第四十四話 二人の魔女
「――じゃあ、後は頼んだわよ」
「――はい、了解しました。シオン様」
「口調は元に戻してもらって構わないわ。そんな明らかに異様な雰囲気で帰られても、すぐに異変がバレて役に立たないから」
「了解しま――了解した。命令は確実にこなしてくるさ」
それまでの機械的な口調と打って変わり、ベオウルフは元の調子に戻る。だがそれでも負傷はそのままであり、最低限の回復魔法をシオンから受けているが、依然として出血は続いている。
それを意に介した様子を見せないのが、何とも言えない不気味さを醸し出している。
作った笑みを浮かべつつ、ベオウルフはシオンに手を振りグラスタウンの方へと歩いていった。
その様子を見届けた後、シオンは張り付けていた笑顔を崩して真顔になる。
「――これである程度の時間は稼げるはず。運が良ければ、今回の討伐作戦を提案をした人物――グラス男爵家の命を取る所まで行けるかしら……。そこまでは高望みね」
さっきまでの緊迫した空気が嘘のように消えた静寂な森の入口付近で、独り言を呟くシオン。
彼女が魔法『ドミネート』を施したベオウルフに下した命令は一つ。それは無事に帰還したと思わせて、グラス男爵家の主要人物を皆殺しにすること。
そしてそれを達成した時点で余裕がベオウルフに残っていれば、騎士団をできる限り道連れにすること。
それがシオンがベオウルフに仕込んだ爆弾の正体であった。確かに王国側の動きを一時的に遅らせることができるだろうが、逆に今度こそ王国側はシオン達の討伐に本腰を入れるようになる為、平穏な生活を望むのであれば選ぶべき選択肢ではなかっただろう。
それこそ普段のシオンであったのなら、この選択肢を取ることはなく、魔法『ドミネート』をベオウルフに使ったとしても命令していた内容は、もっと穏便なものになっていたはずだ。
しかし彼女がベオウルフに下した命令は残酷そのもの。
その裏には彼女が正気ではなかったことが関係する。最愛の娘と重ねている二人の少女が危険に晒されてしまったことで、精神的に不安定になっていた。
彼女本人の主観では、暴走する魔女の力を抑え込んでいたのだが実際には多少なりとも彼女から正常な思考能力を奪っていたのだ。
そのせいで彼女はその後に起こる事態を一切考慮せずに、自らの内に眠る狂気に従った行動に走ってしまっていた。
しかもその異常を本人は認識していないのだから、余計にたちが悪く一度侵された思考能力が元に戻ることない。今宵をもってシオンという一個人の人格は休眠状態になってしまっていた。
つまりパトリシアが恐れていた事態の一つである『破壊』の魔女の復活が起きてしまったのだ。
不幸中の幸いで、シオンとしての価値観が少しでも残っているが、彼女の行動を省みれば大した差はないだろう。
またこのシオンの状態を改善する為には、闇属性の操る魔女とは正反対の力を司る人物の協力が不可欠なのだが、この考えに到れる者は原作知識を持つパトリシアを含めて存在しない。
何故なら肝心のパトリシアも、『前借り』の権能の暴走により魔女の力に覚醒してしまい、その思考能力はシオンのように正常なものではなくなっているからだ。
もしも彼女達を魔女の呪縛から救う手立てがあるとすれば――。
「――とりあえずは住処を別の場所に移さないといけないわね。そう時間がかからない内に、騎士団がまた来るでしょうし……。考えることは山積みね」
大きくため息を吐いたシオンは、次の住処の候補を頭に浮かべながら歩き始めた。
シオンが取ったこの行動が、さらなる地獄を招くのは想像に想像に難くないことであった。
――今夜『憤怒』の魔女が誕生し、『破壊』の魔女が再誕したことを認識しているのは、そう多くない。
■
「――国王様。グラスタウンでの一件についてご報告です」
