537.無人の難民キャンプ。
はい、事案です。
今回はジェイエル村には泊まらずに、そのまま次の目的地に向かう。
例の、アスガイア難民のキャンプ地だ。
キャンプと言っても、簡易建築で一応家は建てている、という話だけどね。
この集団も、サンファン国内と同様、就労支援の前に医療支援が必要だったクチなんだけど、未だに難民扱いなのはちょっと気になるなあ。
「難民キャンプって事は、開拓とか畑作はまだ手を付けてない?」
サーシャちゃんも言葉のニュアンスに、首を傾げている。
「都市部の民しか生き残らなかったので、農業経験者がいないどころか、農業を志望する人自体がいないらしいんですよ。困った事です」
そしてフェアネスシュリーク様の回答は、彼にしては珍しくネガティブな感想を含んでいた。
うーむ、昔の暮らしが忘れられない系?だとしたらちょっと面倒ね。
というのも、このハルマナート国、異世界人の移住には基本的に寛容なんだけど、現地人の移民には滅茶苦茶厳しいのよね。
審査も厳格なら、人族の場合は、就業先も原則として農業関連か肥料関連に限る、という限定ぶりだ。
後者は元々できる人はどの国でも引っ張りだこかつ高収入なんで、そちらを選べる人は基本的に移民なんてしないという罠があるけど。
これが亜人種になるとだいぶんと規制は緩くなる。コボルト族とか、農業あんまり向いてないからね、しょうがない。牧畜業には引っ張りだこだけど、って、あれも一応農業か……
それは置いておいても、亜人種の各種族って、大体農産よりもよっぽど得意な技のある人たちが多いから、職人枠という、実質専用枠が設定されている。
亜人枠ではなく職人枠なのは、種族縛りが強すぎるのは逆差別じゃないかという懸念に加え、職人枠にしておけば、人族にも当然いる職人さんにも適用可能だから、ですね。
まあ、この移民規制が厳格になったのも、旧アスガイアのせいなんだけどね。
戦争になる百年くらい前から急に、食い詰めて越境する、所謂流民が増えたんだそうで。
ハルマナート国は元々からして、主にフラマリアからの移民が、なにもない荒野を開拓して作った国だから、最初はそういう人たちも受け入れていたらしいんだけど、旧アスガイア政府から、不法に民を奪っているという難癖をつけられた上に、段々流民だか盗賊だか判らないような輩が増えてきたので、やむなく規制を強化したという話だ。
「とはいえ、帰る場所の実質ない難民って事だと、改めて受け入れ拒否という訳にもいかないですよね?」
ワカバちゃんの言葉に、頷く。
今彼らが難民として住んでいる土地も、戦争以後、百年放置されていた辺りなので、地味が良いとはあまり言えない。
それでも、あの土壌汚染と収奪されきった、雑草しか生き残れないような旧アスガイアの土地に比べれば、よっぽどまともに耕せる部類なんですよね。
「流石に他にやり場がないからねえ。都に住みたい、みたいな人が本当に多いんだけど、この国は勿論、どの国も王都は普通に人口が多くて、難民を受け入れるなんて、とてもとても」
「しいて言えば、サンファンの都なら、普通に空き家、いっぱいありますけどね」
フェアネスシュリーク様のぼやくような説明に、ちょっと悪戯心でそんな言葉を発してはみたものの、技能判定が速攻でナシ指定してきますね……?
「今、全力で思ってもない事を発言した、という感じがいたしましたけど」
トリィが鋭い。流石に全力ではないけども。
「空き家がいっぱいあるのは事実よ?そんな所まで就労拒否者を連れて行くなんて、食糧問題や移動の労力を考えるとちょっとないな、って自分でも思うけど」
流石に、怠惰の影響から必死に抜け出そうと頑張っている人達のところに、状況も理解してるのかどうか怪しいレベルで我儘ぶっこく集団を連れて行くなんて、なしですよねー。
そんな風に状況の解説を受けたりしながら、夕方に辿り着いたキャンプらしき場所は、やたら静かだった。
というより、ここ、人の気配がなくない?
「人がいねーぞ?どうなってる?」
サーシャちゃんも表情を引き締めて眉を寄せる。
「いや、奥の家に一人いる、多分老人、かなあ……うーん?」
【奥に足腰立たずに寝込んでいる、推定爺さんがおるねえ、余り具合が良くなさそうじゃ】
アスカ君が人の気配を察知し、マルジンさんがその物音をきっちり聞き取る。
幻獣車を降り、慎重に、一般家屋よりも随分と細い柱、薄い板、そして蝋引きらしき防水布を組み合わせて作られた、簡易な住居の間を抜けていく。
ここも一応広場っぽいものはあるけど、建物がはみ出していて、この国の基準よりもだいぶんと狭い。
それにしても、妙に臭いなあ、ここ……
難民キャンプといえども、魔法陣式上下水道装置は導入されているはず、よね?
