帰還
「フィンヴィール様をこちらへ!」
「道を開けろ!」
その日、ガリュオンの城は蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「医師とケルノン様を呼べ!」
「できる解呪は先に!」
アガリスに付いたと思われていた将軍、フィンヴィールが番を盾にされ、呪令の杭を打たれて奴隷同然に扱われていたのが分かったからである。フィンヴィールは生命維持に支障が起きる程の魔力を使い、ただ番の身柄の安全だけを託して倒れ込んだ。その場に居たアガリス軍は死滅、アガリスの王都にはフィンヴィールの副官であるフランが真っ先に向かった。今頃はガリュオン軍と合流し、フィンヴィールの番を確保してアガリスを壊滅させている事だろう。
倒れたフィンヴィールは国へ連れ帰られ、王宮で手当を受けている。まずは背中の傷を、そうして鉄仮面が外された。枕に沈むフィンヴィールの髪は黒銀から灰銀に変わっており、使ってはいけない魔力まで使い果たしたことが見て取れる。そして頭の横からは、フィンヴィールの鱗と同じ、黒銀に輝く角が生えていた。
「フィンヴィール、戻ってきたんだって?」
慌ただしく動く人間の間に、どこか気の抜けた声がする。
「ケルノン様! フィンヴィール様が……!」
「はいはい、ちょっと診せてねぇ」
ケルノンと呼ばれた、鉄紺の髪をし片眼鏡をかけた男が、フィンヴィールに手をかざす。仄かな光が手のひらから溢れ、フィンヴィールの周りを舞った。
「あっ…………やば」
「『やば』!?」
「いやいやいやいや、まずいよこれ。どうなったらここまでなるの……」
どこかへらりとした表情をしていたケルノンが、眉をしかめる。フィンヴィールよりも幾分年上のこの男が、そんな表情を見せるのは珍しい。
「魔力回路がズタズタだ。呪令の杭を差し引いてもそう。髪も色が抜けてるし、この子何したの」
「杭で魔力を奪われていたところに、生命魔力で力押しをして喉の呪を破ったと思われ……」
「だから脳筋はやめろって僕は言ったのにさぁ……」
フィンヴィールに幼い頃から魔法を教えたのはケルノンだ。だからこの生徒の、悪癖は重々承知している。フィンヴィールは魔力量が多かった。それこそ師であるケルノンよりもずっと。だから最終的には力押しでなんとかなると覚えてしまった。それ以外にも方法は色々あるのに、最短ルートが見え、行えるだけの力があるので回り道が目に入らない。
「結果は同じでも成果は変わるって、僕ずうっと言ってきたのにさぁ……」
「愚痴はフィンヴィール様に直接言っていただきたいのですが……持ちますか?」
「んー……怪しいなあ。術者が居ないから杭は抜かなくちゃいけない。でもこのズッタズタの魔力回路にいつもの魔力量が溢れたら、多分死ぬ」
「そんな……」
「でもまぁ、僕も愚痴は言ってやりたいからね。なんとかしよう」
ケルノンがフィンヴィールの胸に手をかざすと、ゆっくりと杭が抜け始める。手のひらの上昇に合わせるように抜けていった杭は、不思議なことに抜けきっても宙に浮かんだままだった。
「んー……まずいのは比例しない魔力量だからぁ……」
杭を眺め、それを包み込むようにしたケルノンの両手から淡い光が出、杭を取り巻く。……と、ほとんど黒に見える赤色だった杭に、薄青い筋が走り始めた。
「余分な魔力は吸っちゃって、流すようにしてぇ……」
薄青い筋に覆われた杭が、また押し込むような手のひらの動きと一緒にフィンヴィールの胸に戻っていく。
「はい。魔力回路がまた繋がるようになるまでの対処療法。魔臓から伸びる回路に流れる魔力量だけを確保して、後は杭が吸うようにしちゃった。時間はかかるけどまた回路は繋がるだろうから、そうしたらお役御免かな」
「ケルノン様……!」
「余剰魔力は、僕が研究に使うくらいの役得はあってもいいよねぇ」
