    浮世風呂(うきよぶろ)とか、東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)とか、


    …わかってるね?


新吉:ちょうどあの時、間(ま)の悪い事に人には内緒(ないしょ)の本が一冊あったんだ。

   為永春水(ためながしゅんすい)作の、 春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)。

   それ持っておかみさんとこ行って見せたんだ。

   そしたら一目見(ひとめみ)て、


おかみ:やだよ新(しん)さん、あたしにこんな本見せて。

    バカにするにもほどがありますよ!


新吉:って振りかぶったからぶつけられるのかと思ったら、

   そのまま布団(ふとん)の中へしまっちゃったんだよな。

   そこへ雨が降ってきやがった。

   間(ま)をおかずにピカッ、ガラガラッ! ピシーッ!と雷が鳴った。

   そしたらおかみさんが、


おかみ:新(しん)さん、雷(かみなり)様が鳴ってきて怖(こわ)いから、蚊帳(かや)釣(つ)っておくれ。


新吉:ずいぶん古風(こふう)な事するなあと思ったけど、おかみさんの頼みだから

   蚊帳(かや)ァ引っ張り出して釣(つ)ったんだ。

   そしたらおかみさん中へ飛び込んで、


おかみ:くわばらくわばら…


新吉:なんて唱(とな)えてる。

   こっちだって薄気味(うすきみ)が悪いから部屋の隅(すみ)にいたら、

   蚊帳(かや)の中からおかみさんが、


おかみ:ねえ新(しん)さん、

    そんなところにいて雷(かみなり)様におへそを取られるといけないから、

    お前さんもこっちへ入んなさいよ。


新吉:って言ったんだ。

   雷(かみなり)様は鳴りやまねえし、こっちだって気味(きみ)が悪いから中へ入った。

   で、しばらく互(たが)いの顔を見合(みあ)ってたら、

   こんなこと言いだしたんだ。


おかみ:新(しん)さん、二人でにらめっこしててもつまらないから、

    お相撲(すもう)取ろうか。


新吉:指相撲(ゆびずもう)ですか?


おかみ:そうじゃないよ。

    男は相撲(すもう)取って女は相撲(すもう)取っちゃいけないって法はないだろ?

    で、新(しん)さんが十両(じゅうりょう)で、あたしが大関(おおぜき)だよ。


新吉:そんな訳(わけ)の分からねえ話はありませんよ。

   何だって女のおかみさんが大関(おおぜき)で、男のあっしが十両(じゅうりょう)なんです?


おかみ:あたしの方が、腰の使い方が慣(な)れてるからね。


新吉:うめぇこと言いやがったなぁって思ったね。

   はっけよいのこったのこったのこったってやってるうちに、

   浴(あ)びせ倒(たお)しで負けちゃったんだよなあ…。

   決まり手が悪かったねぇあれは…。

   おかみさんの身体があっしの身体の上にうわーっとのしかかってき

   た。

   外そうとしたら、鬢付(びんつ)けの匂(にお)いがぷんと鼻を突いて…へへ…。

   そいつに誘われてあっしの手が、おかみさんの…中にすーっと…。

   その間にもおかみさんの手が、あっしのをこう、撫(な)でまわしてて…

   へへへ…寝らんねえなあ…。


語り:って一晩中(ひとばんじゅう)もんもんとしてりゃあ寝られるわけがない。

   やがて鴉(からす)カァで夜が明ける、往来(おうらい)に人が目立つようになる。

   旦那(だんな)の家の前までやってきたが、とても入れるもんじゃあない。

   そらもう敷居(しきい)が高(たこ)うございます。

   ましてや入るきっかけなんざ、これっぽっちもない。

   そんなにうろうろ行ったり来たり行ったり来たりしていますと、

   そりゃあ中からも丸見(まるみ)えなわけでして。


新吉:うぅ…入ろうにも…入れない…。


旦那:?誰だァ?

   さっきからうちの前を行ったり来たりしているのは。

   目(め)まっくるしいなぁ。

   おーい、誰なんだい?

   入(へぇ)るんだったら、スーッと入(へぇ)ってくれよ!


新吉:!!

   【ゆっくりと戸を開けてぼそぼそ喋(しゃべ)る】

   ぉ、ぉはよぅござぃます…。


旦那:?新吉(しんきち)じゃねえか。

   こっちへ入(へぇ)れよ。

   …こっちへ入(へぇ)れよ!

   おぅッ、あとを閉めろィ!


新吉:ッ開(あ)けさしといてください。

   駆(か)け出し良(よ)いですから。


旦那:いいから、閉めたらそこへ座れ。

   【キセルを一服吸って煙を吐いている】

   ふぅぅーーーッ。

   ……新吉(しんきち)ィ!

   おめぇそんなこっちゃ、【キセルをポンと叩いて灰を出す】

   しょうがねぇじゃねえか!!


新吉:!!ごめんなさい!

   二度としませんから!

