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知らない場所に来ました

連載始めました。

しばらくは1日2回更新します。

「あっつい……」


 殺人的な日差し。それを反射するアスファルト。波多野悠花(はたの ゆうか)はその上を干からびそうになりながら歩いていた。


(いくらなんでも、借りすぎた……)


 夏休みである。今年大学に入ったばかりの悠花は、ここぞとばかりに図書館で大量の楽譜をコピーしてきていた。

 悠花は、音楽大学の1年生だ。念願の声楽漬けの生活が、楽しくて仕方ない。夏休みの今も、レパートリーを増やそうと、片っ端から楽譜を見ていた。個人で集めるにはとても手が出せないものを、学生の身分では簡単に閲覧、コピーができる――ありがたいことである。


(もう少し、量を減らして……いや、でも、この暑い中をまた大学まで来るのは……)


 できれば手間は減らしたい。横着の自業自得ではあるが、背中のリュックが途方もなく重く感じる。


(帰ったらアイス、帰ったらアイス……)


 肩に届かぬ髪が、汗で首元に張り付く不快感。デニムボトムスの防御力が、今は恨めしい。アイスクリームのことだけを頭の中で唱えながら、重たい足を前に出していたところだった。


「え?」


 足元の感触が、急に消えた。


(やば……)


 熱中症かもしれない――そう思ったのを最後に、悠花はぎゅっと目を瞑った。



「……ん?」


 気が付けば、悠花は普通に立っていた。背中の重しもそのままである。


「いや…………ここどこ!?」


 だが、悠花が居たのは、記憶の最後にある光景とは全く違う場所だった。あの容赦のない照り返しも、ガラス張りのビルもない。

 足元を見れば、でこぼこした石畳。横を見れば、画像でしか見たことのないような、上階に行くほど張り出した三角屋根の家だ。


「……は?」


 そう、思わず声を出した悠花の頬を、湿度の低い風が撫でた。


(熱中症の幻覚!?)


 だが、スニーカーの裏の感触は、とてもアスファルトのような平坦なものではなく、現実的である。空を見上げても、抜けるような青い空と、煉瓦色の屋根の赤が目に眩しい。


「わあ……窓辺のお花がきれい……」


 現実逃避のような言葉が出たのも仕方のないことだろう。


「いや……ボケてる場合じゃない」


 世の中には明晰夢という言葉があることを思い出し、悠花は周りを観察してみることにした。

 家の壁は、風雨で傷んだ跡がある。道だって、端の方にはゴミが溜まっているのが見えた。肌に感じる空気は、いつもよりも温度も湿度も低く感じる。鼻をくすぐる匂いだって、土と、どこかすえた臭いが混じっている。だが、人の気配だけが感じられなかった。


「夢じゃない……?」


 不意にぞっとしたが、夢であるならば悠花の想像、知識以上のものは存在しないはずだ。


「文字……文字とか探せば……!」


 寝ている脳みそが、そんな高度な文章をひねり出してくれるとは思えない。悠花はその場を離れ、看板でもないかと見て回ることにした。


「……ん?」


 しばらく歩いていると、大勢の歓声が風に乗って聞こえてきた。


「人が……居る?」


 近付くほどに、その声は大きくなる。曲がり角を曲がると、その広場には大勢の人が、そしてその向こうには城が見えた。


「うわあ、こんなとこまで再現されてるんだ……」


 広場を取り囲む、人、人、人。その誰もが、街並みと同じように時代がかった服を着ている。


(普通の人の服は分からないけど……あの、高いところに居る人の服は……18世紀後半くらい……?)


 カツラに白の靴下――は無いが、モーツァルトのオペラで見たような服装に近い気がする。


(同等くらいの女性の服装も見られればもう少し分かるんだけどなあ)


 まじまじと見ていると、なんとなく今がどんな状況なのかが分かってきた。広場に集まっているのは、この近隣の人だろう。着ているものもあまり上等ではなさそうな人から、上等なものを着ている人間まで集まっている。台の上に居るのは、城の人間――そうでなくても、身分が高い人間であることは見て取れた。台の上には武装した兵士らしき人間と、ローブを被った怪しげな人間、そして鉄仮面を付けたとても怪しい人間である。


(……何あれ)


 鉄仮面――だが、服装はこの場の誰よりも上等そうに見える。黒地に、金のモールか、刺繍か……とにかく見栄えがいい。彼(?)が暴れる度に兵士らしき人間が抑えつけ、エメラルド色のクラヴァットピンが煌めいた。


「……ん?」


 不意に、その鉄仮面の金色の眼と視線が合ったような気がした。途端に、鉄仮面が暴れ、叫びだす。


「何あれ……」


 呆然とそれを見ていると、悠花の前に壁ができた。


「え?」


 見上げると、武装した人間が何人も、悠花の前に立ちはだかっている。


「あの……?」

「――――――?」

「え?」


 何を言われたのか全く分からない。


「えっと……English……? Deutsch? Italiano?」


 無事に前期の単位は取れたし、自己紹介くらいならできる。聞いた限りではどれとも違う気がしたが、悠花は恐る恐る話しかけた。


「―――――」

(分からん……!)


 1単語も分からない言葉を返され、思わず顰め面になる。


「えっ? ちょっと……!」


 そんな悠花に構うこと無く、兵士の1人が腕を掴んだ。


「待って!?」


 こうして悠花は、あっさり捕縛された。

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