39.書記官代理代行。
議事録という単語自体が苦手になりつつある昨今。
話題はマグナスレイン様の登場で、村々の被害状況の確認と、半壊したアンキセス村の今後に移っている。
ベッケンスさんは分散して引き受けじゃないと負担が大きいよなあ、などと言っているが。
「だがそれは我々の一存で決めていいものでもあるまい。カルセストよ、アンキセスの生き残りに何か話は聞いておるか?」
そなた直接出向いたのであろう?とマグナスレイン様がカルセスト王子に訊ねる。
「いや、まだ今は今後どころじゃない、って感じで話にならなかった。取り合えず当面の食料と葬儀の支援してやって、それからじゃね」
一応あたしたちを待つ間に村人に話しかけたりはしてきたようで、カルセスト王子の返答は、気のない様子ながらも、まあまあちゃんとしたものだ。
「それはもう向かわせているが……そうだな、確かに性急に過ぎたか。今は案だけ纏めて、彼らに提示するのはそれからにすべきか……」
離農するものも出るやもしれんが、認めざるを得んだろうな、と呟くマグナスレイン様。
この辺りの村落の住民は、公募で募って国内から集めて、国の事業として移転してきて、公費支援を受けたうえで農民をやっている人たちなので、一家で離農することになると、手続きが大変だし、そもそも認可されない事もあるんだって。
アンナさんの息子さんが街に出てるのは、街で働くほうが絶対に良いっていうタイプの才能があったそうで、例外処理がされたとか。
そのへんは細かい事務の話をしている間に、サクシュカさんが教えてくれた。
まあ隣でずっとしてる事務系の話も全部聞いているんだけど。
内政話だし遠慮しましょうか、と言ったらカルセスト王子が書記代わりに覚えておいてよとか言い出したせいで。
……こんにゃろ、人をマイクロレコーダー代わりにしようとは!まあ別に構わないから今回はやるけどさ。
あんまりそういうことが続くようなら、ちょっと文句を言わないとかな。忘れられないって、あとあとからすっごく響きそう。
《要らない情報になった段階で見えないようにしまっちゃいますから、忘れない件は特に気にしなくていいですよ》
シエラはそんな風に安請け合いしてくれたけどね。
村の人たちは夕食を一緒に食べて、一泊してから帰ることになったそうで、夕食後にはのんびりと龍の人たちと雑談している。
それを横目に見ながら、あたしは議事録を作ってます。
読み書き、実は異世界初日にはできなかったんだけど、シエラのおかげで今はすらすらだ。
筆跡はシエラのほうに寄るのかと思ったら、崩し方が甘いので、私の字じゃないですねー、と言われた。
崩し字読むの、得意じゃないから、どうしても崩し切らない書き方になるのよね。
まあそもそも、今書いているのは公文書にあたる議事録なんで、できるだけ文字は崩さないで書く。読めないって言われたら困る。
「学生みたいな文字書くんだな」
カルセスト王子が寄ってきてあたしの手元を覗き込む。
「そりゃまあこの世界の文字を覚えてまだ一か月弱ですからね?実際学生みたいなものでしょう。これは公文書にあたるでしょうから、読みやすさ優先ですし」
学習期間でいえば、まだ小学生くらいのへなちょこ文字でもおかしくないんだからね?
あ、この世界にも小学校はあるそうです。だいたいの国で適用範囲の違いはあれど、義務教育。ライゼルは知らん、と教えてくれたイードさんは言っていたけど。
《あの国の教育機関は公民向けですらないですから、まあ義務教育なんてないでしょうね》
王と軍、そしてそれよりも更に神殿が勢力の強い国で、初期ライゼル国地域の臣民だけが恩恵を享受する、というよくあるテンプレ悪役国のようだ。
《確かにテンプレっぽいですわねえ……》
あたしの読書履歴の結構な数を読み込んだらしいシエラがなるほどなあって声。
「ああ、確かにこんくらい読みやすいと助かるなあ……兄弟どもに手本にさせてえ……」
あら、珍しく弱音のような事を言い出すのね、カルセスト王子らしくない。
「セスト兄にしては珍しい事を……ああ、成程、カーラ殿の文字は習い始めてひと月足らずだというのに、兄たちに比べるべくもなく、とても読みやすいな。確かに公文書向きだ」
カルセスト王子の様子に違和感があったのか、すすすと寄ってきたイードさんも、あたしの手元を見て似たような感想を漏らす。
どうやら、兄弟に悪筆さんが結構いるようね。
「……そんなに凄いんです?」
この兄弟が揃って同じことを言い出すのがちょっと珍しかったから、そんな風に聞いてみる。
「誰とは多すぎて言えんが、軍人組の半数位は酷いものだよ?ミミズがのたくってるだけにしか見えない、とかよくある話で」
イードさんがそう教えてくれたけど、ミミズ系がよくある話?草書ではなく?
