4 ―家庭の事情―
「それでは各々出場する種目を確認して、精一杯頑張ってください」
学級委員の女子の、シメの挨拶で、長いホームルームの時間が終わった。今月末に開催される体育祭の、出場種目決めを行っていたのだ。できれば、どの競技にも出場したくはなかったが、そうゆうわけにもいかず、俺は二人三脚、綱引きに加え、強制参加のクラス対抗リレーに出場させられることとなった。
この学校では組体操は行わないらしい。それは俺にとって何より幸いだった。
中学の組体操では二人組を作る際なぜかあぶれてしまい、二人技の演技中、俺は体育座りで待機していた。
上半身裸というのも相当辛い。俺は肥満に加え、やや毛深い体質で、女子たちに体格を大笑いされていたことを覚えている。
組体操もなければ、プールもないこの学校では、上半身裸になる機会もないだろう。本当にありがたい。
終礼が済んだ後、金山はすぐに部活へ直行したらしく、俺も今日はさっさと下校することにした。
校門を出て十分ほど歩けば駅に着く。各駅停車に乗り、二駅目で降りる。そこから更にニ分ほど歩いたところに、俺の暮らすアパートがある。自転車でも通学できる距離なのだが、残念ながら俺は、自転車を乗りこなすことができない稀な人種だ。
「ただいま」
古いアパートの二階の端。鍵の掛かっていないドアを開けながら、中に向かって呼びかける。すると台所の方から「おかえり」と、聞き慣れた母の声が聞こえた。
「はあ、疲れた」
そう言いながら鞄を投げ捨て、リビングの椅子に座る。母は食器を洗っている最中のようだ。
「何言ってんの。部活の一つもやってないくせして」
「だって疲れんだもん。あ、体育祭二人三脚と綱引きに決まった」
「へー。そんだけ?」
「そんだけ」
小学五年のとき両親が離婚して以来、母と二人でこのアパートに暮らしている。母は看護婦で、主に深夜勤務だ。よって、おそらくまだ起床したばかりであろう。彼女は俺の親とは思えないほど、整った目鼻立ちをしており、スタイルも良く年齢よりも大分若く見える、自慢の母だった。
俺は着替えを済ませてから、すぐに自分の部屋へと向かった。
部屋に入るなり机に座ると、鞄の中から数冊の教科書、参考書、ノートを取りだす。高校入学時からの日課だ。何の特技も趣味も持たない俺は、空いた時間は全て勉強に費やそう、と決めていた。おかげで先日行われた中間考査では、非常に高い点数を取ることができ、母を喜ばせたものだ。
自分でも驚いたことに、今ではかなり勉強が好きになっており、同級生が部活動などに勤しむこの時間帯に、こうして机に向かって参考書を広げるのが、全く苦痛ではなくなった。
十分後、ノックの音がした。母がジュースを乗せた盆を持って、部屋に入ってくる。
「関心ね。医者にでもなるつもり?」
机にジュースを置きながら母は言う。医者か……。それもアリかもしれない。実は
まだ、将来のことについて全く白紙の状態だった。
「母さん、今日仕事?」
「仕事。ふぅ、いつになったら楽できるのかねぇ」
そう言いながら母は、自分の肩を右手でトントンと叩く。
母が去った後も、黙々と机に向かい続けた。どんな職業でもいい。とりあえずは母を楽にさせてあげたい。
そのためにも今の成績をキープし続けよう。きっといつか報われる日が来るはずだ。
それにしても……、と窓の外に目をやり、俺は思った。
金山のように、部活動に励む輩が羨ましくもある。おそらく、青春という言葉は彼らのような存在のためにあるのだろう。
「体育祭か……」
そう独り言を呟いた後、俺は再び頭を集中させ、参考書に目を移した。