表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

第1話 地竜から逃げろ・前編

「Gururururururu…」


 奴が口を開くと、生温くて臭い息が顔にかかった。

 長い牙の向こうで、真っ赤な舌がヌルリとうねった。

 とっくに冬は明けたというのに、俺は酷い寒気を覚えた。




 始まりは何の変哲もない朝だった。


「はい、『コカトリスの卵の入手』ですね。期日は三日ですが、問題ありませんか」

「なに、今日一日で片づけてくるさ」


 冒険者である俺は仲間を連れて、いつも通りに冒険者ギルドで依頼を受けた。

 『コカトリス』はデカイ鶏だ。

 尾には蛇の頭が生えていて、成人男性と同じくらいデカい。

 かなり凶暴で、人を見れば襲い掛かってくるし、尻尾の蛇は毒も持っている。

 B級指定の強めの魔物だが、俺の所属するパーティーもB級だ。

 戦闘になっても問題は無い。



 はずだった。

 しかし、俺達が山沿いの巣穴へ辿り着いた時、コカトリスのやつは不在だった。

 昼時に行ったのがまずかったのだろう。

 巣穴には大きな卵と、その卵を丸呑みにする『地竜』しかいなかった。


「ひっ」


 地竜がこちらを向いた時、誰かの喉から悲鳴が漏れた。


 『地竜』とは飛ばない竜の総称だ。

 この大陸だと地下洞窟などに少数生息し、人前に姿を見せることは滅多にない。

 だが、鳥系の魔物の卵が好物で、どうしても食いたくなった時だけ地上に上がってくるという。

 稀な話なのだが、俺達は不運にもその稀な食事時にかち合ってしまったというわけだ。


「Gururururu…」


 コカトリスの卵を全て食らって、なお地竜の腹には余裕があったらしい。

 地竜は次の食事に俺達を選んだ。


「Gyaoooooooooooo!!!!!!」

「に、逃げるぞ!」


 魔物は脅威度によって六つに分けられている。

 一番下がE級で、D、C、B、A、Sと順に上がっていく。

 地竜はA級。

 そのなかでも最上位に位置する『特A級』の魔物だ。

 何が言いたいかといえば、B級冒険者の俺達では勝ち目の無い相手ということだ。


「Gururuaaaaaaaaa!!!!!!」


 地竜は巨大な魔物だ。

 俺達が遭った個体は人間三十人分くらいのデカさがあった。

 叫び声で木々が揺れ、歩く度に地鳴りが起こった。

 翼が無いから飛びはしないが、一歩の幅が段違いであり、俺達はすぐに追いつかれた。


「散れ!」


 俺達はバラバラの方向に走った。

 全滅を避けるためだ。

 当然、地竜に追いかけられることになった運の悪い奴は確実に死ぬ。

 が、勝ち目がない以上、これが最善の策だった。

 そして、その『運の悪い奴』に選ばれたのは、何と俺だった。


「ぐ…くそったれ!」


 こうなった以上、俺は腹をくくって時間を稼ぐしかない。

 せめて、他の仲間達が食われないために。

 俺は反転すると、腰から剣を抜いて、地竜のやつと正面から対峙した。


(で、でけえ…!)


 改めて正面から見ると、信じられない大きさだった。

 地竜の顔は俺の半身以上もあった。

 一噛みでも許したら身体の半分を持っていかれる。

 手足も巨木の様に太いので、爪の先に掠っただけでもぶっ飛ばされて死にそうだった。


(…この前『一つ目巨人』のやつを討伐したが、比べ物にもならねえ…)


 一つ目巨人は人間三人分くらいの大きさだった。

 あれでも十分デカかったが、地竜と比べたら赤ん坊みたいに思えた。

 正真正銘の化け物だ。

 俺は恐怖で足がすくみかける。

 だが、それより早く地竜が大木のような前足を振るった。

 俺は咄嗟に前転し、奴の懐へと飛び込んだ。

 地竜の爪は暴風を巻き起こしながら硬い地面を削り飛ばした。


「く…らえええ!」


 俺は竜の真下から首筋目掛けて剣を振るった。

 渾身の一振りは『ガキン!』という音を立てて首元の鱗に弾かれた。


「硬っ…!」

「Guruaaaa!!!」


 傷一つさえ付けられなかったが、しかし鬱陶しくはあったらしい。

 地竜は虫でも払うみたいに頭を振るった。

 俺はそれに巻き込まれてぶっ飛ばされた。

 勢いよく地面を転がった。

 途中どこかで頭を切った。

 すぐに起き上がらねばと思ったが、視界が揺れて、足元が覚束なかった。

 ようやく焦点が合ったかと思えば、地竜のやつは、もう目の前にいた。


(ああ、こりゃ無理だ)


