第二十五話 現実のような悪夢
――水底から浮かび上がるような感覚とともに、『俺』の意識は覚醒した。
「ふわぁ……」
大きな欠伸をして、片手で目を軽く擦る。ぼやける視界が合うように、何度も瞬きを繰り返す。そうしている内に、自分が今どういう状況に置かれているのかを理解した。
「ああ、そうか。ゲームをプレイしている間に寝落ちしていたのか……」
俺はぽつりと呟く。久しぶりの休日ということもあり、机の引き出しの中で眠っていたゲームを昨晩からぶっ通しで遊んでいた。
しかし日々の疲れが溜まっていたこともあり、寝落ち――もとい気絶してしまったのだろう。
「えーと……どこまで進めてたのかな?」
目線の先にある液晶画面に映っているのは、リアルと一見見紛う美麗な背景に、架空の世界を舞台に生きる登場人物達であった。
ゲームの題名は『闇の鎮魂歌』。一人の少女が絶望的な世界に抗いながらも、ただひたすらに堕ちていくストーリーだ。
そして、その主人公は『クロエ』と呼ばれる少女である。
「……『クロエ』か」
主人公である少女の名前が、無意識の内に口から出ていた。俺が彼女に抱く感情は複雑なものである。
隠しイベントすら一通り網羅するぐらいに、何度も繰り返し一部を除いた全てのキャラクター、独特な世界観に愛着を持っている。
その中で主人公であるクロエは自分の一番好きな―最推しのキャラクターだ。
「誰がそこまでしろと言った」と言われる程に、些細な選択肢やプレイヤーの行動の変化に対して、『まるで現実の出来事のように』柔軟に、無数に枝分かれしていく複雑なストーリー。
そしてその数だけエンデイングは用意されているのだが、そのどれもが悲劇的な結末になる。
打倒魔王の旅の途中で魔物の大群の餌食になるものであれば、村人に魔女の汚名を着せられ処刑されたり等々。
一口にBADENDと言っても、そのパターンは数え切れない程にある。
一つぐらいクロエが幸せになる結末があっても良いのではないのか。そう思っていた者は自分一人ではない。ネット上にある『闇の鎮魂歌』関連の掲示板に目をやれば、同じような考えを持つ人間はたくさんいた。
『あれだけの数のENDがあって、BADばかりなのは制作スタッフなりの一種の愛情表現かな?』
『フフ……下品なんですが、クロエが■■の魔女に捕まるENDを初めて見た時――』
『俺は信じるぞー! クロエが救済される隠しルートがあることを! ……だから公式さん、お願いします』
上記したのは、クロエの話題が中心の掲示板から一部引用したものだ。少数派ながら、変態と言う紳士が混じっているのは御愛嬌だが。
とにかく。自分の同志と言うべき存在は少なからずいた。
彼らの探究心は凄まじく、攻略サイトや掲示板等で情報共有を行いながら、隠しルートの開拓を試みていた。自分も微力ながら、その作業には参加していたこともある。
けれど、発売から数年の月日が経った今でも、そのような隠しルートは発見されておらず、公式からの発表はなかった。
そんな過去の遺物になりつつある――それでも人気が衰えることがないのは流石な――『闇の鎮魂歌』を久しぶり遊んでいたのだが、昨晩今までになかった選択肢が出現したのだ。
より記憶を深く思い返した。
■
机の引き出しから発掘された『闇の鎮魂歌』のパッケージに惹かれてしまい、何故か遊ぼうと思ったのだ。
ゲーム機にソフトをセットし、起動させた後。タイトル画面に移行する。
『闇』というタイトルに相応しい黒の背景に、美麗なイラストで描かれたクロエが中心に配置されている、とてもシンプルな構図のタイトル画面。
無性に懐かしさを覚えて、最後にプレイしていたデータを読み込む。一瞬の暗転の後、画面が切り替わる。
どうやら、ラストダンジョンである魔王城のようだ。そしてクロエとその仲間達が対峙していたのは、玉座に腰をかけているラスボス――魔王だ。
以前の自分は本当に切りの悪い所で中断したらしい。魔王に話しかけて戦闘に突入する。ラスボスとの会話も、どのルートのものも一通り記憶していて目新しいものもない為、軽くスキップした。
戦闘も各ダンジョンでしっかりと上げていたパーティーでは、特に苦戦することもなく終了した。
記憶に残っていたエンデイング――もちろんBADEND――をが終わりスタッフロールが流れる。その後はタイトル画面に戻されるのだが、そこには見覚えのないコマンドが表示されていた。
『? ? ?』
「なんじゃ、こりゃ?」
そう思わず呟いてしまうぐらいには衝撃的な異変であった。古いソフトである為、ゲームがバグを起こしたのか。それとも、発売から数年越しに誰にも発見されていない『何か』を、自分が呼び出すことに成功したのか。
震える手つきで入力ボタンを押した後、黒髪のクロエとは似ても似つかない、金色の少女――『パトリシア』視点で物語は始まった。
「おいおい、マジでどうなってんの?」
先ほどから困惑の感情しか湧いてこない。『闇の鎮魂歌』のプレイアブルキャラはクロエ一人のみで、断じて今のような状況に陥ることはないはずだ。
導入部分おける世界観の説明に関しては変化はなかった。しかし異変はすぐに訪れた。
『パトリシア』がとある村――本来の主人公であるクロエが住む村に引っ越してきた場面から開始された。
多少のトラブルがありつつも、『パトリシア』とクロエは自己紹介を済ませ、唯一の同年代の友人として楽しく過ごしていた。
