第四十六話 現状整理
「――ねえ、クロエちゃんに、パトリシアちゃん。今日の夕食は新しいメニューを試しに作ってみたけど……どうかしら?」
「……美味しいですよ、シオンさん。ね、クロエ?」
「う、うん」
「そう、なら良かったわ。お代わりもあるから、欲しかったら声をかけてね」
優しげにそう言ってくれるシオンに対して、私とクロエはぎこちない引きつった笑みを返すことしかできなかった。
――騎士団の襲撃を受けてから、体感として一週間以上が経過していた。
あの晩『前借り』の権能の暴走によって、未来において『憤怒』の魔女に堕ちた『私』の意識と同化してしまった私。
圧倒的な暴力を以て、アルカナ王国の精鋭集団である騎士団、その部隊一つ率いていたベオウルフを相手に互角以上の戦闘を繰り広げて、決着がつく寸前に。
シオンが介入してくれて、私は後一歩の所でベオウルフの命を奪うことにはならなず、意識を失ってしまった後のことは、シオンから聞くには聞けたのだが、現在私達が置かれている状況はとても手放しで喜べるものではなかった。
――意識を取り戻した直後に、私が見たシオンの様子はどこか異様であった。一見した限りでは襲撃以前と変化している部分があるようには思えなかったが、会話を重ねる内に、その異常性を認めざるを得なかった。
私やクロエを心配する言葉の節々に、私達に対する病的な執着に近い何かが感じられたのだ。
先ほどのシオンと交わした会話だけであれば、そんなに変化がないと言えた。
しかし暇さえあれば、私達から視線を外そうとせずにじっと見つめてくる。
それこそトイレやお風呂にまで着いてこようとするのは、流石に異常と言わざるを得ない。恩人であるシオンにあまり言いたくないのだが。
この狂気染みたシオンの行動に、私は見覚えがある。それは今世ではなく、前世の記憶に由来するもの。
つまりこの世界が元になったゲーム『闇の鎮魂歌』で実装されていた、BADENDの一つである。
そのBADENDに入る条件は、シオンの親密度を高めた状態で、主人公パーティーの誰かが彼女の目の前で死亡及び負傷することになる。
ゲーム本編で主人公パーティーに加入するのは、年若い少女ばかりである為、シオンが『破壊』の魔女として暴走する条件――亡くなった娘に重ねる程に親しい少女が害される――を満たしてしまうのだ。
そして完全に『破壊』の魔女として君臨するシオンを止めることに失敗すると、クロエを含めたパーティーメンバーを除いて、人間や魔物といった区別もなく、知的生命体は地上から文字通り『破壊』されてしまう。
そんな何者にも脅かされることない楽園を手に入れたシオン――『破壊』の魔女は、残った少女達と永遠に暮らし続ける――少女達の意思を問わずに。
そういう結末であった。
今のシオンが見せる行動や狂気は、そのBADENDのものにそっくりに感じられた。と言っても、完全に同じものではなく差異は見られる。
言動に私達に対する執着こそ感じるものの、現在のシオンには破壊衝動らしきものは見受けられない。ただちょっと対応を間違えると、そのまま人類滅亡ENDまでまっしぐらになりそうな予感はしている。
原作知識がある私ですら、シオンの変わり振りに驚きを隠せないのだ。原作知識がないクロエからすれば、いつの間にか優しい恩人が少し残念な感じになっている現実は、中々耐え難いものだろう。
(……だけどシオンでこの変わりよう……魔女というか闇属性の魔力って、相当危険な代物)
一方イレギュラーではあるが、未来の『私』――『憤怒』の魔女の力を得てしまった私も、シオンと似たような症状が発生すると思いきや。
それは未然に防がれた。その立役者は、『前借りの悪魔』である。
騎士団の襲撃を受けた晩は、大半の時間を『憤怒』の魔女とは別の『私』に、魔力の供給量を制限される形で行動が不可能になっていた。
しかし行動ができるようになった瞬間に、闇属性の魔力で脳を侵されかかっていた私から、それを取り除いてくれた。
魔物とは成り立ちが異なる異界の住人である悪魔ではあるが、闇属性の魔力とは相性抜群なようで、無害になる程度まで吸収してくれたのだ。
『前借りの悪魔』と契約して良かったと思うのが、いったい何度目か分からないぐらいには感謝している。
それを伝えた時には、『あの晩では役に立たなかったから、これぐらいはするわよ……』と、元気がなさそうに言われてかける言葉には困ってしまった。
それはともかく、『憤怒』の魔女としての力は元の一割にも満たない程度ではあるが、行使は可能になっている。というか、それまで使えていた魔法が一切使えなくなっている。
本来『パトリシア』という人物は、原作主人公であるクロエに次ぐ、希有な光属性の魔力を操る後方支援型のキャラクターである。
前世の私が把握している限りのエンディングでは、どのルートであっても魔女に堕ちることはない。
その事実があるからこそ、私は村の近くにあった隠しダンジョンに赴き、『前借りの悪魔』と契約したのだ。
だが蓋を開けてみれば、少なくとも『私』は二つの未来で魔女になる可能性が突きつけられた。
その内の一つは『憤怒』の魔女になった『私』であり、もう一人の『私』――一番最初に『前借り』の権能の暴走で、私の肉体の主導権奪ってきた『私』だ。
『憤怒』の魔女の力は限定的に行使は可能になったが、記憶そのものは摩耗しており、一切役に立たない。
そのせいで魔女化という、いつ爆発するか分からない特大の地雷が最低二つも潜んでいる。それを考えるだけで、胃に穴が空きそうだ。
「はあ……自分のことだけで手がいっぱいなのに……」
問題は他にも山積みである。シオンの魔女化をどのように解決するか。現状維持をする訳にはいかず、『前借りの悪魔』に頼もうと思ったが、『我にだって限界はあるわ! 契約者様の分だけでお腹がパンパンよ!』と言われて断られてしまった。
この件に関しては、何か別の手段を考える必要がある。
そして次にアルカナ王国への対応である。魔女としての力である、魔法『ドミネート』をベオウルフに施して実行された卑劣な作戦。
流石に私でも引きそうになった内容であり、そのせいで王国側から私達の印象は最悪に近いはずだ。
まだ表沙汰にはなっていないが、確実に騎士団の総力をもって討伐作戦が執り行われるだろう。
もちろんその対象は、私とシオンである。
戦力的に言えば、こちらは魔女が二人分ではあるが、騎士団の戦力も決して侮れない。勝てなくはないだろうが、できるだけ危ない橋は渡りたくないと思っている。
騎士団からの襲撃を受けてから移動した別の住処――詳しい位置を把握できていない――では、暇な時間はこうやって色々と思考を巡らしはいるのだが、どれも碌な解決策は浮かんでこない。
それしか今の私にできることはないと言うのに。その一番の理由は――。
「……問題は山積みだけど、結局これを最初にどうにかしないと」
――私とクロエの細い首にかかる、黒色の首輪であった。
右手でその首輪を触ってみるが、びくともせず外れる気配は微塵もしない。
「はあ……」
分かりきってはいるが、ため息は抑えられそうにない。
――この首輪は意識を取り戻した時にはシオンによって付けられていて、私達の行動に制限を課す呪いの装備であり、彼女がどれだけ私達を愛しているのかを示す一品でもあった。