 これが特A級。

 これが竜か。

 どうしようもない。

 戦いにさえならなかった。

 俺は目の前に広がっていく死を、ただ黙って受け入れるほかに仕方がなかった。


(…すまねえ皆。ろくに時間も稼げなかった俺をどうか許してくれ…)






「壁!」


 だがしかし、俺が食われるより一瞬早く、俺の目の前に土の盾が出現した。


「Guraaaaaaaaaa!!!」


 地竜は土の盾を容易くぶち破ったが、衝撃で吹き飛ばされた俺は昼飯になるのをかろうじて免れた。


「サンダーボルト!!」


 続けて振ってきた雷で視界が白く染まった。

 雷鳴と竜の叫び声で、俺は耳がぶっ壊れるかと思った。


「…って!…立って!走って!早く!!」


 誰かが俺の腕を掴んで言った。

 高い、女の声だった。


「…な、何が…」

「Gyaooooooooooooooooooooooooo!!!!!!!!!!!」


 ようやく戻ってきた視界で背後を向けば、天に怒りの咆哮を上げる奴の姿が見えた。


「ピ、ピンピンしてやがる…!」


 雷が直撃したのに!


「土壁!」


 女の声で再び土の壁が出現。

 しかも、今度は十枚近い壁が一瞬で作られた。


(魔法だ!)


 この馬鹿でかい土の壁はこの女の魔法。

 平民で剣士の俺は魔法には疎かったが、それでもソレがとんでもなく強力な魔法であることは理解出来た。


 『魔法』とは、世界中に満ちている『魔力』を使い、あらゆる現象を生む超常の力。

 その威力は絶大だが、平民で魔法を使える者はほとんどいない。

 冒険者も大抵は平民上がりなので、魔法使いの冒険者も希少だ。

 その上、これほど強力な魔法使いともなれば、大陸中を探したって何人もいないだろう。

 だが、そんな魔法使いの冒険者に俺は一人だけ心当たりがあった。


「あんたは…魔法使いのクロか!」

「どうも。どこかでお会いしましたか」


 『クロ』という変わった名前の冒険者は、この辺りで最も有名な冒険者だ。

 未だ成人前後くらいの年齢でありながら、尋常ならざる魔法の使い手で、ソロで活動しているにも関わらず、既に冒険者ランクはB級に至っている。

 だが、何よりクロを有名にしたのは、その美貌であった。

 鎖帷子に緑のマント、革ベルトに革の靴。

 実用性重視の無骨な装備の上には、美しい金髪と深紅の瞳が宝石のように輝いていた。

 整った顔立ちは出会う男の全てを魅了し、『女でさえ一瞬ドキリとする』とは冒険者ギルド受付嬢の言葉だった。

 『麗しの魔法使い』、『美貌の冒険者』、『戦う処女』、『戦女神の生まれ変わり』。

 彼女を表す言葉は無数にあり、この辺りの吟遊詩人達はこぞって彼女の詩を歌った。


「話したことは…無い。ギルドですれ違った程度だ」

「良かった。人の名前覚えるの苦手なので、もし忘れていたらどうしようかと」

「そ、そうか…」


 …でも、俺も同じB級冒険者だぜ。

 ちょっとくらい覚えていてくれてもさ…。

 この有名冒険者に全く認識されていなかったという事実に、俺は少しだけ肩を落とした。


「Gyaooooooooooooooo!!!!!!」


 咆哮の後、数枚の土壁がまとめてぶっ壊された。

 地竜が大暴れして、土の壁を破壊しているのだ。

 肩なんか落としてる場合じゃねえ!


