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実験してみることにしました

「どうですか……!」


 スマホで撮った図を、ペンで丁寧になぞった紙片。ノートも有限ではないのだから、節約できるに越したことはない。


 翌日、悠花が紙片を渡すと、鉄仮面はしげしげとそれを眺めた。そして期待に眼を輝かせた悠花の前で、また燐光の枝を出してみせる。


「やった……!」


 使えたことに鉄仮面も驚いたようだったが、それでも喜んでくれたらしい。悠花の手を取ると、少し持ち上げるような仕草をした。


「よかった、いっぱい作って持ってきますね。いつでも使えるように」


 鉄仮面は悪い人では無さそうだった。こちらを害する素振りは見せないし、それどころか気遣うような雰囲気すらある。城の人間とはあれ以降関わりもしないのだ。そうなると、鉄仮面へ肩入れしたくもなってしまう。


(とりあえず、ここがファンタジーな世界だってことはもう理解した……)


 何度見ても月は2個だし、魔法のようなものを眼の前で見せられれば嫌でも納得せざるを得ない。


(わたし、本当になんでこんなところに居るんだろう……)


 この塔を出ることさえできないのだから、家に帰れる気もしない。


(とりあえず、鉄仮面さんと仲良くなっておこう……)


 味方は1人でも多いほうがいいのだ。自分だけではできることにも限りがある。


「お昼ごはんの時、また来ますね」


 悠花は手を振ると、地下牢を後にした。



 鉄仮面のための図を内職しつつ、歌を練習する。単語の意味を調べてみると、装飾的な音がまさにその詞に付けられていたりと発見が多い。


「えーと、意味は『喜び』だから……」


 詞の、『diletto』に込められた意味どおりに旋律をなぞる。跳ねるような、踊るような気持ちが長い装飾音に込められているような気がした。

 歌えば歌うほど、旋律も、歌詞も、身体に馴染んでくるような気がする。昨日の自分ができなかった、気付かなかった場所に今日の自分が居られる事が嬉しい。最後の一音まできっちりと音を出し、悠花は満足気に楽譜を撫でた。


(別の曲も、増やしてみようかな)


 きっと明日は、もっと歌が馴染むだろう。詞を飾る旋律が、ただの音ではなく口から出ていく。満足する出来で歌えるのは嬉しいが、同じ曲ばかりでは進歩できない。知っている曲を、知らない曲を……何を勉強しようかと、ページを捲る。


「よし、次はこれにしようか」


 『Intorno all'idol mio』……少し悲しげな、切ない曲。他の人のレッスンで聞いたことはある。『Star vicino』の楽しげな曲調とは全く違う曲だ。スマホで動画を検索し、何度も曲を聴いていく。


「…………」


 楽譜を見ながら音が追えるようになったら、次は小さく声を出しながら。耳からの記憶と、音符の上下で主旋律を覚えていく。


「Intorno all'idol mio……」


 旋律が頭に入ったら、次は言葉が舌に馴染むように。何度も、何度も繰り返して身体に覚えさせていく。満足の行くまでそれを繰り返し、悠花は立ち上がって息を吸った。


「――Intorno all'idol mio(私が憧れて止まない人の周りに) ――……」


 低い音での歌い出しを、丁寧に。


「――Spirate, pur spirate, Aure soavi e grate;(どうか吹いておくれ。優美なそよ風よ) ――……」


 音が切れぬよう、身体で支えて。


「――E nelle guance elette Baciatelo per me,(そして頬に私の代わりに口付けておくれ) ――……」


 曲の盛り上がりを殺さぬよう、しっかりと声を出す。


「――cortesi cortesi aurette(親切な親切なそよ風よ) ――……」


 物悲しく、だがどこか優しげな曲。歌い切ると、心地良い疲労感に包まれた。


「あーーー練習が足りないーーーー」


 まず、言葉の一つ一つが分からない。分からないから、身体に入ってこない。まだただの『音』と『単語』だ。詩も、旋律にも程遠い。


「やっとスタート地点だなぁ」


 程遠いからこそ、仕上げていく楽しみがある。言葉の意味一つ一つを旋律に乗せ、完成させたときの美しさと満足感。それは、何物にも代えがたい。歌うだけ歌って、悠花は満足して楽譜を閉じた。



「……ん……?」


 明け方。なにか音がしたような気がして目を覚ます。もぞもぞと窓の外を見てみれば、朝食のときよりもだいぶ空は暗い。


(気のせい……?)


 だが、遠くで重い扉が閉まる音が聞こえ、悠花は飛び起きた。下まで走っていくには時間がかかる。一瞬の躊躇の後に、バルコニーから下を見下ろした。


「あ……!」


 兵士に追い立てられるように、鉄仮面が連れられていく。


「なんで……」


 一瞬、鉄仮面が振り返ったような気がした。しかしそんな素振りすら兵士たちは許さず、手枷に付けた鎖を無理やり引っ張っていく。

 まだ薄暗い中、悠花は鉄仮面の鎖の音が聞こえなくなってもしばらく、呆然と鉄仮面が連れられていった方向を眺めていた。

Intorno all'idol mio

マルコ・アントニオ・チェスティ作曲。オペラ『オロンテーア』より。

Star vicinoと同じく、イタリアの古典歌曲。やっぱり高校生~大学1年生くらいが歌っていると思われる。あと古楽の人とか。

17世紀半ばごろの作品。

日本語訳は黒澤が訳したものです。


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