どこか冴えなく、だらしのない雰囲気を受けるが、ケルノンはガリュオンで最も魔法に優れた者である。天才と言ってもいい。そのケルノンの診断に、その場に居た者たちは胸を撫で下ろした。
「意識はどれくらいで戻りますか?」
「どうだろうねぇ。生命維持に問題がなくなったらだと思うけど……まあ、髪と角はしばらく戻らないだろうね。角はまあ、無茶の代償としてみんな笑ってやればいい」
竜は、成長の過程で角が生える。魔力の器の大きさが決まり、角が生えるのが大人の入口で、十全に満たされた魔力を操作して角を消せるようになれば大人として見られる慣習がある。『角の生えた若造』『この間角が生えたと思ったのに』は、よく年かさの竜が言う言葉だ。――つまりフィンヴィールは『いい年をして角を生やしたままの者』としてしばらく生暖かい目で見られることになるのである。
「……安心しました。ケルノン様にも、陛下から何か報奨が贈られるのでは」
「嫌だよ! 僕は魔法の研究ができればいいだけなのに、持ってくるのは仕事や見合いなんだから! 魔法教師まではまあ、仕方がないからやるけどさぁ」
ケルノンの言葉に、フィンヴィールの部下は苦笑した。……と、そこにまた誰かが駆け込んでくる。
「フラン様が戻られました!」
フランは、フィンヴィールの副官である。職務上、最も信頼している部下だと言ってもいい。戦場でフィンヴィールの血を吐くような言葉を聞き、真っ先に飛び立ったのもフランだ。
「フィンヴィール閣下は」
フランが赤い髪を僅かに揺らしながら、部屋に入ってきた。
「僕が治療したよ。まだ目は覚まさないかな」
「そうですか」
「そっちこそどうだった?」
ケルノンが水を向けると、フランは無骨な顔を多少曇らせた。
「報告します。将軍のおっしゃっていた西の塔は、確かに将軍と誰かが居た痕跡がありました。しかし人影は見当たらず、誰も降りませんでした。ただ、女性が居たと思われる部屋の、ベッドの足にはシーツ等を繋ぎ合わせた縄があったので、脱出されたものと見ています」
「……うわぁ、なんて巡り合わせだ……」
「アガリスはいかがされましたか」
「制圧済みだ。フィンヴィール閣下の番がどうして捕まったかも聞いた。使用した魔法陣は床ごと、塔もそのまま根本から折って持ち帰っている」
「なら僕は、この子の容態を見ながら魔法陣を解析してみようかな~」
「……あの、番が居なかったことを将軍には」
部下の言葉に、ケルノンとフランが苦い顔をする。
「今は言わないほうがいいと思うなぁ。魔力回路がボロボロなだけでも負荷が大きいのに、その上精神的な負荷までは与えないほうがいい。『保護している』『まずは身体を治せ』って言っといたほうがいいよ」
「俺も同感です。生命の危機にあるとき、それを覆せるのは希望だけでしょう」
「ぜーんぶフィンヴィールが起きてからになるけど、身体が持ち直すまでは箝口令で」
「承知いたしました!」
フィンヴィールには残酷な嘘だが、仕方ない。
「まあ、番が居るって思わせておけば、回復も早いでしょ」
「その分、真実を告げた時が怖い気もしますが……」
「追跡魔法くらいはかけてるでしょ。探知魔法を使えるようになるまではまだまだ時間がかかるから、いい時間稼ぎだ」
竜は己の番が見つかると、追跡魔法をかける。マーキングである。1度かけてしまえば、地の果てであっても迎えに行ける。大陸のどこに逃げても番を竜が追うというのはそういうことだ。番に偏執的な竜の、恐れられているところでもある。人間でも魔力が高ければ行使できるので、特別な魔法というわけではない。ただ、1人の相手に一生使い続けるのは竜くらいのものである。
「フィンヴィールが元気になったら迎えに行ってもらえばいいよ」
「そうですね。まずは、目を覚まされれば……」
危機は脱したと言っても、フィンヴィールは血色も悪いまま目を覚ます気配もない。最後に見たときよりずっとやつれてしまった顔を、周りの者は沈痛な面持ちで見つめていた。




