136.無貌の蛇。
はいはいバトル回前半だよ!
最初に目に入ったのは、宙に浮くように現れた、全面が黒っぽい流水紋に彩られた、青灰色の仮面。神罰の、楔。
そして、それを取り囲むように拡がる、納戸色、とでもいうのだろうか、深い、淵の色の、恐らくは、長い髪。
四本ある腕は、半ば白く、残りは黒く変色し、明らかに瘴気に浸食されているのが見て取れる。
女の胸までは、明らかに人の形、だが、それより下は、ぐずりと崩れた黒い部分をふんだんに持つ、青みのある濃灰色の大蛇だ。地を這う部分が、不自然に大きく膨れた胴は、あたしの世界に伝承されていた、野槌という怪異を思い出させる。UMA的には、ツチノコ、だっけ?
それを見た黒鳥が、速やかにあたしの後ろに隠れる。なんであたしなの!いや、そうか、今の姿を知られたくないんだったか。
【オオオオオオオオオオオオ……贄カ、エモノ、カ!我ガ腹ヲ、ミタセ、タリヌ!】
ぎこちない言葉遣いで、蛇が叫ぶ。甲高い声。
声と共にいきなり突っ込んできたので、無言で結界を張る。がん!とぶつかる、鈍い音。
「話し合いは不可能そうですねえ」
見たものの割に落ち着いた様子で、グレン氏がそう呟く。
「まあ無理でしょうね、腹を満たすことしか考えてないです、あれ」
ここまで近接すれば、スキルであれこれ駄々洩れしてくるんですけど、百パーセント食欲、というか腹があんなに膨れているのに、飢えだけをひたすら叫び続けてるんですよ。狂ってないか、これ。
【ヨコセ!タリヌ!タリヌ!タリヌ!】
しゃにむに結界にぶち当たりながら、ひたすら飢えを叫ぶ、無貌の蛇。いやあんたどこから食う気だ、と思ったら、胸と蛇の境目辺りが、ぐわりと開いた。ずらりと並ぶ、鮫のような蛇らしいような、牙。その牙で、結界を嚙み砕こうとして、見事に滑っている。済まんな、結界術は気付けば人類的にはマックスまで育ってるんだわ、あたし。
なお、まだ成長の余地はあるらしい。そこは一旦見なかったことにしておく。
「それにしても見事な結界術ですね。これほどの精度と強度には、初めてお目にかかります」
グレン氏が感心したように結界そのものを眺めている。おーい接敵中ですよ?呑気ですね?
そこに、よたよたと、誰かが歩いてくるのが見えた。おいおい、死ぬ気か。しょうがないので、そっちも結界で覆う。案の定、蛇の髪がそちらを絡めとりに行って、結界に弾かれる。
「ひっ……あ、ああ、結界?誰かは知らぬが、有難い、助かった……おお?!なんと、これは、麒麟様!?」
そう礼を言ったり、麒麟くんに驚いたり忙しいのは、略式の宝冠を片手に下げた、白髪に薄いあごひげの、老境に入ろうとしている男性。まあ痩せ細っているし、呪詛の名残らしきものが肌に残っているので、年齢よりは老けて見える感じだろうか。
そして、呪詛の名残があるということは、これが、王都の王族で唯一生き残ったという、王、そのひとか。
「おや、陛下。よくぞご無事で」
声に気付いたグレン氏が王に向きなおり、他人行儀に簡単な礼を取る。
「ああ、グレンマールか。帰国させた途端に、苦労ばかりかけるのう。それにしても、麒麟様も、そなたも、よく生きて戻られた」
王の様子は、随分と弱ってはいるけれど、それ以外は、とりあえずは正常、のようだ。
いや、でもなんで宝冠を手にぶら下げるなんて雑な扱いを?
