なんちゃって神話学 ~「汝殺すなかれ」と神は言ったけれどもさ~
十戒クイズ!
それは何度聞いても覚えられないモーセの十戒を何個言えるかを競うクイズである。
基本的に順不同だが、順番が合っていればその分だけ得点は大きくなる。
もっとも、何の得点なのか、得点を集めてどういった特典があるかは不明である。
「一つ目は『他の神を崇めないこと』だ」
自由ヶ丘利人は迷いなく最初の戒律を口にした。唯一神を信仰する宗教の戒律なのだから、この戒律は当然の戒律と言えるだろうし、一番に持ってくるのも理解が出来る戒律だ。
「えっと、二つ目は『偶像崇拝の禁止』だったよね?」
そして次の戒律は『神の像を造って崇めることを禁止する』戒律だ。
ただ、イマイチ意味がわからない戒律でもある。どう考えても像があった方が崇拝しやすいはずだ。神をより身近に感じることだってできるだろう。メディアがグッズ化に躍起になるのだって、結局は形に残るものこそが最も信仰を集めると言うことだろう。
「この偶像崇拝の禁止は、第一の戒律と同じ事を言っていると考えるべきだろうな」
「って言うと?」
「出エジプト記を読めばわかることなんだが、神は『自然から他の崇める存在』を新たに創造することに危惧を覚えていた。この時に神は『私は妬む神である』とまで言ってるから、自分以外の神を信仰することを滅茶苦茶嫌ってるっぽい」
「唯一神の宗教だからね」
相当念入りに自分達の神が唯一無二の存在であることを強調しているわけか。漫画とかでも最初の内に重要な設定を繰り返し読者に説明することがあるし、それと同じだろうか? 流石は世界一売れているファンタジー小説なだけはある、マーケティングが完璧だ。
「第三の戒律は『みだりに神の名を唱えてはならない』だな」
「まあ、友達でもないし当然っちゃ当然だよね。で、次の戒律は…………なんだったけ? 有名な『汝殺すなかれ』かな?」
「いや。『安息日を守れ』だ」
ああ。労働基準法か。
何千年も前のお話の割に、意外と現代的な戒律だよね、これ。
「神様が六日で世界を創って、一日休んだからだっけ?」
「らしいな。随分と手抜きして創ってくれたみたいでありがたい話だね」
「って言うかさ、これってどれくらいの仕事がダメなの? ご飯を作るのだって仕事と言えば仕事でしょ?」
「聖書には薪を拾っている人を捕まえたと記されているな」
薪を拾うのは仕事で、薪を拾っている人を捕まえるのは仕事じゃないのかよ。
「ちなみに、神はその罰として皆で石を投げて殺すように言っている」
「薪を拾っただけで死刑!? 極端過ぎるでしょ」
「これ、サービス残業した人はどうなっちゃうんだろうな」
知らないよ。
した人よりも、させた会社が悪いのは間違いないだろうけど。
「で、次が『汝殺すなかれ』だよね?」
「千恵さ、残りはそれしか覚えてないだろ」
「いや。『家族を大切に』とか『嘘を吐くな』とかも覚えている。で、その中でも『殺すなかれ』は最初の方だった気がするんだよね」
私の言葉に利人は苦笑する。
「残念ながら、『父母を大切にせよ』が五つ目だ」
…………はい。
「ま、父親が絶対ってのは、宗教あるあるだな。聖書でも父親が自分の息子を生け贄にしようってシーンがあるし、当時のコミュニティの秩序を守る為には絶対者が必要だったんだろうな」
「そんな穿った見方しなくても、両親を大切にするのは当たり前じゃない?」
「いや。親であるだけで尊敬に値するなんてことはない。勘違いしている人間が多いが、無条件の愛を貰っているのは子供じゃあなくて、親の方だとは思わないか?」
「それ、今回の話に関係ある?」
「ない。で、話を戻すが残る戒律は『人を殺すな』『姦淫するな』『窃盗をするな』『詐称をするな』『他人を妬むな』の五つなんだが、順番を覚えているか?」
ああ。言われて見ればこんな内容だったな。
全部が全部、『わざわざ戒律にすること?』みたいな当たり前な道徳過ぎて覚えられないんだよね。
それで、順番だけど、どうだったっけ?
