10.海に向かう。
だが、海の話はあまりしていない。
結構な上空まで上がるから寒いだろう、と、防寒着としてイードさんの手持ちのコートの一つを借りて、ジャッキーを湯たんぽ代わりに抱えて、ハイウィンさんの背中の上、なう。
ミモザはグリフィン姿のハイウィンさんをちょっと怖がったので、お留守番になりました。可愛い兎に無理をさせちゃいけません。
最初はイードさんと同乗の予定だったんだけど、「いかん、男女相乗りは宜しくないな」などと突然言い出して、彼は自分で呼び出した、大きな、ハイウィンさんと殆ど変わらない翼長の青鷺に乗っている。
そーいう意識、あったんだ。
いや、今まで全くそんな気配なかったんですよ?純粋に、研究者が研究対象に向ける目しか、向けられたことないんですよ?
《……ですよね。接触する距離で初めて意識するとか、流石にないですわ……》
シエラもすっかり呆れている。
そうか、地元民目線でも、ないかー、そっかー。
空から見る世界は、なるほど確かに迷いの魔の森の方は、鬱蒼とした森林と思わせて、突然泥沼が開けていたり、雪が積もっている森林の真横が砂漠だったりと、節操のないありさまだ。
あと、魔力でも神力でもない、なんだかどろっとした力のようなものが、森全体、多分全体を覆っている感じがする。
いや、南の果てが見えないんですわここ。広い。
そして、薄っすらとした光が、城塞のある土地と、森との境界を形作っている。
あれ、この力知ってる。メリエンカーラ様のものだわ。
《そうよ、メリエン様は全ての境界を支える偉大な御方ですもの。本当なら、もっと知られ、敬われるべきだと思うのだけど、御自身はそう思ってらっしゃらないみたいで》
なるほど、こんなに近くに力が通っているなら、あの時すんなり会えたのも当然なのかもね。
《そういえば、そうね。私だけでは到底この距離は結べませんものね。なぜ気付かなかったのかしら》
メリエンカーラ様が気付かれるのを望まなかった、それだけじゃないかしら?
あまり表に出ることなく、ひっそり裏から助力だけする。そんな印象が強いのよね。
翻ってハルマナート国はというと、普通の森林と田園地帯、あといくつもある、小ぶりな家屋が並ぶ村を抱え込むような、無骨な城塞。
城塞のない場所にも村はあるけど、規模が小さい。
お勉強の時に習ったけど、この国の城塞は、国境の一つを除いて、基本的にスタンピードの時に近隣住民を収容するのが主目的なんですって。
あたしがいた国境の砦は、防衛ラインとしてだけ運用している。近所の村人の指定避難先は、ほど近い場所にある別の城塞だ。
この避難先指定や避難指示のシステムは、随分と昔に、他所の世界から来た人が、世界各国を回って構築したものだそうだ。
なるほど、スタンピードは異世界人的には自然災害扱いか。
《自然、なのでしょうか。いえまあ、時を選ばぬという意味では自然でしょうけども。魔物は存在そのものがいまだに謎が多いので、その考えは口に出さない方がよろしいかと》
あら、意外。それなりに解明されているものかと思っていたわ。
(魔物と聖獣と獣の違いって、なんだと思う?)
突然、ジャッキーがそんなことを言い出した。どうして?
(いや、実は、森の方からたまに呼ばれるんだ、こっち側になれって。気配がうざいし気持ち悪いからオコトワリしてっけど。
アルミラージのばーちゃんらに聞いたら、そっちに行くと魔物一直線だからやめとけって言われた。
つまり、やめとけ、程度の変化で魔物になりうるってことじゃないかなって思ったら、ちょっとぞっとしねえなって)
《……私にも聞こえましたけど、その件は口外禁止でお願いしますわ。》
シエラが深刻そうな声でそう告げる。そうね、これも言わない方がいいわよね。
あら、じゃあ言葉を解する魔物もいるのかしら?
《記録上では存在しなかったと思います。意思の疎通が……あなたのスキルで出来てしまったら、ちょっと怖いわね》
彼等が聖獣と、シンプルに逆方向に獣から離れただけの存在なら、できる可能性は充分あるけど……
なんだろう、それはないって心のどこかで確信しているあたしがいる。この世界の事、まだそんなに知らないのにな。
(……難しいんじゃねえかな。森の声、思考放棄しろみたいな感じだったから。呼びこまれちまったら、多分自我とかなくなる気がする)
だから嫌なんだよなー、とジャッキーは軽く付け加えた。成程?
