259.癒しと清浄化と謡う亜竜。
先に瘴気の塊を処理したから、集落の中は所々が浸食で崩れた痕がある程度で、本来の姿に近い状態にまで戻っている。壁が浸食?と思ったら、どうやらここの住居は、微小生物の群体が素材の一部に使われているのだという。この群体生物は意思を持っているとかではないのだけど、魔力に反応して形状を変える性質があって、そのせいで浸食されてしまうのではないか、という話だった。
案内されたのは、広場のような場所に、布を屋根と壁にした簡易な天幕のようなものがいくつも建てられた、臨時の救護所らしき場所だった。重症者がだいたい集められているようだったのだけど、半数以上はもうカナデ君が治療して、残っているのは比較的症状の軽い人と、魔力を追加した初級治癒では間に合わないレベルの重症者だ。カナデ君も魔力や魔法の才の素養は高いんだけど、治癒の修練が地味に足りていなくて、上位変換まではできないのよね、まだ。
「あ、おねーさん、早い。今呼ぼうと思ったとこ」
重症者に少しずつでも、と治癒をかけていたらしいカナデ君が顔を上げる。ってなんか目が赤いぞ?
理由はすぐに知れた。少し離れた所に、泣きながら立ち去る数人がいて、そのうち二人ほどの腕に、動かない、彩を失った灰色の、子供らしき姿が、見えてしまった。間に合わなかった、のね……。
流石にあたしが加わって〈上位治癒〉のみならず〈生命賦活〉も解禁してからは、新たな死者は出なかったけれど、最終的に、あたし達の到着前を含めて十数人ほどが亡くなって、その大半が、幼い子供だった。瘴気汚染は、人族でもそうらしいのだけど、乳飲み子くらいだとあまり発生しないけど、ある程度思考力を得た子供あたりは、身体が小さい分、許容量が低くて、反転現象を起こす前に死んでしまう事が、多いのだそうだ。残りは元々病人だったり、老齢だったりで基礎体力のない人ね。
アプカルルは光優位の個体が多くて、比較的瘴気耐性の強い種族なんだけど、それでも今回の瘴気汚染では、大きな被害を受けた。アプカルルでこれなら、魚人族はもっと酷いんじゃないかと思ったけど、幸いにして、集落の真上を通られたのはこのアプカルルの集落だけだったそうで、他のアプカルルや魚人族の集落には、ここまで派手な被害はまだ出ていない。
そう、まだ、だ。放っておけば、瘴気は汚染範囲を広げ、魚人族や、普通の魚に影響を及ぼす。拡散されきってしまえば、魚まで影響を受ける濃度ではなくなるだろうけど、それまでの間に、海生種族には大ダメージになるはずだ。
もっと早く迎撃していれば?いや、ケラエノーさんに場所の特定をして貰った時間からここまでは、ほぼ最速で動いていた、はずだ。
「それにしても、俺たちの目にも見える瘴気って、この世界的にはなんか違和感あんなあ」
サーシャちゃんの言葉に、そういえば、と宙を見上げる。頭上にもあたしの張った結界があって、そこに重油の如くべったりとした黒いものが、いつの間にか結構な量積もっている。瘴気の塊、と呼んでいたけど、そういやこいつが瘴気を纏っていること、それ自体には間違いがないのだけど……瘴気って、魔物がいない状態だと、それ単体で物質の形はとらない、はずよね?
(あれが全部魔物なんじゃない?見てるとめっちゃ蹴りたくなるんだけど)
カナデ君に静かに寄り添っていたロロさんが、あたしの視線と同じ方向を見て、そう言いだした。全部、魔物?
(蹴るんじゃだめよ、多分飛び散って増えるだけになっちゃう)
ココさんのツッコミ。え、なに、あれ極小の魔物の集合体、ってこと?
(集合体とはちょっと違う。飛び散って、そこで分裂して、増える?)
いや待ってココさん生物学の素養もおありなんですか?は、置いといて、ある程度の塊で存在する魔物だけど、衝撃で容易に分裂して更に状況によって増える、ということ?
