旅芸人になりました
うっかり昨日これをアップしてしまったので、見た方もいらっしゃるかもしれません。
こちらは3話なので、前の2話をお読みください…。
(ほんと、運が良かった、けど……)
森で旅の一座と出会って数日。悠花は一座にくっついて、町に来ていた。ありがたいことに歌で受け入れてもらったらしく、寝る場所や食事を提供してもらい、こうして馬車に一緒に乗って町にまで来ている。
(これは……)
新しい町は、やはり中世の町並みのようだった。町だけではない。歩いている人の服装も、中世のものに近いように思う。ただ衛生観念は魔法があるだけマシなようで、道中でも石鹸は無いものの清潔な水で煮炊きや水浴びができた。そうでなければ悠花もまいっていたかもしれない。
あの夜、悠花が案内された天幕の寝床は、質素ではあるものの清潔だった。他にも何人もの女性や子供が同じ天幕で眠り、悠花は寝付けないほどだった。
そうしてやってきた新しい町で、一座はさっそく大きな天幕を張っている。町の大広場にそれは設えられ、裏では一座の団員がせわしなく動いていた。何か手伝えないかとうろうろしていた悠花は捕まり、衣装を着せられ、長い長い金髪のカツラを被せられ、顔にベールをかけられている。
(なんで?)
不思議に思っていると、天幕の方で歓声が上がった。ちらりと見ると、獣人の男が連れてきた馬を肩に担ぎ上げている。と、その馬の上に、犬っぽい獣人の少年が飛び乗った。
(これ……旅芸人の一座だったんだ……)
となれば、支度をされている悠花は。
「……歌えってことかぁ」
確かに、悠花の稼げる手段などその程度でしかない。
(全然まだまだ、修行中だけど……でも、仲間に入れてもらった恩はあるし……)
「……期待されてるなら、頑張るのがプロだよね」
プロを名乗るなんてまだまだおこがましい、とは思う。しかしもう、自分にはその働きが期待されている。
「……あー……」
人の居ない方へ向かって、こっそりと声を出す。
「あ、何曲歌えばいいの……?」
支度を見ている、どうやら取りまとめ役のような女性に、自分を指差し、次に指を1本立てて見せる。
「…………」
腕を組んでこちらを見ていた女性は、少し考えると指を3本立てた。
「分かりました」
頷いてみせ、発声を続けながら曲目と曲順を考える。
(最後の1曲は、オペラでもいいかも……)
発表会でやるならそうだ。決められた時間の中で、歌曲やオペラアリアを組み合わせる。幸いにも、レパートリーは何曲かある。高校生の頃に歌ったものだが、あの頃よりは今のほうが余程上手く歌えるだろう。
喉が温まってくるに連れて、緊張と興奮が湧き上がってくる。自分は誰かの前で、れっきとした芸として歌を披露するのだと、酔ったようにそれだけを思う。
(曲は決めた。伴奏の動画も後は勝手に流れてくれる……)
準備はできた。取りこぼしの無いように、楽譜を読み返す。――と、誰かが悠花の肩を叩いた。
「あ……」
(出番だ……)
緊張する。でも、発表会の前はいつもこんなものだ。深呼吸を繰り返して、浮つきそうになる自分をしっかり地面に縫い留める。悠花は手を引かれるまま、舞台に向かって歩き出した。
「…………」
悠花の紹介をしているだろう声が、遠くに聞こえる。客席では多くの人が悠花を見つめていた。緊張しないと言えば嘘になる。でもここはもう、舞台の上だ。
(わたしは、歌う……!)
手元のスマホをタップし、伴奏を鳴らす。ゆったりとした、管弦楽の音。スマホから流れる音が珍しいのか、客席は一気に静まり返った。
「――Ombra mai fù di vegetabile, cara ed amabile, soave più(かつてこれ程に、愛しく、優しく、心地よい木陰は有りはしなかった) ――……」
優しいロングトーンが、静寂の中に響く。
(声の当て方を、丁寧に……)
高い音は、腹筋を下に引っ張ることを意識して。短い曲の中で、今日の自分のベストな感覚を掴んでいく。
曲が終わっても、観客は呆然としたように静まり返っている。そこに今度は、ピアノの音が流れ始めた。細かな音が小波のように舞っているのが分かる。
「――Una povera rosa è rinserrata Nel tuo piccolo libro di preghiera:(哀れな薔薇が、小さな祈りの書にまた挟まれている)――……」
きらめくようなピアノの音をまとって、悠花は歌い始めた。
「――Una povera rosa di brughiera Che la lunga stagione ha disseccata.(長く干からびてしまった、哀れな荒れ地の薔薇が)――……」
今は色褪せてしまった思い出が、遠くから色付いていくように。
「――Chi te l'ha dato quel mesto fiore? (誰があなたにその悲しい花を与えた?)――……」
薔薇をくれた人との別れを思い起こさせる、悲しい響き。
「――Qual ti rammenta sogno gentil? (誰があなたに優しい夢を思い出させる?)――……」
しかしまだ、情熱は奥底に燻っている。
「――“Ahi,” tu rispondi,”Fugge l'amore! Fuggon le splendide sere d'april!” (ああ! あなたは答える。『愛は逃げる! 4月の素晴らしい夕暮れから逃げていく!』)――……」
忘れられない。忘れられるはずがない。
「――Or muta la contempli,e,d'improvviso, Ti si vela di pianto la pupilla:(今、あなたは言葉もなくそれを見つめる。目にいっぱい涙を溜めて)――……」