(おれは、兎だろうがジャッカロープだろうが、おれでありたいんだ。だからあの声に用はないのさ。おれに枷も制限もつけないマスターと一緒がいいな)
ああ、ジャッキーはほんとにいい子だねえ。なでなでしてやろう!
ジャッキーを撫でつつ、ハイウィンさんの背の上に暫し。随分と西に飛んだところで、海が見えてきた。
あの城塞は、国境線のど真ん中にあったので、国を半分横断した感じですね。
広大な海原は、傾く西日に照らされて、キラキラ光っているけれど、視界のほぼ中央に、黒く蟠った何かが見える。
【うむ、見えてきたの。あの蟠り全てが、大きさは異なれど、魔の者よ。海で発生した故、どうしても魚介が多いのう】
ハイウィンさんがそう話しかけてきた。
「……海のお魚ってこの世界では食べるんです?」
魔物が跳梁跋扈してるようなら、漁業とか発展してなさそうだけども。
あ、スタンピードで発生する魔物は基本食べられません。そうじゃない散発の魔物は何故か食べられるんだけど。
スタンピードが起きるほど汚染が強いと、そもそも倒したときに身体が残らないのだそうだ。
原因物質は瘴気、と呼ばれている。まあお約束の名称だね。
【沿岸漁業はそれなりに発展しておる故、食卓に上がることも多いそうじゃ。我は塩気が強い海の魚は好まんが】
あー、内陸だと干物か塩漬けでしょうしね、海産魚。
《メリサイトでは、お魚は貴重品でしたわねえ。国の半分近くが砂漠なうえに、北は凍土、南は高山に阻まれていて、実質海がないんですよね……》
シエラの溜息。
《隣のレガリアーナ国かサンファン国から輸入するしかないんですが、サンファン国は異世界召喚やらかし側で、メリサイトとは仲が悪くて……レガリアーナは寒い国なので、魚は全部塩漬けですね、日照が少なすぎて、干物が輸出するほど作れないそうですの》
なるほどなあ、メリサイトの砂漠なら、乾物なんでも作れそうだけど、そんなところに魚はいないものね。
《魚はいませんが、サボテンの実を乾燥させたものや、トカゲ類の干物はありますね。サボテンはまあまあ美味しいので、いつか手に入れたら食べてみてくださいね》
なるほど、そういった産物があるってことは、砂漠でも人は生活しているのね。逞しくていいわね。
「あ、そういえば、いつだったかの晩御飯に、塩漬けの魚らしい具の煮物がありましたね」
思い出したけど、トマトらしき赤い野菜のスープに、塩気の強い魚が入ってた覚えがある。あれはあれで美味しくはあった。
普段は川魚を焼いたものとか普通に出るから、ちょっと意外だった記憶がある。
【あれは、保存食庫の整理をしていたら出てきてな。そろそろ食ってしまわねばならん日付が付いておった故、思い切って煮込んだんじゃが……】
口ごもってしまったところを見ると、作った本人の口には合わなかったらしい。まあそうね、ハイウィンさん、甘いもの好きだものね。
あの煮物、結構塩気がきつめだったものねえ。野菜多めだったし、ブルグルにかけて食べたから、美味しくいただけたけど。
「おう、そろそろ軍も到着するぞ、ハイウィンは少し上に」
少し離れたところを飛んでいた青鷺が近づいてきて、イードさんがそう叫んだ。
【こちらに乗り換えんで良いか?ベンは少々臆病であろうに】
「いや、今回獲物が下だろう?ベンネーンの細さを買っているんだ、そなたより見やすい」
ああ、確かにハイウィンさんだと、いくら獅子様の身体が細身でも、完全に真下に潜りこまれたら見えないね。でもさあ。
【細い太いという表現をするでない!ほれ、さっさと行け、龍どもも、もう到着するじゃろ】
ハイウィンさんは不機嫌な声。
ですよねー、グリフィンでも女性に太いと連想させちゃだめですよねー。
ほんと、イードさん、そういうとこだよ?
やはり食い気に偏る回が出てくる……




