疑念が出てきました
日が昇り始めても、鉄仮面は戻っては来なかった。朝食を知らせるベルが鳴らされ、縄を引っ張り――その軽さに驚いて縄を離しそうになる。
(……鉄仮面さんがここから居なくなったって、みんな知ってるんだ……)
ここは城なのだから、働く人間も多いだろう。厨房の人間だって、これを運んでくるメイドだって、ここにいた人間が1人居なくなっていることを知っている。
(帰ってくるのかな……)
話もせず、顔も見せない城の人間よりは、鉄仮面の方が余程身近に感じていた。悠花を害することもなく、その眼差しはどこか優しげにさえ見える。そうなると、鉄仮面が心配になってきた。
(わたしに比べて扱いも悪いし、連れて行かれるときだって無理矢理で……)
兵士は鎖を引き、また別の兵士は槍を突き付け、無理やり鉄仮面を朝靄の向こうへ連れて行った。そんな扱いで、無事だと思える筈がない。
(そもそも……わたしは、鉄仮面さんの世話係としてここに居るんだよね……?)
だとすれば、鉄仮面が居なくなった今、自分はどうなるのか。追い出されるのか、それともここに閉じ込められたままなのか。
(どっちがマシなんだろう……)
言葉が分からない上に、判断材料が何もない。
(なるようにしかならないか……)
追い出されたときのことは、追い出されたときに考えるしかない。今はこの環境を最大限利用させてもらおうと、悠花は心に決めた。
普段と同じ日々。食事をして、運動をして、歌を歌う。だが、喋る相手は居ない。日に3度鳴らされるベルだけが、外界との繋がりだった。
(……やっぱり、なにか怪しい……)
まず、自分の立場が分からない。迷子の外国人を保護したと言うのなら、こんな監禁状態にはしないだろう。生活には困っていない。しかし生活環境を整えることだけが保護ではない。
(だとすると、鉄仮面さんは帰ってくる……?)
鉄仮面の世話をしろと、ここに来たときに説明された(気がする)。鉄仮面がまた帰ってくるのだとすれば、悠花を解雇する理由もない。
(そうだといいけど……鉄仮面さん、無事だといいな……)
鉄仮面がどうなっているのか。それは悠花には分からない。できるのは、ただ無事を祈ることだけだった。
そんな日々を過ごして1週間。深夜、悠花は重い扉が開く音で目を覚ました。
「鉄仮面さん……!?」
思わず階段を駆け下りようとしたが、兵士らしき人間の下卑た笑い声に足を止める。鉄仮面は自分に敵意は無かったが、兵士たちのことは分からない。大きな物音がし、扉が再び閉まる音を聞き――悠花は、地下に駆け下りた。
「鉄仮面さん……!」
暗い地下牢の中には、鉄仮面が打ち捨てられたように倒れている。スマホの光でそれを確認し、悠花はまた部屋へと駆け上がった。量産した例の図。水差しとコップに、清潔なタオル。必要そうなものを持てるだけ持って、また地下へ戻る。
「わたしが分かりますか!?」
鉄格子の向こうに声をかけると、ぎこちない動きで手が握られたのが見えた。
「お水……っ」
コップに注いだ水を、手を伸ばしてできるだけ近くに置く。
「え……」
ついにシャツすら無くなった鉄仮面の、むき出しの背中に見えるいくつもの傷跡。
「ひどい……!」
弱り、手枷までされた人間に何という事をするのか。この城の人間は明確に危険なのだと、悠花は確信した。自分には笑顔だった人間も、自分への対応も、何か裏がある。だが、今はそんな事を考えるよりも鉄仮面のことの方が先だ。持ってきたものをできる限り鉄仮面の近くに置き、声をかけ続ける。やがて鉄仮面は気力を振り絞るように顔を上げ、悠花に金色の眼を向けた。
「鉄仮面さん……!」
悠花の姿を視界に捉え、鉄仮面が悠花に向かって息も絶え絶えに這っていく。
「なんで……」
差し伸ばされた手を、悠花は咄嗟に握った。その手が、悠花を求めているように思えたからだ。粗末なパンを、それでも上品に食べていた手は、今は汚れて力もない。
「お水飲んで……! あと、何か、必要なら……!」
自分に何ができるのだろう。思わず紙片を握らせると、鉄仮面の視線が悠花からそちらへと向かう。そして、燐光の枝が鉄仮面を包んだ。
「あ……」
汚れが消えた。さらには、見えている背中のひどい傷が和らいだ。
「まだ、あるから……!」
数度紙片を使い――鉄仮面は崩れ落ちた。
「鉄仮面さん!?」
慌てて気配を伺うと、呼吸音はする。
(……寝てる……?)
疲労と、痛みで限界が来たのだろう。ひとまず背中の傷も塞がり、悠花もほっと息をついた。
(一応、安心……?)
きっと睡眠は、今一番の薬だろう。鉄仮面の手当ができるようなものは、何も持ってはいない。今は安らかに寝てもらうより他に無いのだ。
(とりあえず、様子見しよう……)
このまま何かあっても、できることはしたい。悠花は部屋と地下を何往復かし、使えそうなものを運んできた。毛布、クッション……これで、ここで仮眠ができる。念のために6時半少し前にアラームをセットして、悠花は鉄格子に持たれるように目を閉じた。