「何これ……? という展開ばかりな件について」
知らない、知らない。見覚えがない。
全く未知の物語が目の前で繰り広げられていく。
それでも今までは笑顔など全ルートを通して、暗い感情に由来したものばかりであったのに、今プレイしているルート――仮称として『パトリシア』ルートに入ってから、クロエがまだ序盤ではあるが心の底から笑みを浮かべていた。
それを見ているだけで、何故か報われているような気分になってきた。
しかし一つの疑問が脳裏を過る。このゲームに登場する『パトリシア』とは、このような性格であっただろうか。
もう少しお淑やかというか、大人しめの性格であったような気がする。
人目を盗んで隠しダンジョンに赴き、お助けキャラの悪魔と契約できたり、異変を察知した神父に対して洗脳もどきを施したりと、やりたい放題だ。
そもそも全面的に「クロエが好きだ」と公言していただろうか。
このゲームは主要人物が女性キャラクターが多い為、女性キャラクター同士のカップリングは珍しくない。
本編中にそのような描写をされた組み合わせもあれば、ファンがキャラクター間にある共通点だけで勝手にカップリングを成立させた例もある。
当然主人公であるクロエは多くのキャラクターに矢印を向けたり、向けられたりと。その相手との関係性も様々である。
友愛、親愛、家族愛、等々。特殊な例を挙げれば愛憎に類するカップリングもあり、人間が抱く性癖の業の深さが伺えた。
そして幾多に渡るカップリングの中に、クロエと『パトリシア』の組み合わせも存在する。
魔物に故郷を滅ぼされ、その元凶たる魔王に復讐を誓う苛烈な面を持ち合わせる少女と、二代目聖女に選ばれる程の才能を有しながらも内気な少女。
対局に位置する少女達のカップリングは人気の部類であり、このゲームの一ファンとして関連二次イラストを漁ったりしていた。
それだけではなく、彼女達の本編中でのやり取りは記憶している。
しかし今目の前で展開されている仮称『パトリシア』ルートは、今まで公式や優秀なファンによって供給されていた彼女達の関係性に対する認識を一新するものであった。
「まあ……これはこれで良いよね」
積極的な『パトリシア』も見た当初は驚いたが、アリよりのアリだろう。何なら親近感が湧いてくる。
しかしこの『パトリシア』ルートについて、空いた隙にネットで軽く調べてみたが何の手がかりも得られなかった。
本当に訳が分からない。そんな疑問を抱えながらゲームを進めていくと、嘘のように平和的であった序盤から怒涛の展開で、『パトリシア』達が住んでいた村が滅ぼされてしまった。
しかも、その襲撃があったのは他のルートの時間軸よりも五年前だ。
理解が追いつかない。だが、俺の意思を無視するように物語は続いていく。
その後『破壊』の魔女――シオンに保護された『パトリシア』とクロエは、共依存のような形になりながらも再び落ち着いた暮らしを送っていた。
そんな日々を過ごしていた彼女達は、シオンの誘いに乗り最寄りの街――グラスタウンに出かけようという話になった。
そんなキャラクター達のやり取りを聞いている内に、俺は睡魔に負けてしまった。
■
「そうそう……確かグラスタウンに向けて出発しようという話だったか」
固まってしまった体をほぐしながら、このままプレイを続行するかを思案していると。部屋の扉を軽くノックする音の後に、俺を呼ぶ少女の声がした。
「お兄ちゃん! お母さんがご飯できたよって」
「ああ、分かった。行くよ」
その声に対して、俺はすぐに返事をした。少しでも間が空くと、ブツブツと文句を言われるのだ。それをこれまでの経験で学んでいる。
我ながら失礼なことを考えていると、扉の外にいる少女が声をかけてくる。
「今入っても、大丈夫?」
「ん? 別に構わないけど……」
「じゃあ、開けるよ」
あれ? 朝飯の時間じゃなかったのか? と取り止めのない疑問を余所に、部屋の扉が開けられた。
そこにいたのは、標準的な黒髪黒目の少女――そして我が妹である。ちなみに今年の春から華の高校性だ。
今日は休日ということもあり、ラフな私服を着こなしている妹は扉を開けるやいなや、俺の胸に飛び込んできた。
「わっ! どうしたんだよ!? いきなり……」
「……」
妹は何も答えようとせず、俺の体に手を回すだけだ。実の兄妹とはいえ、少々気不味い静寂が流れる。
それを打ち破るように、妹は口を開いた。
「……しばらくお兄ちゃんに会えなかったから、寂しかったの」
「え? 俺はずっと家に居たじゃないか。日中は大学やバイトに行っているけど……」
「……そういう意味の話じゃないの。『ゲーム』ばかりに夢中になってるお兄ちゃんは分からないよ」
いまいち要領を得ない内容だ。怪訝そうな顔で妹を見つめていると、彼女は上目遣いで俺の顔を覗き込んでくる。その瞳を見て、俺は自分の目を疑った。妹の瞳は常人ではなく、狂人が宿す色のものであったのだ。
本能が警鐘を鳴らす。
こちらの警戒を知ってか知らずか。妹――らしき少女は、妹と同じ声、同じ口調で言葉を発する。
「――私がどれだけ寂しい思いをしたか、分かる訳がないよね。だからどれだけ時間がかかっても、私からお兄ちゃんを奪った泥棒猫には絶対に地獄を見せてやる」
「おい、さっきから何を言って――」
「――迎えに行くまで、待っててね。お兄ちゃん」
その発言を最後に、『俺』の意識は再び落ちていく。




