新しい街に来ました
旅というのは、こんなにも恐ろしいものだったのだろうか。獣が出たのはあの時だけではない。夜に不寝番が必要な理由を、悠花はやっと理解した。
(あんなに、平和だったのに……)
あの穏やかな夜の時間は、幻のように消えてしまった。暗闇からいつ現れるか分からない獣に怯え、眠りが浅くなる。だから新しい街に着いた時は、心底ほっとした。これで怯えずに夜を過ごすことができるのだ。
(ここも、大きい街だな……)
獣が入りこまない城壁の、なんと頼もしい事か。さらには河から堀に水が引かれ、跳ね橋を通らなければ中へは入れず、街の奥には城の尖塔が見える。ここで夜を過ごせる安心感は計り知れないが、逆を返せばこれほどの防御を固めていないとこの世界は安心できないと言うことだ。
(……絶対、みんなと離れないようにしよう……)
獣人の少年や熊獣人、大人の男衆はだいたい武器を扱える。戦闘に加わらないのは、リュートを弾く男や老人くらいのものだ。女衆も、人によっては魔法や弓で戦闘に加わることもある。いつも料理を担当している、肝っ玉母さんのような女性がとんでもない大きさの炎を出したのには驚いた。どうやら彼女は、火の扱いに長けているらしい。
「――、――――!」
たどり着いた広場で、荷物を下ろしていく。荷下ろしを手伝おうとしたところで、悠花は天幕に引っ張り込まれた。
「え……何?」
渡されたのは、衣装とカツラである。
「……早くない?」
しかし悠花の疑問をよそに、カツラとベールを被らされたところで観念した。
(また、プロモとかそういう事なのかな……)
着替えて天幕を出ると、リュート弾きの男が待っている。
「……なるほど、歌えってことね」
新しい街で、一座が何をするのか誰も知らない。それなら客寄せのために歌うのはいい宣伝になるだろう。
「すみません、ちょっと発声させてください」
やるなら、本気で。喉を温めながら、歌う曲を考えていく。
(公演より派手じゃなくて、気軽に人が足を止めそうなもの……)
この街角に似合うのは、オーケストラよりも吟遊詩人だろう。今、悠花の横にはそれにふさわしい伴奏者がいる。
「Hark……この曲を、お願いしたいです」
発声を終え、悠花が地面に文字を書く。言葉は通じない。このリュート弾きと認識を同じくできるのは、音楽のみ。だから題名の最初の数文字を抜き出し、曲と組み合わせることを考えた。言葉が通じなくても、知らない文字でも、記号として覚えてもらえればいい。悠花の書いた文字を見て、リュート弾きは旋律を鳴らしてみせた。
「それです。もう1曲、歌います」
立てている指は3本。1曲目の曲が今のものだと、己の中指をもう片手の人差し指で叩いて見せる。
「もう1曲は、これを」
地面に書いたのは、『Full』の文字。それを見て、リュート弾きは頷いた。
「それで……最初の1曲は、あなたに」
己の人差し指に触れ、触れた指をリュート弾きに向ける。リュート弾きはしばらく考え、どこか不敵な笑みを浮かべた。
「よし、行きましょ!」
自分たちの歌が、公演の足がかりになる。関心を惹き、満足させきってもいけない。もっとすごいものが見られるぞ、と道行く人を誘うのだ。
リュート弾きが椅子に腰を据え、悠花がその横に立つ。その後ろでは、まだまだ一座の皆が忙しく荷解きをしている。そんな中で、リュートの音色が聞こえ始めた。
(うわ、わたしのオペラアリアのアレンジじゃん……!)
