耳コピをしてもらいました
ガタゴトと、馬車は走る。荷物用の馬車が1台増え、悠花たちが乗っている馬車は随分と広々した。ハーフアップにした悠花の髪には、踊り子とお揃いの髪飾りが揺れている。
(あの街、儲かったんだなあ)
今までに見たこともないほどの、大きな街。人も多く、いつもの天幕には収まりきらないほどだった。最後の数日は、昼の悠花の歌だけ別の劇場を借りていたくらいだ。そのあたりに契約的なものがあるのかはさっぱり分からないが、求められれば歌えばいい。
(街を出るときも、いっぱい手を振ってくれる人がいたし……)
ただ、途中から悠花は就寝用の天幕の外に出る時は、いつものカツラとベールの着用を厳命されていた。きっとプロモーションの一環だったのだろう。
(……あの歌姫の中身がコレっていうのは……やっぱり、知られるとまずいよね……)
見た目を盛りに盛っているのだ。素の悠花とのギャップが大きければ大きいほど、観客を落胆させてしまうかもしれない。
(売れるためなら、演出も大事だし……)
必要なのは、この一座が儲けられることだ。寄る辺ない悠花には、とにかくこの一座が安定していてもらえないと困る。そのためなら顔を隠そうが気にはならなかった。
「やっと休憩だ……!」
見通しのいい原っぱで馬車を停め、団員たちが思い思いに散っていく。旅の食料も買い込んだので、今日の昼食は手伝わなくてもいいらしい。
(楽譜でも読もうかな)
そう思って腰を下ろすと、リュートのような弦楽器の音が聞こえた。
「……ん?」
それは、知っている旋律だ。顔を上げると、リュート(仮)弾きの男が好きに楽器を奏でている。
「それ、わたしが歌った曲……?」
声をかけると、悠花よりはだいぶ年かさの男は小さく笑った。そしてまた、悠花のレパートリーを奏で出す。
「耳コピできるんだ。……あれ、それって……」
(この人の伴奏で、歌うのもできるのでは……?)
今の悠花の伴奏は、インターネットにある伴奏用の音源だ。それを生演奏の伴奏にすれば、今とは少し違う、真新しさが出せる気がする。
「……あの、お願いがあるんですけど」
悠花は男の目を見て、話しかけた。
「それで、この曲……弾けそうですか?」
自分も知っている曲で、リュート用に編曲された音源を探し出す。それを聞いてもらうと、男は悠花の目を見た。そして曲が終わると、指を1本立てる。
「もう1回? 分かりました」
何度か曲を繰り返し、男は自分の楽器を手に持った。指先が弦を弾き、そこから奏でられるのは間違いなく悠花の聴かせた曲。
(野生の音楽家、すごい……!)
数度聴いただけで覚えられるなんて、悠花には無理な話だ。それができるのだから、どれだけレベルの高い人なのかと思う。演奏を終えた男に惜しみない拍手を送り、今度は悠花が指を一本立てる。男は悠花に微笑むと、もう一度曲を弾いてくれた。
「――Amarilli, mia bella(アマリッリ、私の美しい人) non credi, o del mio cor dolce desio(何故信じてくれないのだ、私の甘い憧れである人よ) d`esser tu l'amor mio(貴女が私の愛する人であると?) ――……」
曲に合わせて歌い出すと、男が驚いた顔をする。ほんの一瞬視線を投げかけて、悠花は歌を続けた。
「――Credilo pur(どうか信じておくれ) e se timor t'assale(もし不安が貴女を襲ったとしても) dubitar non ti vale.(貴女が不安になることは何もない) ――……」
素朴な伴奏に乗る、素朴な旋律。呼吸に、音の高低に合わせて、悠花の歌いやすいように僅かに速さを変えてくれる。
(歌いやすい……!)