枯れた薔薇に、枯れぬ涙。
「――Or,la baci,tremando,e disfavilla Su la tua fronte,un vivido sorriso!(今、あなたはそれに口付けけ、眉間には鮮やかな微笑みが浮かぶ!)――……」
今再び、鮮やかに色付いたあの頃の思い出。
「――Chi te l'ha dato quel mesto fiore? (誰があなたにその悲しい花を与えた?) Qual ti rammenta sogno gentil? (誰があなたに優しい夢を思い出させる?)――……」
しかし、全ては終わったこと。手元に残るのは枯れた薔薇だけで、あの人はもう隣にはいない。
「――“Ahi,” tu rispondi,”Fugge l'amore! Fuggon le splendide sere d'april!” (ああ! あなたは答える。『愛は逃げる! 4月の素晴らしい夕暮れから逃げていく!』)――……」
思い出だけを残して、歌が終わる。やはり観客は、じっと悠花の歌声に耳を済ませていた。
(もう、最後の曲だ……)
どうか、観客の心に残るように。今日の事を忘れないように。そんな事を思いながら、アリアの前奏を聴く。
「――Convien partir O miei compagni d'arme(さようなら、わたしの戦友たちよ)――……」
切ない別れを嘆く歌。
「――E d'ora in poi lontan da voi fuggir(そして今、遠く離れなければいけない)――……」
非情な運命の前には、大切な人との別れが待っている。
「――Ma per pietà Celate a me quel pianto(でも悲しんでくれるのなら、どうかその涙は隠して)――……」
でも、だからこそ泣かずに見送ってほしい。最後の別れを涙で染めてしまいたくない。
「――Ah! Il vostro core per me È supremo incanto(ああ、あなたの気持ちは、とても心惹かれるけれど)――……」
大切な人たちよ。温かな愛情を注いでくれた人たちよ。
「――Convien partir Convien partir, ah!(わたしは去らねばならず、あなた達も同じ、ああ!)――……」
愛しい恋人、愛しい家族たちとの別れ。胸が引き裂かれるような、離別の悲しみ。
「――Convien partir! Addio! Voi che l'amore(さようなら、愛しい人たちよ)――……」
ずっとあなた達と一緒に居たかった。今までのように、ひとつの家族として。
「――Sin dai prim' anni A me destaste in cor(幼い頃からわたしに愛を注ぎ)――……」
忘れがたい思い出。自分を今まで形作ってくれた、全てのもの。
「――E meco divideste E gioe e affanni(喜びも悲しみも分かち合ってくれた人たちよ)――……」
それでも、別れなければいけない。本当の身分が分かってしまった今、ここにはもう居られない。
「――Il mio felice stato È in beni e in ôr mutato(今やわたしの幸せは、富や名声に変わってしまった)――……」
そんなものは、欲しいものではなかったのに。
「――Per pietà, per pietà Celate il pianto(憐れみのために、どうか泣かないで)――……」
どうか。どうか。
「――Addio, addio, convien partir(さようなら、さようなら)――……」
歌詞の感情に支配されてはいけない。支配するのは観客の感情だけで、己の感情は別のものだ。引っ張られていては、観客の心を揺さぶれない。表情を作り、高音を計算通りに出し、美しく澄んだ音で観客を満たしていく。『さようなら』。その感情をたっぷりと乗せて、『Addio』の装飾された音を歌い切った。
「…………」
余韻を残して曲が終わり、優雅に礼をする。踵を返しても、客席は静まり返ったままだった。
(……まずい……)
コンクールで入賞した覚えはある。でもそれはあくまで学生のコンクールであり、プロとはとても比べ物にはならないだろう。
(わたし、そんなに下手だったんだ……)
レッスンには当然行けていない。全て、自主練習だ。この数ヶ月の間に、変な癖が付いたのかもしれない。冷や汗をかきながら舞台裏に戻ると、取りまとめ役の女性が嬉しそうに肩を抱いてきた。
「え……」
「――――!」
(すっごく笑顔だけど……怒ってないってこと……?)
せっかく町まで連れてきてもらい、歌う準備までしてもらったのに、静まり返った観客の反応である。びくびくしていた悠花は、その反応にほっとした。
「――――……!」
「!?」
遅れて客席から歓声が上がり、驚いた悠花が飛び上がる。
「え……?」
「――、―――――!」
女性……座長に肩を掴まれ、舞台の方に向かされた。
(挨拶してこいってことかな……?)
舞台からは、進行役が悠花に向かって手招きしている。
「……!」
嬉しくなって、悠花はまた舞台上に戻った。歓声が一段と大きくなり、それに向かって一礼する。こうして悠花は、一座の花形歌手となった。
Rosa
フランチェスコ・パオロ・トスティ作曲。
ロマン派後期の作曲家。歌曲は叙情的で美しいものが多い。
Convien Partir
ガエターノ・ドニゼッティ作曲。オペラ『連隊の娘』より。
幼い頃から連隊の一員として育てられた娘、マリアが、恋人と出逢った矢先に出自が判明し、侯爵夫人に引き取られることになった。その時の、家族と恋人へ別れを告げる場面のアリア。




