トラブルに巻き込まれました
暴力描写があります。
ちゃんと最終的にはハピエンで終わります。
「――、―――――――――! ――――――!」
新しい街で、悠花は天幕の中呼び込みの声を聞きながら発声練習をしていた。前の町はあの事故で、滞在を途中でキャンセルしたらしい。新しい街はまた古く、大きく、街の中央には城のようなものがある。悠花たちは露天が集まる広場にまた天幕を設置していた。
(今日も、お客さん多そうだな……)
一座が公演を始めて数日。いつものように悠花の歌目当ての客が押し寄せていた。街が大きいこともあり、寝る時以外は変装を求められる。事故はあったが素顔で出歩けた前の町の気軽さが、少し懐かしくなった。
(まあ、商売のためだし仕方ないよね)
もっと稼いで、冬を過ごせる場所に行かなくては。老人組は、寒さが身体にこたえるらしい。もっと稼げば、温かい毛布だって買えるかもしれない。子供たちだって、上着を着せれば鼻水を垂らさなくて済むかもしれない。悠花が人を呼べれば、みんな幸せになれるのだ。
「今日も頑張ろ!」
悠花は自分の出番に向けて、気合を入れ直した。
毎日リュートの伴奏で歌うのも飽きられそうで、今夜は1人で舞台に立つ。ピアノ伴奏の歌曲を2つと、オーケストラのオペラアリアを1つ。悠花が舞台に現れると、それだけで客席が湧いた。
(慎重に、音の出し方を気を付けて……)
身体に力を入れてはいけない。でも、腹筋で支えなければいけない。使う場所と使わない場所を考えながら、音に言葉を乗せていく。
柔らかな曲を、激しい曲を、彩りを変えて箱に詰めるように。
(静かだ……)
歌いだせば、客席からは僅かな息遣いが聞こえるだけ。音を出しているのは、舞台の悠花ただ1人。緊張は頭の隅に追いやり、ただ歌を届けることだけを考える。
最後のオペラアリアの、美しいハープの音色。小波のように、水面に広がる波紋のように、前奏が流れていく。
「――Měsíčku na nebi hlubokém, (空高くに浮かぶ月よ) světlo tvé daleko vidí, (汝の光は遠く)――……」
僅かに顔を上げ、そこに月があるかのように語りかける。
「――po světě bloudíš širokém, (広い世界を彷徨いながら) díváš se v příbytky lidí. (人々の住処を覗き込む)――……」
夢見る乙女のような、柔らかな声。
「――Měsíčku, postůj chvíli, řekni mi, kde je můj milý! (月よ、しばし歩みを止めて、愛しい人の居場所を教えておくれ!) ――……」
愛しい相手を思う、美しい歌。悠花の顔は客には分からないのだから、その他の表現力で勝負するしか無い。
「――Řekni mu, stříbrný měsíčku, (銀の月よ、彼に伝えておくれ) mé že jej objímá rámě, (私の腕が抱きしめていると)――……」
(でもきっと、この曲の美しさは伝わるはず……)
この世界の音楽は、ルネッサンスや中世のものに近いのだと思う。街を歩いていても見かけるのは、リュートやヴァイオリンのような楽器だけだ。それでいて紙袋があり、チョコレートがあり、文化の面では悠花の知っている中世とは異なっている。だから悠花の歌が伝わるのだろう。
調性に則った、美しい響き。それは現代ですら残って悠花の胸を打つのだ。ずっと昔の人間にも、通じるに違いない。現に、リュート弾きは悠花の歌う旋律を好んでいるようだった。そしてそれは、リュート弾き以外の観客も同じだろう。
「――aby si alespoň chviličku (彼が夢の中で) vzpomenul ve snění na mne. (私を思い出すように)――……」
自分の歌を、耳に留めてもらえるように。ほんの一時のことでも、思い出に残るように。
「――Zasvit mu do daleka, (どうか遠くまで照らしておくれ) řekni mu, kdo tu naň čeká! (ここに彼を待ち侘びている者が居ると気付くように!) ――……」
どうしたら、歌に想いが乗るのだろうか。音を正しく出し、その音に乗せられた単語の意味を、正確に理解する。詩と旋律は切り離せず、詩の意味が旋律で表される。悠花はそれを表現するために、必死で音をなぞっていた。