(多分そんな感じ?物理は相性悪そう)
ココさんの解説に、ロロさんがちぇー、なんて言っている。
と、そこで見ていた瘴気の塊っぽい推定魔物が、ぶるぶると震え出した。そして、そのままぼろぼろと解けるようにほぐれて、消えていく。少し間を置いて、不思議な音。長く、低く、時には高く、尾を引くような、とても遠くから響き渡る、何者かの、声。
いや、これは、歌、だ。はるか遠い海のどこかで、何者かが歌う、癒しと浄化の調べ。
「……まあ、ケートス様の歌だわ。何百年ぶりに聞くでしょう」
近くにいた、結構御年配らしきアプカルルの奥様がそう呟くのが聞こえた。
その歌声には、癒しと浄化の力が、備わっている。魔力も乗っている感じなのだけれど、第一印象は、あくまでも癒しと浄化、だ。
「よしよし、この辺りまでは届いているな。あとはどれだけ北方まで届くか、だが」
ひょっこりと戻ってきたランディさんが結界の上の瘴気塊の魔物が消えていく様を確認すると、そう呟きながら一人頷いている。
「おかえりなさい、ランディさん。ケートスさんに歌をお願いしてきたんです?」
確認の為に聞いてみたら、そうとも、という回答。ですよね。
「結構魔力やあれこれを消費するので、そうそう歌ってくれないのだがね、流石に今回の状況を説明したら、二つ返事で引き受けてくれたよ。奴にとっても、アプカルルの集落の存続は、後続の自種族の為にも重要なことだからね」
高く、低く。言葉のない、只美しい音の響きだけでつくられた旋律が緩やかに、長く尾を引いて流れるなか、ランディさんが得意げに解説してくれる。魔力以外のあれこれ、って何なのががちょっと気になるけれど、こういう時のランディさんは、大体そこらへんは教えてくれないのよね。
「……美しい旋律だな」
ここまで、周囲を警戒してずっと無言だったマグナスレイン様が、そう呟く。
「原初の旋律の一つだからね。龍の子には好ましく感じるだろうさ。ヘッセン辺りの連中なら、退屈と評するかもしれないがねえ」
ランディさんはそう言うけど、退屈とかそういう感想を抱きそうなのは、むしろゴシップ劇とか好きなオラルディ辺りじゃないかしら、なんて酷い感想を抱いてしまうあたし。
「そうかしら?聖女様とかこういう感じお好きそうだけれど」
推測として述べてはいるけど、絶対好みだと思うんだ……彼女の人となりの把握はほぼ文通での知見に基づいているけど、そこまで間違ってるって感覚はしないので!伊達に週二ペースでやり取りしてないわよ?
「そりゃまあ聖女であれば、この歌の意味も知っているだろうし……って、純粋に好みとしてこういうシンプルな旋律が好きだったりするのかい?」
聖女の定義辺りから説明しそうな雰囲気になっていたランディさんが、あたしの言葉の意味を読み取って、何故か怪訝な顔になる。
「そうらしいですよ?あの国の今の聖歌は技巧に寄りすぎていて、正直外連味が強すぎるってちょいちょい手紙でぼやいてますもの」
聖女って、神ではなく世界そのものが定める存在だからか、出身国の国神と感性が合わない、なんてことも、ままあるっぽいのよねえ。最近になって、そう言うぼやきがちょいちょい出てきているのは、多分あたしをそれだけ信頼してくれるようになってきた、ってことではあるんでしょうけど。
「確かにヘッセンの聖歌は美しいが、複雑過ぎて一部の歌は専門職でないと手に負えない、という話は前にもどこぞで聞いたな……」
マグナスレイン様も、直接聖歌を聞いた事はないそうだけど、そういう噂レベルの話は聞いたことがあるそうな。って国防の要で滅多に国外に出ないマグナスレイン様まで知ってるってことは、相当有名な話ってことよねえ?
とはいえ、こういうマイナス要素を含む話ってのは、ちょいちょい尾ひれが付いていたり、何らかの理由で他国がネガキャンしてたりすることもないではないんだけどね。
今回の場合、あたしの方は聖女様がソースなんで、疑う余地がないっちゃないんだけども。
アプカルルのお葬式は、集落の構成員だけで行うのだということで、あたしたちはその晩のうちにまたイルルさんの魔法の道で海上に戻った。あと船で留守番してたアンダル氏がケートスの歌で結構なダメージ受けてたので、つい治癒を投げようとしたらそこで光魔法とかガチめに死ぬわ!と、怒られた。うっかりしてました、君、光弱点の元魔神だったね……ほんと済まぬ。
亜竜ケートスの歌は、最終的にレガリアーナまで届いて、海にばら撒かれたあの煤のような、重油のような魔物はほぼ全て消失したそうだ。
ただ、それまでに出た被害が回復するわけではない。アプカルルの集落の死者は勿論だけれど、他の地域でも、瘴気汚染が原因の死者や、新規の魔物発生が所々であったらしい。まあ魔物のほうは歌で弱体化して、あっという間に討伐されたという話ではあったけど。
海の上で見る夜明けは美しかったけど、なんかちょっと、まだもやっとしたものが心に残っている。もうちょっとうまく立ち回れなかっただろうか。あのアプカルルの子供たちを、救う方向には、いけなかったんだろうか。流石のあたしも、ちょっと考えてしまうのよ。
実際にはサの字の眷属化してるから死ぬまでは行かない。ダメージを受けない訳ではないけど。