悠花が歌う、悲しげなオペラアリア。それがリュート(?)の音色で、しっかりと編曲されている。
(自分が歌うのと全然違うし、それに編曲できるのもすごいな……)
すでにあるものをなぞるだけの自分と違い、どれほど素晴らしいか。悠花はベールの下で、独り感心した。
耳馴染みのない旋律に脚を止めるものも現れ始め、徐々に人だかりができてくる。リュートの独奏が終わり、今度は悠花が一歩前に脚を進めた。
「――Hark,hark! the lark at heav’n's gate sings,(聞け、聞くがいい! 天の門でヒバリが啼いている) ――……」
最初の1音を鳴らしてもらい、声を出す。ヒバリが飛び上がるように装飾された音が人々の足を留めた。
「――And Phoebus 'gins arise,(そして太陽が昇りはじめ) His steeds to water at those springs On chaliced flowers that lies; (彼の馬はその泉で汲んだ水を飲む)――……」
伴奏に対して、丁寧に音を乗せる。練習中、音が合わないと注意された箇所には特に気を付けて。
「――And winking Mary-buds begin To ope their golden eyes: (そしてカレンデュラたちが、金色の瞳を輝かせる) ――……」
(みんな、足を留めてこっちを見て……!)
この街に、何がやってきたのか。ここで新しく、何が見られるのか。
「――With ev’rything that pretty bin, My lady sweet,arise.(この美しいものと一緒に、愛しい貴女よ、起きてください) ――……」
1曲目を歌い終え、悠花は息を吐いた。そしてまたすぐ、伴奏に視線を送る。
最初の1音をもらい、息を吸って歌を吐きだした。
「――Full fathom five thy Father lies, (汝の父は五尋の海底に眠る)――……」
不思議な、おとぎ話のような歌詞。それが一座にふさわしいと思えた。
「――Of his bones are Corrall made: Those are pearles that were his eies, (骨は珊瑚でできており、両目は真珠でできている)――……」
悠花には裏側が分かっている。でも、観客に見せるのは『夢』だ。
「――Nothing of him that doth fade, (色褪せる事も無く)――……」
一夜の、思い出に残るような夢。それを見に来てほしい。
「――But doth suffer a Sea-change Into something rich and strange (だが海の力で、価値のある不思議なものへと変わってしまった)――……」
見た人は、何を思うだろうか。何を思って、天幕を出ていくだろうか。自分の歌が、少しでも思い出に残ってくれればいいと思う。
「――Sea-Nymphs hourly ring his knell. (海の妖精たちは時ごとに彼の弔いの鐘を鳴らす) ding-dong,――……」
(シェイクスピアの頃の曲なら分かりやすいんじゃないかな、なんて思ったけど……上手くいくかな)
リュートに合った、素朴で明るい旋律。きっとそれは耳馴染みのあるものなのではないだろうか。
「――Harke now I heare them, (今私達はそれを聴いている) ding-dong,bell. ding-dong,bell. ――……」
鐘の音を歌い上げ、身体の力を抜くと一礼する。
(……みんな、動かなくなったな……)
どうしたものかと伴奏者を伺うと、撤収するように合図が返ってきた。
(よし、捌けよう!)
自分よりも場慣れしたリュート弾きが言うのだから間違いない。悠花は固まる聴衆を前に、そそくさと天幕の方へ引き返した。
Hark,hark! the lark at heav’n's gate sings
ウィリアム・シェイクスピア『シンベリン』より。
作曲はロバート・ジョンソンのもの。シェイクスピアと同時代の人気の作曲家で、シェイクスピアの舞台の歌を作曲していたらしい。
詩自体はいろんな言語に翻訳され、いろんな作曲家が曲を付けている。シューベルトとか。
音が合わない
この、ルネッサンスの時代の音階は純正律という響き重視の音階が使われていた。1オクターブ内の、音の幅が均等ではない。そっちの方が響きがきれいだから。1オクターブを均等割したのが平均律。ピアノは平均律だが、チェンバロは今でも純正律で調律される。ルネッサンス~バロックの音楽は、純正律で演奏された音源も多々ある。バロックあたりから平均律が浸透し始め、古典派以降は平均律が主に使われている。
楽器なら調律されたものを弾けばいいが、歌の場合はフラットを高め、シャープを低めに出すと純正律の音になる。
Full fathom five thy Father lies
同じく、シェイクスピアとジョンソン。『テンペスト』より。