「――O mně-li duše lidská sní, (彼の魂が私の夢を見るのなら) at' se tou vzpomínkou vzbudí! (その記憶とともに目覚めさせよう!)――……」
呟きのような、レチタティーヴォ。自分に言い聞かせるように、手を胸の前で握る。
「――Měsíčku, nezhasni, nezhasni! (月よ、消えるな、消えないでおくれ!) ――……」
感情を爆発させたような、強く高い音。最後の一音を歌い終え、息を吐く。悠花は客席の緊張が解けないうちに、礼をして裾に捌けた。
「今日もよく歌ったなあ」
天幕の中、本番の緊張が解けた悠花が息を吐く。
「また明日の昼間は、踊り子ちゃんと街でも見ようかな」
新しい街は、見て回るのも楽しい。どこも古くて、ヨーロッパの古い街のようだ。春や初夏は、きっともっと綺麗なのだろう。
悠花が着替えようとしていると、急に外が騒がしくなった。
「……どうしたんだろ」
騒ぎが気になり、そのまま外に出る。すると、その場にいた全ての人間の視線が悠花に突き刺さった。
「え……?」
団員と、見慣れない男たち。あまり人相のいい人間ではなく、反射的に足がすくむ。
(何……?)
知らない男たちは、悠花を指さして話している。
(……わたしがあそこから逃げたのが、バレた……!?)
その可能性に思い当たり、血の気が引いた。もしかしたら男たちは、悠花を追ってきたのかもしれない。
(……また、あそこに戻されるの……?)
鉄仮面は無事だろうか。いや、悠花が連れ戻されるのなら、まだ無事でいるのだろう。預かった手紙は信用できそうな場所に預けた。悠花が連れ戻されても、鉄仮面が助けを求めているのは伝わっているのではないかと思う。
「――――……!」
「え……」
踊り子が、泣きながら抱きついてくる。男たちは書類を団員に突きつけ、悠花を連れて行こうとしているようだった。
「……大丈夫。わたしが行けば、きっと皆に酷いことはされないよ」
怖い。でも、一座に迷惑をかけるわけには行かない。
「わたし、この人たちと行く」
男たちを指差すと、踊り子が泣きながら首を横に振った。
「ごめんね、ありがとう。……わたしの、ここでできた初めてのお友達」
自分より年下の子を心配させたくない。悠花は笑顔を作ってみせた。
「自分の荷物を取ってきます」
旅をしていたこともあり、あまり荷物は増えていない。悠花は自分のリュックに全てを詰めると、男たちを見た。
「……っ……」
男たちの、ニヤニヤとした顔が気持ち悪い。絡みつくような視線に、寒気がした。
「みんな、本当にありがとう。座長にもお礼を言いたかったけど……居ないんだね」
ベールとカツラを取って、団員を見る。一様に辛そうな面持ちで、悠花を見ていた。
「楽しかった。本当にありがとう。じゃあ……さよなら」
悠花の腕を、男が掴む。それを見て、誰かが息を飲んだようだった。
「……そんなことしなくても、付いていきます」
鉄仮面への扱いを見ていれば、自分もどんな目に遭わされるのか分からない。でも、弱いと思われたくなかった。
腕を引っ張られて連れて行かれる間も、振り返れば皆悠花を見ていた。ある者は泣き、ある者は辛そうに。
(……そんな顔してもらえるくらい、仲間になれてたんだ……)
独りじゃなかった。それが悠花にとって、どれだけ心強かったことか。塔に戻れば、また鉄仮面が待っているだろう。
(……元気かな。ちゃんとお手紙は渡したって伝えなきゃ……)
しかし、悠花の行き先はあの塔ではなかった。悠花はカビ臭い地下牢に入れられたのである。
「……ぅ……っ、ひ…………っ」
(何で何で何で何で何で何で何で何で)
冷たく、薄暗い牢の中、悠花はその隅で震えていた。怖い。怖くて堪らない。どうしてこんなことになったのか、全く分からなかった。
(ここは……)
一座から連れ出され、悠花が連れてこられたのはある館だった。あの国に関係があるのかとも思ったが、どこか雰囲気が違う。
(そっか、紋章が無いんだ)
最初に入った城の中には、いたるところに紋章のタペストリーが飾られていた。ここにはそれもなく、ギラギラとした家具や装飾品で溢れている。
(……じゃあ、わたしは何で……?)
