番のために
怪我が治るにつれて、フィンヴィールから番が離れることも多くなった。夜は部屋に戻っていくし、昼もどうやら洗濯をしているらしく、牢の前には居てくれない。すっかり1日を過ごすのに慣れていたフィンヴィールには、少し物足りなくなっていた。
そんな日の夜更け、フィンヴィールは塔に誰かが近付いてくる足音で目を覚ました。兵士とは違う、軽い足音。鎧ではなく、衣擦れの音。ちゃりちゃりと響く、鍵束の音。
(……誰だ……?)
メイドにしては時間がおかしい。それに、彼女たちはここの鍵を持ってはいない。音の主は扉を開けると、地下牢へと駆け下りてきた。
「フィンヴィール様……!」
(この人は……)
先の夜会で紹介された相手。この国の、第一王女殿下。その人が、人目を忍ぶようにフードを被り、地下牢にやってきている。
「お会いしとうございました……! ああ、このような汚い場所に……!」
あのときの王女の、熱に浮かれたような目を思い出す。フィンヴィールと話す時は頬を紅潮させて見つめ、フィンヴィールが他の女性と話している時は恐ろしい眼で睨んでいた。そのような感情を向けられるのは初めてではないが、番ではない相手に竜は恋心を抱かない。同じ熱量は返せないと言うのに、それでもフィンヴィールを自分のものにしようと足掻くのだ。
(面倒なことになった……)
言葉で説得しようにも、今のフィンヴィールは言葉を持たない。仮に牢を抜け出せば番は処刑されてしまう。どうしてもここから出るわけにはいかない。それに何より、番の傍に居たいのだ。
「どうぞ私の手をお取りになって! このような場所から逃げましょう……!」
その言葉に、フィンヴィールは首を横に振る。
(そもそも、その鍵だけでは私を連れ出せないでしょうに……)
前に扉を開けた兵士と、牢を開けた兵士、枷の鎖の鍵を開けた兵士はそれぞれ別だった。3つの鍵は、おそらく別々に保管されているのだろう。フィンヴィールはこの国にとって重要な武器だ。おいそれと連れ出せる筈がない。
王女もフィンヴィールがどう扱われているかは聞かされているだろう。それにも関わらず私欲のために連れ出そうとしているのは、浅慮だと言っていい。
「なぜ……! 貴方はこのような場所に居るようなお方ではありません! 私と共に……!」
何を言われても、首を縦には振れない。フィンヴィールの緑の瞳に何の熱も無いことに気付いたのか、次第に王女の声がヒステリックになっていく。
「番など、ただの小娘ではありませんか! 私の方が余程……!」
そう言われても、番以外に心は動かない。己の命にも等しい者と、ただの他人を、どうして同等に考えられると言うのだろう。
(それよりも、彼女が気付いて逃げてくれれば良いのですが……)
扉の鍵を閉める音はしなかった。今ならこの塔から逃げることができる。しかし、王女の話を聞き流していると忍ばせた足音が近付き、すぐにひょいとこちらを伺った、番と目が合う。
(まずい……!)
