89.海路を北へ向かう。
のんびり、船旅、そして、お約束。
ひっそりと進行しているっぽい世界の危機に関しては、今の所あたしにできることはないそうなので、一旦心の棚に仕舞っておく。
ただまあ、いずれ何らかのアクションはしないとだめなんだろうな。推定サンファンのカウントが動いたことでもあるし。まあそっちが動いたのなら、それが優先事項、っぽいよね。
というわけで深く考えることもなく、その日はゆっくり眠りました。ええ、いい寝具での快眠、大事。
翌朝もいい天気で、軽い朝食のあと、フェアネスシュリーク様にお礼とご挨拶をして、船着き場に向かうあたしたち。
この世界の船はヘッセンの国内航路以来二度目だけど、沿岸周遊路線だった前回と違って、今回は遠洋航海もできる大きな船だよ!
マッサイト行きは週二本しかないのだけど、成程、乗客があんまり多くないね?
「観光地としては微妙ですからねえ、うちの国は」
荷物を積むのを手伝ってくれた、マッサイト人だという船員さんが笑ってそう言う。
逆にマッサイトからハルマナート国に観光に来る人が多いんだそうで、今の時期はマッサイトから来る人のほうが、圧倒的に多いんだそうだ。なおその人たちは前日の内に上陸しているので、今はあたしたちと、他に十数人のお客さんがいるだけね。あたしたち以外は商人っぽい人が多いかな?あと、なんか制服着た人がいるけど、記憶が確かなら、政府関係の人じゃないかな?
「いやでも君らの国にはいい薬草があるからねえ!買い付けに行かない訳にはいかないよ!」
近くでこれも荷物を積んでいた商人さんの一人がそういってこれまた笑う。
マッサイトは山がちな国で、穀類は大麦と蕎麦と豆何種か、そして特産品が山羊のチーズと薬草なんだという。
例の、イードさんが愛用してる?ヘンチャナも、マッサイト産が一番品質がいいんですって。
まああの草は品質がいい=苦い、なんだけどね!
「おお、そういえばそうだった。弟子への土産にヘンチャナでも買うかね」
ランディさんがにやにやしながらそんなことを言っている。あの人マイペースな割に、妙なとこ繊細だからなあ。初日にあたしが貰ったヘンチャナ茶も、自分で呑む用だったらしいし。
「にがー、いやー」
リンちゃんがランディさんの脚にくっついてそんなことを言っている。苦いの苦手だもんね、君。
「ははは、かわいいね、ちっちゃい子は苦いの嫌だよねー」
船員のおじさんはそう言うとぽい、と小さな包みをリンちゃんの隣にいたレン君に渡した。
「ん?なにこれ?くれるの?」
投げ渡された包みを受け止め、きょとんとした顔のレン君。
「ちっちゃい飴が入ってるから、あとで二人で分けな。船酔いするようならとっといて、後にするんだぞ」
そう言い残して、船員さんは別の仕事をしに行ってしまった。
「ありがとー」
「そっか、ありがとー」
灰白二人でお礼を言っているのが、ほんとになんていうかかわいいな、黒っぽいほうの中身、アレなんだけどな。
黒鳥がやたら素直なのは、性格まで逆行してほぼ子供状態になってしまっているせいなんだそうだけど。知識や記憶は、辛うじて死守した、と本人が言っていた。
でも、その記憶や知識も、本体に戻っているとやっぱり徐々に削れてくんだそうだ。割とタチ悪いなこの儀式魔法。しかし、神罰の影響で術が止まるなら、本体側のほうが神罰の影響のほうを受けそうなものなんだけど。と思ったら、神罰を受けた瞬間に化身側だったせい、なんだって。
どこまで本当かは判らない、と言いたいけど、あたしのスキルが、嘘はないって判定するんですよね。
なので、少なくともこのモードの鳥小僧は安全安心、という解釈をしといていいらしい。
でも大きい方に戻れたら、どうだかな?とは本人談だ。小さいほう、大きい自分を信用してないっていうね……人格自体はそのままのはず、なのだけど。
多分これ、大事な情報がひとつふたつ無くなってるんじゃなかろうか。現状、確認しようがないけども。
幸い、誰も船酔いは起こさなかった。子供ふたりはなかよく蜂蜜入りの飴を舐めて、にこにこしている。
子供がこの二人だけなので、商人のおじさんや船員のおじさんがめっちゃ構いに来るのが、ちょっと想定外だったけど。逆にあたしやレオーネさんにナンパを仕掛ける人は……案外、いなかった。まあレオーネさんには常時ランディさんが張り付いて構ってるし、あたしの横には、常時カル君がいるからね……