「……よかろう。話すがよい。宰相よ」
ここはアルカナ王国の王都にある城。その中にある国王の私室にて、彼は自分が王妃の次に信頼する宰相を招き、つい先日発生した王国の今後を揺るがしかねない事件についての報告をさせていた。
「……そもそもですが、今回の一件はグラスタウンに一人の魔女が出現したというのが始まりでした。その報告を受けたグラス男爵家の当主が、魔女を討伐する為に街の冒険者に依頼を出したようですが、結果は全滅だったようです」
「……全く頭が痛い話だな。そこら辺の冒険者がいくら数を揃えた所で、魔女に敵うはずはないことぐらい直ぐに分かるだろうに。そんな愚物が街を治めていたとは世も末だな」
嘆くように話す国王に、宰相は断りを入れて話を再開した。
「……ごほん。それでは報告を続けます。冒険者達の全滅を知ったグラス男爵家は騎士団に報告をし、別の任務にあたっていた第三部隊と第四部隊が魔女の討伐に赴きました」
「そこまでの話は以前にもお前から聞いたな。何でも討伐対象である魔女は、歴史に名を残す程に悪名高い『破壊』の魔女の可能性が高いと。それだけではなく二人の少女を捕らえており、辺境の村々を魔物に襲わせているかもしれない。そういう話であったな?」
「はい。その認識で間違いはありません」
そこで言葉を一旦切った宰相はメイドに事前に用意させていた飲み物で口を湿らせ、続きを話し始める。
「――そして派遣された第三部隊と第四部隊ですが、結果は情報の一部が間違っており、その影響もあり討伐作戦は失敗。第三部隊の隊長であるベオウルフ殿が足止めとして残り、他の団員達は撤退に成功したのですが……」
「一体どうしたんだ? 言い淀んでしまって」
「いいですか。国王よ、落ち着いて聞いてください。それからしばらく経った後、ベオウルフ殿が帰還したのですが、乱心したのか、グラス男爵家の屋敷に居た人間を一人残らず殺害してしまって……取り押さえるのは困難ということで、ベオウルフ殿の処分は第四部隊の隊長であるアリシア殿が担当されました」
「――宰相よ。それは真か?」
国王からの虚偽を許さぬ厳しい視線にも宰相は動じることなく、真実を語る。
「――ええ。事が事だけに関係者には箝口令を敷いていますが、どれだけ効果があるのやら。一部では既に噂として洩れ始めているようです」
「……何ということだ。あれだけの男が何故そのような真似を。確かにグラス男爵は愚か者ではあったが、ベオウルフが何の理由もなくそんな行動に出るはずは……」
「……国王よ。良い話かどうかは分かりませんが、どうもベオウルフ殿がそのような凶行に走ったのかには、件の魔女が関係している可能性が高いようです」
「それはどういう意味だ?」
「……それがですね。ベオウルフ殿の遺体からは、闇属性の魔力の残滓が魔法使い達によって検出されました。要するに、ベオウルフ殿の乱心は件の魔女によって引き起こされた線が濃厚なのです」
宰相の言葉を聞き、国王は疲労が滲む顔に怒りを浮かべる。ベオウルフという男は、国王にとって頼りになる人物の一人であった。
その彼が魔女の手にかかり、操り人形にされて尊厳を奪われたまま命を落としたのだ。怒りを抱かずにはいられない。
国王の様子を見つつ、話を切り出すタイミングを伺っていた宰相。そんな彼の態度に気づいた国王はわざとらしい咳払いをして、話の続きを促した。
「……そしてこの事件を境にして、魔物による辺境の村々への襲撃は止みました。これら一連の事件は『破壊』の魔女が首謀者として考えてもよろしいかと」
宰相はそこで言葉を締めくくり、国王は彼に今後の方針を含めた命令を下す。
「――宰相よ。騎士団員達に通達せよ。王国の名にかけて、『破壊』の魔女を確実に捕まえ処刑しろ」