いつもの、伴奏に自分が合わせるのではなく伴奏が合わせてくれる。それだけで、羽が生えたように歌いやすい。
歌い終わると、悠花は男に向かって笑いかけた。
「あの……舞台で伴奏してくれませんか……!」
曲は限られてしまうが、今までより素晴らしく歌えるものはきっと増える。
「わたし、もっとこの楽器で歌えそうなものも探しますから……!」
あわあわと説得していても、男は困ったように首を傾げている。と、そこに座長が近付いてきた。
「―――――、―――」
「――――――?」
「――――――――――」
座長が何かを男に言い、男が頷く。それを見て、座長は悠花と男の肩に手をかけた。
「説得、してもらったってこと……?」
分からずに、自分と男を交互に指差す。その仕草に、座長は頷いた。
「ありがとうございます! これからよろしくお願いします!」
悠花の差し出した手を、男が握り返す。こうして悠花は、伴奏者を手に入れた。
「こっちの曲、どうですか?」
揺れる馬車の中で、悠花は探してきた曲を男に聴かせていた。イタリア語、英語……楽譜は無いが、頑張れば耳だけで覚えられそうだ。
「明るい曲と、暗い曲も合わせたいんですよね」
イタリアの曲は恋の歌が多い。英語の曲は、シェイクスピアの詩のものが多い。調べれば調べるほど、歌いたい曲が増えていく。
「でもやっぱり最後はオペラアリアで終わりたいから、配分が難しいなー」
伝わっていないのは分かっていても、音楽のことを話しているのは楽しい。
(……そういえば、鉄仮面さんもこんな感じでわたしの話すこと聴いてくれてたな)
助かったのだろうか。それともまだ、あの牢に閉じ込められているのだろうか。
(……無事だといいな)
いつか、また会えたら。でもきっと、顔も名前も知らない相手にそれを望むのは難しいだろう。悠花にできるのは、無事を祈ることだけだ。曲の合間に、ぼんやりとそんな事を考えていた時だった。
「――!」
「――! ―――――――!!」
「!?」
怒鳴り声が思考に割って入り、慌てて顔を上げる。馬車からは数名が武器を手に飛び出していき、尋常ではない状況なのだと思った。
(何が……起こってるの……?)
男たちの怒鳴り声と、恐ろしい唸り声。ぶつかっているような音に、獣じみた悲鳴。
恐怖に震えて、様子も伺えない。息を潜めるようにしていると、踊り子が外の様子を伺った。
「――――……」
踊り子の影からそっと外を伺うと、黒い狼のような影が男たちを襲っている。
「ひっ……!」
その光景に、悠花は思わず息を飲んだ。ここは悠花の居た日本ではない。それは分かっていたはずなのに、現実に人間を襲う獣にその落差をまざまざと突きつけられたようだった。
獣の遠吠え。座長の叫び声。そして、獣の悲鳴。どうやら座長の酒を、誰かが獣の鼻先に叩きつけたらしい。
「―――――!」
怯んだ獣を、男たちが寄って集って狩っていく。やがてズタボロの布切れのようになった獣は、その場から動かなくなった。
そこまで見て、踊り子がほっとしたように息を吐く。静かにしていた子供たちをねぎらっているのを見て、悠花もやっと緊張が解けた。
(……やっぱり、怖い……)
悠花の知っている常識とは、全く違う。自分ひとりでは、到底生きていけない。
(ずっと、ここに置いてもらえるようにしないと……)
自分は役に立っているとは思う。でもそれに慢心して、嫌われてもいけない。悠花には、寄る辺がどこにも無いのだ。
動き出した馬車の中、悠花はいつまでも青い顔をしながら遠ざかっていく獣の死骸を眺めていた。
Amarilli
ジュリオ・カッチーニ作曲。
日本で声楽を習う人ならみんな知ってるであろう曲。何故なら日本で一番ポピュラーな楽譜の、1冊目の1曲めがこれ。原曲では『dubitar non ti vale.(貴女が不安になることは何もない)』の部分は『prendi questo mio strale(私の矢を掴みなさい)』となっている。……何で歌詞が変わってるのかって? 『矢』が何の象徴かな? って事です。シモネタです。だから発禁食らう前に歌詞を変えたようです。でも歌詞を通して見ると、何が『不安を貴女が襲ったとしても私の矢を掴みなさい』だ馬鹿野郎!! って気持ちになる。クラシックだからって格調高いと思ったら大間違いだ。いい曲です。
探してみると、他にも歌詞がド下ネタなクラシックはあったりします。中世の頃の『世俗曲』と言われる、教会ではなく街の酒場とかで歌われてたもの。旋律だけは教会の宗教曲を使って、シモい歌詞に替え歌してたりもする。何なら当時の教会音楽の大先生が作曲してたりもする。CDで言うと『ラブレーの楽しい集い』ってCDにそういう曲がいっぱい入ってます。シモネタでも、500年経つと格調高い扱いになるのだなあ。




