第二十三話 魔女になる理由
人混みをぬって、『前借りの悪魔』が指し示した方向に進む。誰かにぶつかりそうになる度に、怒鳴り声が浴びせられる。時間が少しでも惜しい為に、立ち止まらずに謝るせいで、余計な怒りを煽ってしまう。
それでも流石に、私達のような子供を追いかけ回す大人いないようで安心した。
私一人であれば、『前借り』の権能で強化した脚力で一気に駆けることも可能である。しかし権能を使用した状態では五十レベル以上の差がある相手を連れた状態では、それはできない。
力をできる限りセーブしたまま、クロエの手を引き先導するのが精一杯だ。
私の不安そうな顔を見て、釣られてクロエの顔にも影が落ちる。
けれどそれもシオンと合流すれば解消できる、と私は考えていた。
その考えがどれだけ楽観的なものであるのかを、私は全く想定していなかった。
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クロエの手を握り締めて、決して逸れないようにした状態で、街中を駆けること十分近く。
私の視界の先には見知った人物が一人。『破壊』の魔女の異名を持ちながらも、それを感じさせない人格者。
そして今の私達の面倒を見てくれている、保護者のような魔法使い。シオンであった。
シオンの方も何か焦っているのか、私達の方に走り難い服装でありながら全力疾走してくる。
彼女の姿を視界に収めると、自然と私達の歩みは緩やかになる。
「……シオンさ――」
「無事で良かったわ……」
立ち止まりシオンに声をかけようとした瞬間、彼女は両手を広げて私とクロエを抱きしめてきた。
それにより、彼女の名前を呼ぶのが中断される。
「……シオンさん?」
再びシオンの名前を、困惑の感情を交えながら呼ぶ。
「……あっ! ごめんなさい。合流しようと思って、さっきパトリシアちゃんの魔力を探っていたら、異様な流れを感知したから……」
私が名前を呼んだことで、シオンが正気に戻る。そして彼女はこのような行動に至った理由を話し出した。
彼女の様子を見てみると、本当に衝動的に体が動いたようだ。
――これも、シオンが抱く過去のトラウマに由来するのかもしれない。
そのトラウマというのが、戦争によって愛する娘を失ったことだ。
ゲーム本編では、年齢が今より上であったクロエのことを、亡くなった娘に重ねている描写もあった。
であるならば、年齢が同じである今の私達が何かのトラブルに巻き込まれた可能性を感じて、取り乱してしまったのだろう。
「……私達は大丈夫ですから。ねえ、クロエ?」
「う、うん! 少し面倒な人に絡まれただけですから……」
クロエがそう告げると、シオンの顔が感情を消した無表情になっていく。彼女の洗練された魔力の制御が乱れて、黒く淀んだものが漏れ出してくる。
幸いそれは微量であり、周囲の人間で気づいた者は居そうにない。
(ま、不味い……! 今の状態のシオンにその発言は悪手だよ……! クロエ! このままじゃ、あのBADENDに一直線だよ!? 何とか気を逸らさせないと!)
内心で私は悲鳴を上げていた。事態を打開しようと必死に思考を巡らせる。
実の娘を亡くしたシオンは、親しくなった少女が危害に晒されると、こうして取り乱してしまうのだ。
ゲームの時にシオンと交流を何度も重ねた上で、主人公パーティーの誰か――ちなみに全員が年若い少女――が死亡イベントが発生すると、完全に正気を失ってしまい裏ボス――『破壊』の魔女が顕現してしまうのだ。
温厚な性格の持ち主であるシオンが、ゲームの展開次第では裏ボスの一人になる経緯がこれである。
それさえなければ、庇護欲が少々強いだけの良い人なのだが。
そのルートに突入することはほぼなかった為に、今の私達がシオンの庇護対象に入っている可能性を失念していた。
そして今のシオンが娘を失ったトラウマを刺激されているのであれば、先ほど私達に絡んできた人物――肥満気味の貴族の少年を屋敷ごと灰燼に帰してしまうだろう。
しかもそれはまだマシな方で、最悪の場合この街一つを滅ぼしても止まらない『破壊』の魔女が再誕するという、BADEND一直線の事態に陥ってしまう。
シオンの尋常ではない様子や、彼女の体から漏れ出す魔力の気配に薄々異常を悟り始めたのか。往来のど真ん中でありながら、周囲の人間が私達を避け始めている。
通報を受けた衛兵が来るのも時間の問題だろう。
一刻も早くこの場から離れなければならない。その前に、やらなければならないことがある。
壊れ物を扱うかのように抱きしめてくるシオンの首に、私は何とか抜け出した両手を回して抱き返す。
「――シオンさん。もう一度言いますよ。私達は大丈夫です。貴女の前から居なくなることは絶対にありませんから。だから正気に戻ってください」
「――え、ええ……。ごめんなさい。少し取り乱しちゃったみたい」
私の思いが伝わったのか、シオンの瞳には正気の色が戻る。
「本当に良かったですよ……!」
安堵の息が溢れる。クロエと『前借りの悪魔』は急な状況の変化についていけず、両者ともに目を回していた。
■
「見ツケタ……! ドリア様ニ報告シナケレバ……!」
一人の魔女と二人の少女が抱擁を交わす光景を眺める、不審な影が一つ。
その影は拙い言葉を残して、姿を消した。
 