   勘弁(かんべん)してください!!


旦那:俺の頼んだ宮本武蔵(みやもとむさし)の本はどうなったんだよ!?

   巌流島(がんりゅうじま)で佐々木巌流(ささきがんりゅう)とチャンチャンバラバラ、

   どうなったんだ、あの本は!?


新吉:【あからさまにほっとした顔で】

   !? …っは、はぁ…。

   本ですかぁ。


旦那:本ですかって…忘れちまったのか?

   商売(しょうばい)っ気(け)のねえ野郎だな。

   あのな、年と共にだんだん物忘れが激しくなってくるんだよ。

   早(はえ)えとこ続きを読ましてくれねえと、前の話の筋(すじ)をみんな忘れちま

   うんだ。

   今日持って来るか明日持って来るかと、こっちは今か今かと待って

   んじゃねえか。

   いつまで経(た)ったって持って来やがんねえ。

   ったく、商売(しょうばい)っ気(け)のねぇ野郎だな。

   しっかり…、どうした?馬鹿に顔色が悪いじゃねえか。

   体の具合(ぐあい)でも悪ぃのか?


新吉:い、いえ、至って丈夫(じょうぶ)です。


旦那:じゃ、商売の蹴(け)つまずきか?


新吉:い、いえ、順調です。


旦那:おかしいじゃねえか。

   【指を折りながら】

   体が丈夫で、

   商売が順調で、

   しくじるほど酒を飲むわけじゃなし、

   勝負ごとに手を出すわけじゃなし。

   あと残ってんのは何だい。

   ……あ、

   【小指を立てたまま】

   女か?

   無理はねえ、無理はねえ。

   その男っぷりでなりが小綺麗(こぎれい)で、金の使いが綺麗(きれい)ときてるんだ。

   女がほっとくわけがねえやな。

   どんな女ができたんだよ?

   言ってみな。

   芸者の女かなんかと良い仲になったのか?

   

新吉:い、いえ、そうじゃありません。


旦那:まさかお前ぇが守(もり)っこに惚(ほ)れるわけはねえな。

   ふうむ…。

   !わかった!【膝を叩く】

   いよいよ年貢(ねんぐ)の納(おさ)め時(どき)、俺に高砂(たかさご)やかなんかを頼みに来たと、

   こういうわけか!


新吉:そ、そうじゃありませんで。


旦那:この野郎、はっきりしねえな。

   はっきりこれこれこういうわけ……、!

   …新吉(しんきち)、俺ぁおめえに一言(ひとこと)言っとくけどな。

   いいか、主(ぬし)ある花には手を出すなよ。

   おめえはいいか分かんねえけど、相手がかわいそうだ。   

   こういうことは決してするもんじゃ——


新吉:【↑の語尾に被せて】

   !あっ…そ、それが、その…手遅れです…。


旦那:なに、手遅れです…?

   できちゃったのか!?

   人の女房(にょうぼう)と枯れ木の枝は、登りつめたら命がけ、

   って言葉ァ知らねぇのか?

   かーっ、しょうがねえ野郎だな。

   …で、相手はどこのかみさんだ?


新吉:あ、お、おたくのかみさ——ちゃちゃちゃ、

   いえその、お尋(たず)ねでございますからお答えいたしますが、


旦那:なんだ、変な言い方だなおい。

   で、誰なんだ?


新吉:そ、そ、それが、そ、その、

   ふだん可愛(かわい)がってもらってる旦那(だんな)のかみさん、でして…。


旦那:なに、ふだん可愛(かわい)がってもらってる旦那(だんな)のかみさん…?

   はっはは、よくある話ってやつだな。

   情(じょう)にほだされたりなんかして、うん。

   で、どうした?


新吉:じ、実はあの、そのおかみさんから手紙をもらいまして。

   今日うちの人が帰ってこないから泊(と)まりに来い、

   っていう手紙をもらったんです。


旦那:で、なにか?

   おめえがいい間(ま)のふりをして

   のこのこ出かけて行ったと、こういうわけか?

   ふうん…で、どうした?


新吉:そしたらあの、帰ってこないって言ってた旦那(だんな)が…途中で急に帰っ

   て来ちまったんです。


旦那:バカだねおい。

   おめえな、そういう危ねぇ橋を渡ろうって時にはよぉーく下調(したしら)べを

   してから出かけるもんだ。

   【声を落として】

   じゃあなにか?

   その旦那(だんな)に見つかっちまったのか?


新吉:……見ましたか?


旦那:?? なんだいその、見ましたか、ってなおい。

   俺が聞いてんだよ。


新吉:【↑の語尾に被せて】

   いやあの、うまく逃げたんですが、

   あんまり慌(あわ)ててたもんですから、そこの家へ紙入(かみい)れ忘れて来ちまい

   まして。

   その、旦那(だんな)からいただいた紙入(かみい)れなんで。

   その中には、おかみさんからもらった手紙が入ってるんです。


旦那:ッ馬鹿だねこいつは。

   そういうものはな、貰(もら)って読んだら破いて捨てちまうか、

   燃やしちまうかのどっちかにするんだよ!

