始まり
「そうですか。それは何より」
黒銀の髪の美丈夫が微笑み、女達が頬を赤らめる。だが、それを見た一部の男達は射殺さんばかりの眼差しを放っていた。ここは人の国、アガリス。人の国の中でも野心的な軍事国家である。
今宵の夜会の中心はアガリスの王でも、王子でもない。珍しい賓客――竜の国の将軍、フィンヴィールだ。絹糸のような黒銀の髪を紫のリボンでゆるく編み込み、エメラルドの瞳が煌めく顔は、そこいらの貴婦人よりも美しい。それでいて高い上背としなやかな筋肉に華やかな軍服を纏わせ、男としての色気を持つ。そんな艶麗な男に、貴婦人が群がらぬ筈がない。
「……人擬きの、トカゲめが……!」
長らく一方的に敵対視していた竜の国、ガリュオンに親書を認めたのはつい最近の事。親交を結ぶためにアガリスで催された夜会にやってきたのは、なんと将軍単身だった。人の国相手では失礼にもなろうが、竜と人では力が違う。人と竜では、その魔力差から勝負にすらならない。竜という種族がその強大な力から温厚であるがゆえに、この世界では共生できているのである。――だが、アガリスという国はどこまでも不遜で、傲慢であった。
まず、国の宗教からしてそうだった。神は全知全能であり、この世界を作った。そしてその後に、己に似せて人間を作った――だから人間が一番偉い。端的に言ってしまえばこうだ。だからアガリスは人間至上主義の国として悪名高かった。
竜は人間になりそこねたトカゲである。獣人は汚らわしい獣混じりである。いくつかある人の国の中でも、人間以外からはあまり交流のない国だった。
その国が国交を結ぶというのだ。温厚な竜の国は、それは良いことだと将軍を遣わした。国の中でも格が高く、見栄えがよく、それでいて何かあっても指先一つで対処ができる力のある者を。
「ありがとうございます。アガリスではそのようなものが流行っているのですね」
「ええ、こちらにいらっしゃる間にぜひ……!」
「わたくしとも……」
「……女は、トカゲと言えど見てくれに弱いな」
「何、あの美貌だ。人形として傍に置けるのならトカゲでも良かろうよ」
「違いない」
煌めくシャンデリアの下に隠れた欲望、陰謀。表面上は穏やかで華やかな夜会は、艶麗な竜の国の貴公子をあっという間に知らしめた。
「素晴らしい庭園ですね」
翌日。フィンヴィールは興味深く案内された庭を眺めていた。人間は、竜に比べて格段に魔力が少ない。それでいて、創意工夫に溢れている。
この庭園だってそうだ。魔力を流して木々を自由に形作るのではなく、剪定で形を整えている。それに、草花の配色も繊細だ。人の目には、きっと竜とは違う色彩が見えているのだろう。ガリュオンよりも温暖で、人間にとっては過ごしやすそうな気候だ。竜とて、温暖な場所が嫌いな訳では無い。だが、竜よりも温暖な場所でしか生きられない種族がいるからこそ、竜の国は北限にある。――もっとも、竜の翼があれば、距離などそう大したものでは無いのだが。
「そういえば……将軍は、番持ちでしたかな?」
「ふふふ、竜とは言え、その恩恵に預かれる者は稀ですよ」
竜はその長い生でたった1人、己の運命の相手を持つ。心から大切にし、どんな宝物よりも大切な相手。
それが番だ。番でなくとも、竜同士であれば確率は低くとも子は為せる。子の数は少ないが、敵のおらぬ強さと長い生で、竜はずっと絶えることなくこの世界最強の生き物として存在してきた。
だが稀に、竜は番を見つける。人間であれ、獣人であれ、精霊であれ、エルフであれ……どんな種族であっても、唯ひとりの相手を見つける。そうなってしまうと、竜は己の番しか見えなくなる。過去には竜の番を脅して竜を害そうとした人間も居たが、漏れなく悲惨な死を迎えた。アリがゾウを脅したところで、脅しにはならないのである。
だからこの世界にはこんな諺がある。『金眼の竜には近付くな』……触らぬ神に祟りなし、という意味だ。
「良ければ、占いを試してみませんか」
「占い、ですか」
先見、託宣……そういった力を持つ者が稀に居る。だがそのような者は大抵、神殿の奥深くで大切にされているはずだ。フィンヴィールの疑問が伝わったのか、案内役の宰相は朗らかに笑った。
「なに、ただの人間の遊びですよ。己の運命の相手が現れるかどうかを占うのです」
「成程、それは興味深いですね」
興味深く――そしてどこか、きな臭い。だが、所詮は人間の技である。暴力であれ、魔力であれ、フィンヴィールの敵ではないだろう。
(何かあっても、力押しでなんとかなるでしょう)
アガリスの事は知っている。何百年もの長きに渡り、竜を敵対視していた国だ。だから、フィンヴィールが来た。魔力の多い竜の国で、誰よりも抜きん出た魔力量から将軍の地位に着いた男。竜の国最強の剣。見た目の線の細さと、その強さは比例しない。この流麗な優男は、人の国の1つや2つ、片手で陥落させることができるのだ。
「では……こちらへ」
笑みを深くした宰相に従い、室内に入る。
「この先へ……」
促されるまま歩を進めたが、そこは絨毯の敷かれた何もない部屋だ。
「ここで何を?」
「ただの占いですよ。運が良ければ、閣下の運命の相手が現れる」
「ふふふ……どんな占いなのか、想像も付きませんね」
何を仕掛けてくるのかと、絨毯の上をゆっくりと歩き回る。――と、にわかに絨毯の下からまばゆい光が放たれた。
「……成程。古式ゆかしい魔法陣という訳ですね」
「今だ!」
「!」
宰相の叫びに、咄嗟に障壁を張ろうとする。だが、ごっそりと魔力が抜け失せ、フィンヴィールはその場に膝を付いた。
「な、にを……」
ばさりと黒銀の髪が床に付く。
「成功か!?」
「はい! 直ちに無力化いたします!」
「く……!」
竜の身体能力は、魔力に比例する。常であれば腕のひと薙ぎで軽く壁すら壊せる力が、今は己の身体が無様に倒れ込まないように支えるだけで精一杯だ。だがそれも、すぐに駆け寄った兵士によって抑えつけられた。
「貴様ら……!」
「杭を!」
「な……!」
乱暴にシャツの前を開けられ、白い胸元が晒される。
「これで貴様は我が国の奴隷だ!」
「やめろ……がっ、あああぁっ!!」
胸の真ん中に杭が打ち込まれ、フィンヴィールの悲鳴の中ずぶりとそれが飲み込まれていく。不思議と血の一滴も出ることなく、柄の赤黒い宝石を残して杭はフィンヴィールの胸に埋め込まれた。
「ぐうぅ……ああああっ!!」
その杭がフィンヴィールに苦痛を与えているのを、人間たちは嘲笑いながら眺めていた。呪令の杭――竜や精霊、エルフと言った魔力の多い相手を意のままにする、呪いの枷。魔臓に打ち込まれてしまえば、酷い苦痛を持って相手の言うことを聞くしか無い。
「広場に連れて行け! 近くに現れた筈だ!」
「はっ!」
宰相の命に兵士は、苦痛に息も絶え絶えなフィンヴィールを引きずりだした。
鉄仮面視点が始まります。




