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知りたい

 それから、フィンヴィールの生活の彩りは番だけになった。鉄格子の外から、食事の世話をしてくれるだけだが、それでも日に3度は姿を見ることができる。自分の食事をフィンヴィールにも分けてくれる、愛情深い番であることが嬉しかった。


(……ああ、聞こえてきた)


 彼女の部屋は、塔の上の方なのだろう。彼女の居ない間でも、時折僅かに歌が聞こえてくる。


(どこの国の言葉なのでしょう)


 こちらから話すことはできなくても話しかけてくれるところを見ると、会話は好きなのだろう。だが、彼女の言葉も、歌っている言葉も、何一つ理解できない。


(早く、彼女と話がしたい)


 全ての枷が解き放たれ、彼女と向き合うことができれば。そうなれば意思の疎通も容易くできる。


(知りたい。もっと知りたい……)


 まずは名前を。どこの国から連れてこられたのかを。彼女の黒髪に触れ、黒曜石の瞳を覗き込みながら、尽きることのない話がしたい。姿が見えず歌声だけ聞こえてくるせいか、想いだけが募っていく。


(ああ、駄目です。紳士的であらねば……)


 胸をかき乱されるような想いに流されては、彼女を怖がらせてしまう。己が竜の番だと理解はしていても、彼女は人間だ。竜と違ってその想いは揺らぎやすい。異種族の番を持った者の苦労は、よく聞かされたものだ。

 獣人はまだ番と言うものを理解してくれる。森人(エルフ)は穏やかであるが故に、あまり番以外に眼を向けるほどの感情を抱かない。妖精や精霊は、竜の魔力を好むので常に己の魔力で満足させてやれば良い。ドワーフだって、己の鱗を渡し炎を好きに使わせてやれば、離れていく事はない。

 だが、人間は難しい。その短い生のように、感情の起伏が激しい。燃え上がった愛情すら燃え尽きてしまうというのが、竜からしたら理解ができない。だから、人間の番持ちは苦労する。己だけに目を向けてくれるよう――時には、己以外が目に入らぬようにさえしたりもする。


(できれば、心から私を愛してほしい……)


 番を見つける前、フィンヴィールは番への強硬策には否定的だった。時間をかければ関係が築けるだろうと思っていた。だが、今ではそうしてしまった過去の者たちの気持ちが多少なりとも理解できる。


(不安ですね……彼女は私の番だと、解ってくれているのに)


 食事の世話や、己の食料を分けてくれさえする愛情深さを見せてくれているのに、その心変わりが恐ろしい。


(今はただ、彼女との時間を大切にしましょう……)


 幸いにも、今は好かれているのだ。少しずつ少しずつ、親密になって行けば良い。――そう思っていたフィンヴィールが慌てるのは翌日のことである。



(まさか……そんな……)


 翌日。フィンヴィールは絶望の縁に居た。いつものようにやってきた番は、手に布を持っていた。それをどうするのかと思って見ていると、何かに気付いたようにうなだれていく。何かあったのかと思ったが、声もかけられずにいると、番が彼のシャツの端を掴んだ。


(何を……?)


 このシャツがどうかしたのかと思っていると、彼女は持っていたタオルとシャツを、交互に指さした。


「!!」


(まさか……まさか私が不潔であるなどと……!!)


 奴隷同然の身に落とされた衝撃と、番のことで頭がいっぱいで己に頓着していなかった事に気が付く。


(恥ずかしい……彼女に、このような無様な姿を見せている事にすら気が付かなかったなんて……)


 竜の国は、清浄である。フィンヴィールとて不潔なものは嫌いだし、己の服装にもこだわる方ではあった。それが今では着たきりのシャツとトラウザーズのみ。


(彼女に嫌われてしまっては、私はもう生きてはいけないというのに……)


 とにかく自分の姿をどうにかしなくてはいけない。替えの服もなく、今の自分には呪文を唱える声も無い。


(もう、手段は選んでいられませんね)


 口元に指を差し入れ、指先を噛みちぎる。


「!?」


(すぐに見苦しくないようにしますから……)


 滴る血をそのままに、石壁に陣を描いた。


(覚えておいて、本当に良かった)


 記号と呪言を正しく配置し、魔力を流す。僅かな魔力でも使える魔法陣は、人間の叡智の結晶だと言える。この魔法陣特有の燐光に、魔術対象を捉える言葉ではない言葉。ちくちくとした指の痛みが消え失せ、ほっと息を吐く。


(これで、多少はマシになると良いのですが……)


 『清浄』の魔術は簡単なものだ。魔力があれば、子供ですら使える。対象の汚れを消し、多少の怪我すら癒やしてくれる、初歩の魔術だ。己の身体を確認しながら、フィンヴィールは鉄格子の前へと戻った。


(私が魔法陣を使えるとは思っていなかったのですね)


 驚いたように指の傷を確かめる、番の小さな手の温かさ。


(簡単な魔法陣なら、多少は書くことができます)


 そう仕草で示してやると、番が上階へと走り去っていく。だが軽い足音はすぐにまた降りてきて、フィンヴィールに何かを差し出した。


「――……――――……」


(これは……?)


 破られ、手渡されたのはずいぶんと滑らかな紙。そして、小枝のようなもの。


(ペン……でしょうか)


 番が魔法陣があった壁と、ノートを指差す。小枝のようなものの両端を触ってみると、片側で指が少し汚れた。


(見たことのないものですが……)


 インクが出る仕組みが分からない。だが、これはきっと『書くもの』なのだろう。途中で書けなくなったとしても、魔力を流さなければ陣が暴発したりはしない。

 紙に同じ魔法陣を書く。羽ペンと違い、引っかかることもなくインクが陣を作り出していく。もう一度魔力を流すと陣は発動し、紙ごと消えた。


(……この程度で、身体が重くなるとは……)


 今の自分には人間以下の力しか無いのだと、まざまざと思い知らされる。陣を使い、たった2度発動させただけ。あと数度は発動させられるだろうが、すぐに限界が来るだろう。限界が来てしまえば、疲労困憊したまま気を失うしかなくなってしまう。


「――――――」


 番にねだられるままもう一度魔法陣を書く。また発動させてほしいのかと思ったが、紙は番に取られてしまった。


(可愛らしい……)


 魔法陣には馴染みがないのか、しげしげと紙を眺めている様が可愛い。知らない知識に貪欲な様は、フィンヴィールにも好ましく思えた。


「―――、―――」


 紙の大きさを両手での指で表し、それを縮めて見せる。図の大きさが関係あるのかと聞いているように思えた。


(小さく……私……)


 図の大きさは、発動には関係がない。ただ、呪言の綴の正しさや図形の位置の正しさが必要なだけだ。高度な陣になれば、それだけ要素も増えるので大きな陣になってしまう。フィンヴィールが罠にかかった、あの部屋の床のように。

 番の意図することがなんとなく理解できたので、小さくても使えるかということだろうと頷いて見せる。


「―――、―――、――――」


 次に番は己を指差し、書く動作とフィンヴィールに渡す仕草をした。


(それは……)


 魔法陣に必要なのは正確さだ。だからこそ、魔法陣は廃れているとも言える。魔法陣の代わりに魔導回路を引き、適した素材を組み合わせた魔導具の方が、人間の国では使われている。フィンヴィールとて普段は詠唱すらすることなく魔術を扱い、知識の一端として魔法陣を幾つか覚えていたに過ぎない。

 分からないことは答えようがない。首を傾げてみせると、それでも番は楽しそうに魔法陣を見ていた。

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