うーん。わからん。
ついでに言えば『人を殺すな』よりも『両親を大切に』が前に来る倫理観もわからん。
更に言わせてもらえば、安息日を守らなかった奴を殺すのがセーフな理由もわからん。
「うーん。『人を殺すな』『他人を妬むな』『姦淫するな』『詐称をするな』『窃盗をするな』かな? 正解は?」
「正解はさっき俺が言った通りの順番だ」
「引っ掛け問題かー。いや、でも、万が一にもモーセが間違えて覚えていて、私の答えが正解って可能性はない?」
「十戒は石板に刻んでメモってあったからその可能性はない」
「そんな持ち運びに不便な物に刻まなくてもいいでしょ。落としたら割れちゃうし」
「まあ、実際、モーセは落っ子として割っちゃったからな」
えぇ。
「普通、そんな大事なものを落とす? ドジっ子じゃないんだから」
「勿論、普通は落とさないさ。モーセが神との邂逅を終えてシナイ山から下りてきたら、仲間達が金色の仔牛の像を囲んでパーティしてたんだ」
は?
パーティー? 何故に?
「この状況を説明するには、ちょっと話を遡る必要がある。モーセ達イスラエルの民はこの話の前にエジプトで奴隷になっていた。その危機を神の力によって助けられている。有名な海を割るシーンの後、イスラエル人達はシナイ山に辿り着く。で、モーセが代表して山に登って神と会って十戒を授かるんだ。その間実に四〇日だ。麓に残ったイスラエルの民は待ちきれずに神への感謝祭を始めたんだ」
「まあ、四〇日も待たされたなら待ちきれなかったのは仕方がないかも? でもさ、何で金色の仔牛?」
現代日本人にはわからない感性だ。
「牛って言うのは大地を耕してくれるし、牛乳はおいしいし、肉だって食べられる。人間にとって都合の良い生き物だ。だから、牛を神聖視するのは不思議ではない。金色って言うのも実った麦の象徴としてはポピュラーだ。当時もアピスと言う豊穣の神を代表に、様々な神のシンボルとして牛が扱われていたんだ」
「でも、聖書の神様は違うんでしょ?」
「いや。微妙な所だ。旧約聖書には時々だが神を角に例える箇所があって、それを牡牛の角だとする説がある」
「ん? じゃあ牛こそが聖書の神で、その像を造ったのは間違いじゃあないの?」
と、自分で言って思ったが、これは第二の戒律に触れているわけか。利人は新たな神の創造を禁止する戒律だと説明してくれたけど、そのままの意味で偶像を作るのも当然だが禁止されているだろう。
「同時に、第一の戒律にも触れる。牛の神はありふれている。それはシナイ山の神であると同時に、シナイ山の神でないとも言えるからな。仔牛を奉るのは他の神を崇拝することに他ならないだろう」
「なるほど?」
偶像崇拝であり、他の神を崇める行為。
日曜日に働いただけで石を投げつけろと言う神が怒り狂わないわけがない。
「モーセは神の怒りを恐れ、金色の仔牛像を燃やしてバラバラに打ち砕いて水に混ぜてイスラエルの民に飲ませた後、唯一裏切らなかったレビ族と一緒にその場にいた三〇〇〇人をブチ殺した」
えぇ。殺戮っちゃうのかよ。
何の為にわざわざエジプトから脱出させたんだよ。
しかも性質が悪い事に、こいつは自分を全知全能と言ってた神様なわけでしょ? こうなるってわかってたんじゃないんかい。
流石に自分から『私はねたむ神』とか言い出すだけはある。嫉妬の炎はそんな理屈で制御できないのだろう。
「って言うかさ、ずっと思ってたんだけどさ『汝殺すなかれ』がバリバリに無視されてない? ありえないくらいちょっとしたことでぶっ殺してるんだけど? 寛容さとかないのか?」
「人間って結局は動物だからな。自分達以外のコミュニティは資源を奪い合う敵なんだよ。だから、この場合の人間って言うのは『同じコミュニティ』って言う注釈が必要だろうな。人間ってのは、聖書を知ってる人間のことを言うんだよ。だから、同じ神を信じない連中を殺した所でそれは戒律違反にはならないんだ」
「そんな過激な考えが世界中で支持されたっておかしくない?」
どう考えても頭の中の考え方なんか関係なく、目の前の相手が同じ人間だってことはわかりそうなものだけど。
「そうか? 今の世の中もそう変わらんだろ」
シニカルに利人が笑う。
「反ワクチンだとか、ツイフェミだとか、ヴィーガンだとか、陰謀論者とか、似た思想を持った連中がネット上で沢山集まっているだろう? で、自分と反対の意見を持った相手なら何を言っても良いと思ってやがる」
「ああ。そっか。人類は昔からずっと変わらないってことか」
自分だって大した人間じゃあないくせいに、私は人類の行く末に対して一抹の不安を覚える。
が、利人はまるで逆の感想を抱いたらしい。
「四〇〇〇年も二〇〇〇年も人類はそれでなんとか絶滅せずにやってきたんだから、こうやってゴタゴタやってる間は一安心じゃあないか? 人間は上等な生物じゃあないけど、生きることに関しては信頼できる。それ以上は望みすぎだろ」
「いや、もっと人類に期待しようよ」