「相変わらず、魔法装置を拒否し続けているんですね……酷い臭いだ」
「使い方を教えるだけじゃだめだったんですか」
フェアネスシュリーク様の台詞に、思わず立ち止まる。
確かに、旧アスガイアを旅した時に通った村には、ひとつとして魔法陣装置なんて置かれていなかった。それは間違いない。
神罰の前より、魔法陣装置が余り普及していなかったうえに、神罰でそれらを使えるだけの魔力を持てない者が続出したということも、記録で知ってはいる。
だけど神罰は既に解除されていて、難民たちは本来の魔力を取り戻している、はずなんだけど。
「便利なんですけどねえ、何故拒むんだか」
ワカバちゃんは首を傾げているけど、人間の考え方ってそれこそ人それぞれだしなあ。
「魔法陣装置のない生活を神罰よりも前から、百十年かちょっとくらいしてたらしいけど、そういやどうしてそうなったのかが資料に載ってなかった気がするわね」
少なくとも、あたしが調べた範囲では、理由に言及する資料はなかったはず。
「旧王家が庶民の魔法使用を禁じたんだよ。魔力の高い貴族と王族、あと神官以外の魔法の使用を罰則付きで禁止したのさ。百二十年くらい前の話だな」
そこにアスカ君からの新情報だ。そうか、彼、アスガイア侵攻事件のちょっと前にあの国にいたんだったっけ。
「なんと、愚かな事を……」
この世界は、魔法ありきで出来ているというのに、というフェアネスシュリーク様の嘆き。
「この、国の境界ガッチガチに縛ってる世界で、隣の国に難癖付けて攻め込むなんて馬鹿やらかすような連中だったからなあ。
結局戦後に即決裁判で、旧王家全員物理的に首が飛んだとは聞いてるが」
旧王家は侵攻事件で神罰を受けたあと、新たに指名された王家によって裁かれ、ほぼ全員が死罪となって、処刑場の露と消えた。
アスカ君はその情報もきっちり仕入れていたようですよ。
「ほぼ全員、ね。一人だけ、神官職の人が侵攻には関わりなしとして放免されたはず。まあその直後に死んじゃったらしいけど」
なお死因はというと、部下による暗殺だそうだ。うん、軍事に関わっていなかっただけで、この人物も割とろくでもなかったらしいですよ。
さて、物騒な過去の話も交えながら到着したそこは、集落のほぼ端っこだった。
建付けが妙に悪そうな扉を開くなり、サーシャちゃんがあたし達を手ぶりで止める。
まあ、見えなくても、ここまで来たら判るんだけどね。
排泄物系の悪臭がどこからともなく漂っているこの集落で、この扉の中から臭ってくるのは、腐臭だ。
【具合が宜しくない、というよりは、既に宜しくないモノになっておりますなあ】
マルジンさんが、不覚、などとぼやいている。
ずるりずるりと、余り自由の利かなさそうな動きで這い出してきたのは、老人であったもの。
まあ所謂アンデッド、歩く死体ですわ。
「噂では色々聞いてたけど、実物を見る羽目になるとは思わなかったわね」
「うーむ、第一村人が既に村人じゃなかった……」
いやカナデ君、ここ、村じゃないから。あくまでも難民キャンプの体だから。
「なんということでしょう……この方は討伐するしかございませんけれど、他の方たちはどうしてしまったのでしょう」
トリィは既にアンデッドなら討伐するしかないね、と、さらりと判定する。
「腐臭があんまりしない気がするから、多分ここでアンデッド化したのはこの人だけなんでしょうねえ……〈ライトレーザー〉」
にじり寄ってくるものを、眺めていてもしょうがないので、首の付け根を狙って〈ライトレーザー〉を一発。
首と胴が泣き別れになった腐りかけた死体は、そのまま動かなくなった。
「正直〈ウィンドカッター〉でいいような」
カナデ君があたしの魔力の無駄遣いにケチをつける。
「風は全然使ってないから、この方が楽なのよ……」
実は、風魔法はその他分類になる〈分解〉しか使ってなくて、熟練度が全然足りてないんですよ。まだ〈湧水〉の方がよっぽど使ってる。
それにしても、他の家屋には荒らされた跡はないというか、中の家財が綺麗さっぱり消えてるんだけど、何処に逃げ出したんだ、ここの人達?
家財まで消えている理由がねえ……