蛇のほうは、時折結界を内側に張り替えるだけで、当面は放置も可能。なので話を聞いてもいいかなあ。
「私も古い知己繋がりで助けられたクチですので、あまり大きなことは申し上げられません。ですが、その宝冠の取り扱いは流石に如何なものかと」
グレン氏は、正直に告白と、流れるように、宝冠の件を指摘する。
「ああ、これかね。魔除けの術式が刻んであるので、移動時の盾代わりにならぬかと、試しておったのだよ。妃と神官の生き残り達と共におったが、あれらの簡易儀式での結界は、この様な移動が出来ぬのでなあ」
おおう、まさかの実用品だった。効果は微妙だったようだけど。
生き残りは当然保護した方が良いよね、と、取りあえず、皆で王様についていって、神官たちと合流した。
とはいえ、どうも王宮で生き残っているのは、王と王妃、そして神官の三人ほど、だけのようだ。
「他の者は、みな、アレに喰われてしまいました」
はらはらと涙をこぼすのは王妃殿下。この方もすっかり痩せ細っていて、髪もすっかり真っ白だ。王妃様が足を痛めておられるし、絶食が続いていたようだけど、全員感染症はない判定だったので、全員に治癒をかけておく。
「我らの力が及ばず、これ以上の人を、救うことができませなんだ」
神官さん達は、ぐったりしている。まあ呪詛の名残と神罰で力が制限されてる中では、よく頑張ったんじゃないですかね。そして、健在な以上は、王と王妃を優先して守るのは、この世界の政体的には、間違ってはいないのだし。
蛇の所の結界は一度解除して、改めて全員を囲むように結界を構築する。神官さん達が目を丸くしているけど、無詠唱はすべきでなかったろうか。
「なんという……おお、なんという……」
神官の長だという老人が、感動とも畏怖ともつかぬ声音で、ただそれだけを繰り返している。
「いつまでも引き籠ってはいられませんし、討伐しちゃって宜しいですか?」
蛇は速攻でこちらに寄ってきている。まあ、王がいるなら、許可は取るべきだろう。ここをなんとかしたら、次は神殿乗り込むんですけどね……
「可能であれば、是非に。あれはとうに守護聖獣などではない、この国に仇なし、民すらも食い荒らす、魔獣だ」
王が、恨みを込めた口調で、そう宣言する。
「では討伐を。〈起動:ダブルスペル〉/〈フレイムレーザー〉〈ウィンドエッジ〉」
グレン氏が最初にそう応じると、火と風の二つの魔法陣を同時に描いて、放つ。え、この人魔法師なんだ?わあ、上級称号持ちだ。
ダブルスペルは付加属性の〈多重詠唱〉の初期状態、以前あたしが乗せてもらったハラルカールさんはペンタスペル、つまり五重まで使えると言ってた。これも熟練度で多重詠唱の数が増えていくタイプね。
あたしはマルチロックがあるから、覚えられないかもしれない。マルチロックは違う魔法を起動することはできないから、同じ使い方はできないのよね。多重詠唱にターゲットロック機能はないから、一長一短というやつね。
「うーん、火は軽減されますね、そういえば奴は水属性がメインでしたか」
魔法の結果を見て、唸るグレン氏。黒鳥はそれを聞いてお手上げのポーズ。まあ君は闇火で、あいつとは相性悪いよね。いや待て、君風が最大だろう!お手上げしてんじゃありません!
「嬢ちゃん、やっちゃう?」
地味に無詠唱でウィンドスラッシュを打ちながら、カル君が聞いてくる。まあ手っ取り早いのはあたしよねえ。
「はいはい、〈ライトレーザー〉」
単体相手にマルチロックを使う必要はないしなあ、と、シンプルにライトレーザー、出力はそれなりで。うん、貫通するからね。まあグレン氏が使ってた魔法も両方貫通持ちだけど、どっちも軽減されて抜けてはいない。アラクネーの時と同じで、風魔法と髪の毛の相性が良くない感じ。黒鳥のお手上げ、正解だったね……
ずばんと一発、口状に開いた胴のちょっと上を貫通させる。思ったよりダメージが出てない感覚。うーん、口の中の方がいいんだろうか。
「わあ、光上級とか、初めて見ましたよ、魔力消費どんだけですそれ?」
グレン氏が呆れたような声。あたしは馬鹿魔力に底上げされた称号効果と馬鹿魔力そのもののお陰で連打も余裕だけど、本来光魔法は消費三倍とかいうクソ仕様だからね、しょうがないね。サクシュカさんも属性は足りてるかもだけど起動する魔力が絶対足りない!って言ってたし。
「うへえ、姉ちゃんの魔法でも軽減してやがる……そうか、守護の玉をまだ持ってるんだな、あいつ」
それを引っぺがさないと、だめかもしれない、と、黒鳥が呟く。
でも白狼さんの時も、死体を砕いて取り出していたし、体内にあるのでは?
「いや待て、娘御、そなたどういう魔力量じゃ……?」
国王陛下がびっくり顔してるけど、それは言わないお約束なのです。神官さんたちはちびりそうな顔でこっち見てるし。
どうしようか、マルチロックレーザーで飽和射撃でもいいけど、流石にちょっと建物や地面に被害が出そうな気はする。海の上って、あたしにとっては戦いやすいステージだったんだな、って改めて実感してしまうわね。うん、アラクネーと違って、でかいというか、長すぎて反射結界戦術が、あんまり現実的じゃないという罠がですね!
一回で終わらない、だと……?




