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帰りを待つようになりました

(大丈夫かな……)


 朝に、夕に、今は居ない同居人の事を考える。またこんなにすぐに連れて行かれるとは思っていなかった。だがそんなものは確証もないただの思いこみだったのだ。

 軽くなった籠を引き上げ、またため息をつく。あの人がまた酷い目に合わされているのではないかと心配になった。どうも兵士たちは乱暴が過ぎる。牢の前の悠花の居場所は踏み荒らされ、牢の中にはショールが残されていた。またその身ひとつで連れて行かれたのだと思うと胸が痛い。


(もし逃げられるとしたら……わたしはどうするだろう)


 鉄仮面を置いて行きたくない。だが、自分しか逃げられないとしたら。鉄仮面は1人で逃げろと言いそうな気はしている。現に、なぜ逃げなかったのかという反応をされた。


(知らない人なんだけどなあ)


 顔も名前も知らない相手。だが自分を追う、穏やかな金の目を知っている。優しい感情に優しい感情を返してくれる人で良かった。頼れるかどうかは分からないが、心の拠り所にはなっている。


「――Ave Maria! Jungfrau mild, ――……」


 そこまで真剣に神様に祈ったことはない。でも、どうか無事に帰ってきますように。そんな思いで歌詞を口ずさむ。夜空の2つの月は、煌々と光を映していた。



 居なくなってからの日々を、指折り数える。前は1週間だった。だが今は7日を過ぎても戻ってくる気配はない。

 独り食事をして、歌を歌って、日課の運動をする。繰り返される日々の中、孤独だけが募っていく。


(……静かだ)


 声のない相手だ。それでも息遣いであったり、拍手であったり、鎖の音、身動ぎする音、自分では立てない音が隣にはあった。だが今、そんな音を立てる相手は居らず、自分が身じろぎしなければ、時折外の風の音や鳥の声が聞こえるのみ。


(お城は、うるさいんだろうな)


 稀に風に乗って聞こえてくる声は、歓声のようでもある。悠花が見た兵士だけでも結構な数が居たし、ここに来るメイドも何人か居ることは知っている。そんな大勢の人間が集まっているのだから、お城の中というのはたいそううるさいものなのだろう。


(何もなければ、勉強になりそうだしお城の中も見てみたかったんだけどな)


 外側を見た限りでは、オペラの舞台になっているような時代のものと、似ている気はする。中だって悠花が見た限りでは近いように思う。そうであれば、後学のためにも見学だけはしたかった。


「……まあ、無理だよね」


 この国はおかしい。そして、危ない。きっと悠花が当たり前のように享受していた人権的なものは存在していないのだろう。それは、鉄仮面の扱いを見てもよく分かる。


(鉄仮面さんへの扱いは、拷問みたいだ……)


 図の使用でふさがったとは言え、背中に痕は残ってしまった。鉄仮面が紳士的にショールを纏ってくれるのも、その傷を悠花に見せないようにという心遣いなのだろう。

 あの夜、見てしまった生々しい傷は、悠花の瞼に焼き付いている。あんな怪我を、悠花は見たことがない。それも、悠花が図を持っていなければ、薬もなく放置されたのだ。到底人道的な扱いではない。


(鉄仮面さんは、囚人なんだろうか)


 あの傷は、拷問で付いたものなのだろうか。それにしては背中だけに限られていたし、切り傷のようにも見えた。何かの情報を引き出したいというよりは、戯れに傷を付けたかのように。


(そもそも、喋れない相手から聞き出せることってある?)


 なぜあの傷は、背中にだけ付いていたのか。


(何かをさせている間に、背中を狙った?)


 何か作業をしていたのだとしたら、それを促すために傷を付けたことは考えられる。


(そんなの……奴隷みたい……)


 思いついてしまった最悪の発想に、悠花は思わず奥歯を噛み締めた。だが、人権無視の相手だ。それくらいはしてもおかしくないような気がする。粗末な場所に枷をはめて閉じ込め、粗末な食事を与えるだけの相手。連行し、酷く弱らせて返すような相手。悠花からしてみれば、時代錯誤も甚だしい。理解すらできないし、したくない。


「ほんと……無事に帰ってきますように……」


 今、彼はどこで何をしているのだろう。暑くはないだろうか。痛くはないだろうか。空腹ではないだろうか。酷い目に遭っていないことを、悠花は心の底から祈った。

Ave Maria

シューベルトのやつ。CMとかで流れてたりするので、聞いたことのある人も多そう。

歌詞はドイツ語を記載しているが、ラテン語のときもある。


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