「報告書の取りまとめをする時期になるとエスティ兄がげっそりしてるからなあ。俺はまだマシな方だと言われたが、正直嬢ちゃんの字のほうが綺麗だな」
「セスト兄はもう少し時間をかけて書けばちょっとはマシになるのに、そこを端折ろうとして雑に書くからだろう」
珍しくあたしの事を褒めるカルセスト王子に向け、余裕そうにニヤリとして指摘するイードさんの書く文字は、召喚魔法陣を書く為の必須技能だから、と、大変整っているのをあたしは知っている。
「だって時間勿体ねえじゃん。これ書いてる間に次の任務行けるのにって」
わあ、カルセスト王子、意外とワーカホリックだった。
いくら若くても、書類仕事してるくらいの身体的休息はあった方が良いんじゃないですかねえ、めんどくさい返事が来そうだから言わないけど!
「カル君そういうとこがだめなのよ、ちゃんと休息取ってないから書類ぶん投げてるのに」
そう言いながらカルセスト王子の頭をこつんと叩いたのはサクシュカさんだ。
「え、あれサク姉の陰謀だったの」
初耳ですって顔でカルセスト王子が表情を歪める。
「陰謀じゃありません、治癒師の深謀遠慮ですっ」
サクシュカさんはため息をついて、これだからこの子は、と呟いた。割と本気で心配してる奴ですよこれは。
そんな感じで龍の人たちと言葉でじゃれあいながら、議事録は無事完成。まあ被害報告部分以外はそんなに長文じゃなかったからね。
アンキセス村は住民がほぼ半減、家畜全滅、畑も壊滅状態だし、災害用備蓄にも一部被害が出て、正直住み続けること自体が難しい状態のようだ。瘴気の汚染もあるので、復旧よりも移転の方が早い状態。
ベッケンスさんのベネレイト村は人的被害は避難中にぎっくり腰を起こした人とこけて顔をすりむいた子供がいただけ、但し家畜はほぼ全滅で、畑も踏み荒らしと汚染で三分の一ほど使えなくなっているそう。こちらは移転まではしなくていいけど、生産計画の大幅見直しと、支援が絶対に必要な感じ。
カミモラ村はスタンピードに追われた普通の獣が畑を荒らした程度で、それも普通の獣のそれだけだから、復旧は容易、人的被害もなし。
ドネッセン村は放牧に出していた牛が数頭やられた程度で、畑や人に被害はなし。
城塞からの距離は、アンキセスとベネレイトがほぼ同じくらい、そこからカミモラ、ドネッセンと離れていく。
アンキセスとベネレイトの被害の差は、城塞式避難所があるかどうか、ほぼこれに尽きるようだ。アンキセスにだけは、避難先になる城塞が近くにないのだという。カミモラとドネッセンは双方の中間、ほぼ同じ距離の所に指定避難所が設置されている。
あとは個人で村が手狭になったからと、村外に家を構えていた農家が数軒あったけど、こちらも被害は避難所の遠近でほぼ決まってしまったようだ。
最初聞いたときは、ABCDで覚えやすいと思ったけど、アンキセスが一番新しい村で、そもそもこの世界の文字の覚え並べとは順序すら違いましたとさ。
この世界の文字の覚え方は、いろは歌のように文章になっていて、母音は何度も出てきたうえに、最後にそれだけ並べた掛け声で終わるという。
なおドネッセンの次に近い村はザムフェル村でした。一気にZかーい。
実はマグナスレイン様も悪筆だという噂。