あの国とは関係が無かったのか。だとすればここは、何なのか。男たちに連れられて部屋に入ると、待っていたのは肥え太り、嫌な目をした男だった。
(……わたし、まずいんじゃ……)
何かを、間違えたのかもしれない。どう見てもまともではなさそうな相手に、怖気と警戒心が沸き立つ。
「―――――――――――」
「え……?」
目の前に出されたのは、水晶玉のようなもの。これは前にも見覚えがある。
(これ、お城で触らされたやつ……?)
どうしようかと思っていると、悠花を連れてきた男に腕を掴まれ強引に触れさせられた。何が起こったのか分からない。これに触れさせられる意味も、悠花には分からなかった。
「―――――! ――――――、――――――――――!」
「…………」
太った男の顔に喜色が浮かぶ。しかし悠花には、それが良いことのようには思えなかった。
「――――――――。――――――」
「! 待って、返して……!」
悠花リュックが奪い取られる。
「それは全部わたしの……!」
楽譜も、スマートフォンも、全てが入っている。それを取られるわけにはいかなかった。
「返して! 返し…………うっ……!」
腹に響く衝撃。それをもろに受け、床に転がる。
「ぉえ……っ、げほ……っ!」
何が起きたのか分からなかった。胃の中のものが、一気に逆流する。悠花はその場で胃の中のものを全てぶちまけた。
(なに、が……なんで……?)
苦しい。痛い。腹を殴られたのだと理解するまでに時間がかかる。息を吸いたくても吐き気が勝り、胸が苦しい。酸欠で吐き気の中視界が暗くなりそうになる。
「……はっ……はっ……」
「――――。――――――――――――」
悠花がぐったりとして呼吸を繰り返すだけになったころ、男が何かを言った。
「何で……何で……」
それからのことは思い出すだけでも悍ましい。服を剥ぎ取られ、身体の隅々を調べられ、胸に不気味な針を埋め込まれた。その後に、この地下牢に放り込まれたのである。全てが嫌だったが、また殴られるかと思うと抵抗もできなかった。
「誰か、助けてよぉ……」
うずくまる悠花の横で、スマートフォンだけが無機質に光を反射していた。
Měsíčku na nebi hlubokém
アントニン・ドヴォジャーク作曲。オペラ『ルサルカ』より。
ロマン派ど真ん中と言った感じの、叙情的な美しいアリア。だいたい『人魚姫』だけど、王子も自分が死ぬの分かっててルサルカ探しに来るところ、とてもいい……。
アンデルセンの方の「人魚は人間じゃないので魂がありません! でも最後に魂がもらえて天国でHAPPY!」みたいな宗教的ハピエンじゃなくて、しっとりしたバドエンなので日本人的にはしっくりきます。悲劇的な心中とか、歌舞伎の時代からよく見るやつ。
レチタティーヴォ
オペラはミュージカルと違い、全編歌っています。そのオペラの、アリア(一般的に想像される歌の部分)ではなく、語りの部分をレチタティーヴォと言います。
イタリア語でもドイツ語でも、喋っているように旋律がついているので、ちょっと不思議に思う箇所かも。
個人的にはアントニオ・サリエーリとかはイタリア語の発音の強弱に無理なく音が当てられててすごいなと思います。アリアも言葉に無理なく音がついてる。