「失礼、アクア」

「わっぷ!?」


 クロが魔法を使うと、俺達二人はびしょ濡れになった。


「な、何だ!?」

「臭い消しです」

「あ、ああ、なるほど」


 竜は狼並みに鼻が利くというから、それの対策というわけだ。

 俺達が近場の草むらに飛び込むのと、最後の土壁が破壊されるのはほぼ同時だった。

 崩れ去る壁の向こうから竜の頭がズルリと覗いた。

 俺達は草陰でじっと息を殺した。


「Gururu…」


 地竜はギョロギョロと辺りを見回した。

 物音一つでも立てたら今度こそ食われてしまうだろう。

 自分の唾を飲む音がいやに大きく聞こえた。

 口に手をやり、きつく目を瞑る。


(頼む!見つからないでくれ!)


 それから永遠のような時間が過ぎた。

 地竜は俺達の潜む草むらを通り過ぎ、そのままどこかへ歩き去って行った。




「…撒いたみたいですね」

「ぷふううぅ…」


 息を吐くと全身の力が抜けた。


「た、助かった。あんたが来てくれなければ、俺は今頃奴の腹の中だった…」

「未だ近くにいるかもしれません。しばらく待ってから町へ戻りましょう」

「あ、ああ、了解だ」


 クロは油断無く竜の去って行った方向を見続けていた。

 その横顔はあまりにも美しく、俺は一瞬見惚れてしまった。


「…っ!」


 気が緩むと、急に頭の傷が痛くなってきた。

 深い傷ではないと思うが、鈍い痛みがズキズキとあった。

 傷口を右手で抑えると、クロが話しかけてきた。


「回復ポーションは?」

「…持ってない。うちでは全部後衛の奴に持たせてるんだ」


 そう答えると、クロは背負っていた袋から小瓶を出して手渡してきた。


「どうぞ」

「いや…助けられた上にポーションまで貰うのは…」

「頭の傷は危ないですよ。倒れられても困りますから、受け取って下さい」

「う、すまん…」


 白く、傷一つ無い綺麗な手からポーションを受け取る。

 こいつは本当に冒険者なのだろうか、と不思議に思った。


「何か?」

「い、いや、何でもない」


 焦ってポーションを飲み干すと、額の傷はすぐに塞がった。

 礼を言ったら微笑みが返ってきた。

 危うく惚れそうになった。

 俺に嫁がいなければ間違いなくやられていただろう。


「そろそろ行きましょうか。足音は完全に遠のきましたし、地竜が戻ってきても困りますし」

「…よし、せめて俺が先頭を歩こう」




 道中は地竜に見つからないよう黙々と歩いた。

 平原で地竜に見つかると逃げられないので、迂回して森の中に入って進んだ。

 剣士の俺に斥候の能力など無いが、一応辺りを見回して警戒に努めた。

 運の良いことに、竜どころか動物の姿さえ一度も見なかった。


「動物たちも地竜に怯えて逃げたのかもしれませんね」

「そうかもな」


 自分の安全が確保されると、今度は仲間の安否が気になってきた。

 クロの登場で時間は稼げたから、何事も無ければ皆逃げ切れたはずだが…。


「何人パーティーですか?」

「六人パーティーだ。俺含めて」


 歩きながら仲間の姿を探す。

 全員の無事を神様に祈った。


「すいません」

「どうした?」

「そっちに足跡があります。真新しいので、お仲間のものでは」

「何!どこだ!?」


 クロの指の先には確かに誰かの足跡があった。

 地面には葉っぱの影が(まだら)に落ちていて、酷く見つけ難かったが、確かに足跡だった。


「良く見つけられたな」

「『探知魔法』を使いました。あまり得意ではないので、有効範囲十歩くらいなんですが」

「十分だ。この跡を追っていけば、仲間と合流出来るってことだな!」


 俺達は足跡を追った。

 とにかく仲間に会いたかった。

 しかし、しばらく行った先で、今度は魔物の足跡を見つけた。

 地竜とは別の小さい足跡で、恐らくゴブリンのものだろうと思われた。

 それが無数にあった。


「Gyaoooooooooooooooooooooooooo!!!!!!!!!」


 遠くで竜の声が響いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