   【声を落として】

   ! じゃあなにか?

   その手紙を読まれたのか?


新吉:……読みました?


旦那:この野郎、いちいち話をはぐらかしてやがんな。

   俺の方が聞いてんのにあーでもねえ、こーでもねえって言いやがっ

   てホントに。


おかみ:おまえさーん、お客様ですか?


旦那:あ?

   あぁ新吉(しんきち)が来たんだよ、朝早くからな。


   そうだ、おめえもこっちに来なよ!

   おもしれえ話を持ってきたんだよこいつが!


おかみ:なんです? おもしろい話って…。

    あら新(しん)さん、いらっしゃい。


新吉;お、おはようございます、おかみさん。


旦那:こいつよ、女ができたんだってさ。

   ふだん可愛(かわい)がってもらってる旦那(だんな)のかみさんと、

   ねんごろにゃーごろ良い仲になったんだとよ。

   そしたらそのかみさんから手紙をもらったんだと。

   今日うちの人が帰ってこないから泊(と)まりにいらっしゃい、

   とかなんとか。

   こいつ、いい間(ま)のふりしてのこのこと出かけてったら、

   途中で旦那(だんな)が帰って来たってんだよ。


おかみ:あらあら…、新(しん)さん、それで見つかっちゃったの?


新吉:ぁ、いえ、その…。


旦那:うまく逃げたらしいんだけどよ、

   あんまり慌(あわ)てて逃げるはずみにな、

   お前(め)ぇもよく知ってんだろ。

   俺がこいつにやった、紙入(かみい)れだよ。

   あろうことかその家に忘れて来ちまったんだと!


おかみ:あらぁ新(しん)さん、だいぶ慌(あわ)ててたのねえ。


旦那:で、その紙入(かみい)れの中にはそこのおかみさんからもらった、

   手紙が入ってんだと!

   こいつ、バレたんじゃねえか読まれたんじゃねえかって、

   青くなってガタガタガタガタ震えてやがんだ。


おかみ:…新(しん)さん、この人はもう…。

    朝っぱらからくだらない話を持ってきてさぁ…。

    なに言ってんだい、いいかい?

    亭主(ていしゅ)の留守(るす)に新(しん)さんのような若い男を引っ張り込んで、

    美味(おい)しい事をしようっていう女じゃないか。

    そこに抜かりはないと、あたしゃ思うよぉ。

    もし仮にあたしがそうだったなら、お前さんを逃がしておいて、

    すぐに表(おもて)の戸を開けると思うかい?

    あたしゃそうは思わないね。

    もとの部屋に取って返して、何か忘れ物がないかとよぉーく見て

    回るわよ。

    そんな大事なものがあったら、命とりじゃないか。

    しまっておいて、あとでそーっと新(しん)さんに返すと思うよお。

    ねぇ、おまえさん?


旦那:お? おぉそうだとも。

   よしんばそこで紙入(かみい)れ見つけたってな、

   てめぇのかかぁ寝取(ねと)られるような亭主(ていしゅ)じゃねえか。

   そこまでは気がつかねえだろうよ。




終劇



参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


桂歌丸

古今亭志ん朝(三代目)

立川談志(七代目)



・用語解説


紙入(かみい)れ:今でいう財布。


間男(まおとこ):不倫(ふりん)相手の男の事。


猿股(さるまた):腰から股(また)のあたりをおおうズボン形の男子用下着。


鬢付(びんつ)け:主に日本髪(にほんがみ)で、髪を固めたり乱れを防いだりするのに用いる

    固練(かたね)りの油。


浮世風呂(うきよぶろ):式亭三馬(しきていさんば)が書いた滑稽本(こっけいぼん)で、

     文化6年(1809年)から文化10年(1813年)にかけて刊行。


東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ):1802年(享和2年)から1814年(文化11年)に

        かけて刊行された、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の滑稽本(こっけいぼん)。

        弥次(やじ)さん喜多(きた)さんの弥次喜多珍道中(やじきたちんどうちゅう)の方を知っている人

        のほうが多いかもしれない。


為永春水(ためながしゅんすい):1790年(寛政2年) - 1844年2月11日

     (天保14年12月23日))は、江戸時代後期の戯作者(げさくしゃ)。


春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ):江戸時代の人情本。為永春水(ためながしゅんすい)作。春色梅暦(しゅんしょくうめごよみ)とも表記する。

       梅暦(うめごよみ)とも略称される。

       四大奇書の一つで大いに流行したが、天保の改革で目をつけ

       られ、風俗を乱すとして春水は捕えられ、絶版を命じられた。


高砂(たかさご):この作品おける高砂(たかさご)とは能(のう)の代表的な演目で、かつて結婚式の際に

   よく歌われていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。