大昔はもっと沿岸に近い航路だったそうなのだけど、アスガイアが神罰を受けてからは、とばっちりを避けるという理由で、真龍の島に近いほう、東寄りの航路を進んでいくので、所要時間が一日ほど増えたんだそうだ。海流の早いエリアを通るので、北上は一日プラス程度で済むけど、南下はさらに半日から一日、遅くなるんだそうだ。
今回サンファンが神罰を受けた件は、船員さん達ももう知っていたけど、元々サンファンより北に航路はないので、そこまで影響はない、とのことだった。
ただ、既に亜人種や獣人の脱出者が結構国境に現れていて、その対応が大変なんだってさ、とは船員さんからの又聞きだ。
実はこの帰り便も空荷ではなく、ハルマナートとフラマリアからの難民支援の食糧などが積まれてるんだって。水は魔法でなんとかなるけど、魔法で食料は作れないからね。
あたしたちと商人さん以外の乗客は、その支援物資の円滑な提供と管理のために荷物と同行することになった政府の人たちだそうです。
その政府の人たちが、こっちをチラ見しながら、ひそひそしている。あ、こりゃカル君身バレしたか?変装ってほどでもないもんなあ、今の姿。いやでも彼らは龍の王族としての姿しか……ああそうか、差し色の出る部分刈ってたから、色変わりが逆に印象に残らない?
とはいえ、彼らはそれ以上あたしたちに接近してくることも、同僚たち以外と何か会話を交わすっていうこともないようだったので、当面は静観することにした。わざわざ、こっちから藪蛇する必要はないですよねって。
初日は何事もなく終了、船のごはんはやっぱり魚が多くて、というか船員さんの一部が釣った釣りたて魚まで供されていて、大変満足でした。この船、釣り好きで得意な船員さんが特に多くて、釣りたて魚は名物なんだって。
翌日は朝から曇り空。まあ雨にはなるまい、って話だったんだけど。
なんか変な靄がですね。
お約束、クルー?
「航路公開表にない船影を発見、但し濃霧のため位置確認が困難、危険防止のため減速します」
船長さんの宣言にざわつく船内。甲板には出ないでください、というので一旦皆で大食堂に集まっている。時刻は昼ご飯にはまだだいぶ早いくらいだ。
大食堂は甲板から上がった場所にあるので、外を見るための窓もついている。
なるほど、靄の向こうに、微かに大きな影。あ、魔力の動きが見える。これあれか、水風併用魔導船だな?
「高速魔導船っぽいですねえ」
「影だけ見て判るのか?」
あたしの言葉に、カル君が反応する。
「魔力視があるからね、魔導船の構造はこないだ西海で船に乗った時に色々教えてもらったから、間違いないと思う」
ヘッセンに行くときに、色々教えてもらったんだよね。カルホウンさんが結構詳しくって。
「高速魔導船?軍の船だろそれ」
あたしの言葉を聞いた船員さんが首を傾げる。
「げ、あれじゃねえの?龍にひっくり返されたサンファンの幽霊船」
え、あいつらもう幽霊船になってんの?いや流石に日数的に無理ない?水は魔法で出るし、食料は一応周囲の海に泳いでる。船は降りられないだろうけど、海にいるものを釣って引き上げるのには制限はないはずだよね、あの神罰って。
「まだ死んでないと思うけど……」
「流石にまだ幽霊にはなっていないようだよ?なんかこっちに向けて叫んでる。成程食料がない、か。境界に阻まれていても魚くらいは釣れようものだが」
首を傾げたあたしに、ランディさんが情報をくれる。ここにいても聞こえるんだ、流石真龍。
「いやでも人間って、魚だけじゃ体壊すだろ?」
今日は海藻を干した奴を貰ってつまんでいるレン君がそんなことを言う。確かにそうね。
結局、この怪しい船舶、ほんとにサンファン海軍の船の一つだったんだけど、援助できる物資はない、ということで彼らは船員さんの水魔法で押し流され、追い払われてしまった。まあ境界の罰則のせいで、あちらは声以外何一つこっちに飛ばせないからね……
マッサイト行きの物資に手を付けるのは厳禁だし、昔より航路が伸びて、食料の必要量も増えてるから、余分はないって言われると、どうしようもないわよね……
あと一か月くらいで本物の幽霊船にジョブチェンジだね。