番を認識してしまえば、竜の目は金に染まる。番が近くにいる事を気付かれないよう、フィンヴィールは王女に背を向けた。
「フィンヴィール様、どうして……!」
鉄格子の間から伸びてきた腕が、フィンヴィールの背中に取りすがる。
(今なら、私の手元は見えない……彼女が、気付いてくれると良いのですが……)
今なら扉が開いている。外に逃げて欲しい。番が気付くことを祈って、手振りでそれを指し示す。
「あのような小娘、放っておきなさい! 貴方は私の夫になるのです! お父様だってお許しくださるわ!」
「…………」
背中を叩き続けられるが、この程度なら我慢できる。感情を煽り、しかしこの場に釘付けにしなければ、番が逃げる時間を稼げない。
(彼女は、行きましたか……)
ちらりと様子を伺うと、もう番の姿はなかった。彼女さえ逃げてくれれば、次の戦場で呪令の杭の術者を殺せば自由になれる。フィンヴィールはまた王女に向き直ると、首を横に振ってみせた。
「どうして……! 今の奴隷の立場とは、比べるべくもないでしょうに!」
「……っ……」
掴まれた手に、王女の爪がぎりりと食い込む。
「……それほどまでにあの女が良いのなら、殺しましょう」
「!?」
「ええそうね、それがいいわ。フィンヴィール様もそうすれば諦めが付くでしょう?」
王女が、醜悪に唇を歪めて嗤う。だがもう、この塔に彼女は居ない。それを知っているからこそ、氷のように冷えた心で王女を見つめられる。
「殺すわ! 殺してやる! 『魂移し』……でしたっけ? それもしてないのなら、あの女を殺してもフィンヴィール様は死なないのよね!」
(愚かな……)
もし彼女の遺骸を目の前に晒されれば、フィンヴィールは迷いなく死を選ぶだろう。魔術的な繋がりは無くとも、番は命だ。番の命が失われ、それを追うのに何の躊躇があるだろう。王女の言うことは、全てが的外れだ。だが、これを長々と聞いているのも良い気分ではない。
(彼女さえ逃げてくれれば、じきに騒ぎにもなるでしょうし……)
鍵の在り処が、確認されていないという事は無いだろう。それに王女が部屋を抜け出せば、遠からず誰かがそれに気付く。フィンヴィールを処分できるはずもない。フィンヴィールが居なければ、無理な侵攻などできないのだから。
不快な話を聞き流していると、遠くから甲冑の兵士が複数こちらに向かっている足音が聞こえてきた。
(時間切れですか……)
この短時間で、彼女はどこまで逃げられただろうか。暗い森で、怪我をしてはいないだろうか。今のフィンヴィールには、ただ無事を祈ることしかできない。
やがて兵士たちは、地下牢へと駆け込んできた。
「王女殿下!」
「なっ!? どうしてここに!!」
なだれ込んだ兵士が、王女を拘束する。
「兵器の逃亡に手を貸すのは、王女殿下とはいえただでは済みませんぞ」
「そんな馬鹿な! 私を誰だと……!」
「このトカゲは我が国の武器! 剣を損ねる愚もお分かりにならぬか!」
「フィンヴィール様! フィンヴィール様ぁ!!」
「…………」
王女が振り返り振り返り連れて行かれるのを、黙って見送る。
「その顔でいくら騙せても、変な気起こすんじゃねえぞ!」
兵士の1人が鉄格子を蹴り上げ、去っていった。
「…………」
重い扉が閉められ、フィンヴィールが息を吐く。
(これからは独り、ですか……)
静けさが耳に痛い程だった。だが、この世界には己の番が居る。それを知っているだけで希望が持てる。しかし、そんな事を考えていたフィンヴィールの耳に、聞き慣れた声がした。
「―――、――――……?」
「!?」
あるはずのない姿に、思わず鉄格子を掴む。
「――……?」
『逃げたのでは無かったのか?』と上階を指差すと、番はへらりと笑った。
「――、―――――」
自分を指差し、2度ほど下を指差す。
(そんな……)
番は自分を見捨てなかったのだ。愛情深いのは知っていたが、それが枷になるとは思いもしなかった。
(貴女だけでも、逃げてほしかった……)
しかし、ふと気がついた。彼女の目は、諦めてはいない。
(まさか……機を伺っていると……?)
手ぶらで逃げ出しても、苦労することになる。そのための支度もあるのだろう。
(彼女には、彼女の考えがあるのですね……)
「――、―――――――?」
己の番は、愚かではない。自分のできることを、きちんと考えている。フィンヴィールは、番に希望を見た。
「―――――、――――」
クッションやシーツを牢の前に持ち込んだ番が、優しい目で己を見る。ランプの明かりが消え、やがて寝息が聞こえてきた。
(私に何ができるのでしょう……)
愛情深い番が、どうか健やかに生きられるように。すっかり静かになった牢の中、フィンヴィールはいつまでも番の方を見つめていた。
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