1 ―高校入学から一ヶ月 ある放課後のこと―
「おい渡辺。今日ちょっと付き合えよ」
帰り支度を始めようとしたら、不意に金山が声を掛けてきた。彼はとっくに帰り支度を済ませているらしい。
「え、今日部活はいいの?」
「ああ、どうせ行ってもランニングしかさせてもらえんし」
金山は野球部に所属していた。我が校の野球部は県内でも指折りの強豪で、百人近い部員数を抱えている。彼がこの学校に進学したのも、その野球部に入るためだ、前に言っていたのを覚えている。
「まあ別にいいけど……。どこへ行くんだ?」
「それはお楽しみ。早くしろ」
「わ、わかったから」
金山に急かされ、俺は鞄を持ち、教室を出た。
教室の中にはまだ大半のクラスメートが残っており、それぞれ談笑したり、携帯をいじったりしている。俺は金山に聞こえないように、小さく舌打ちをした。
高校生活が始まり一ヶ月が経とうとしていた。中学までの俺の姿を重ねる限り、今のところは順風満帆といえる。中学時代……。それは本当に地獄だった。あの時代を二度と繰り返してはならない。
金山と親しくなったのは全くの偶然で、高校初日のオリエンテーションの際、ランダムに座った席が隣同士だったためだ。坊主頭に鋭い眼……。明らかに俺とは別の世界を歩む人間のように思えたが、意外にも俺たちは、すぐに打ち解けることができた。
当初はまだ彼にもあまり友達がいなかっただろうから納得できるが、野球部の仲間を含め、多くの友達を得たはずの今も、まだ俺と親しくしようとする彼の姿勢にはやや疑問である。
しかし俺にはまだ金山以外に親しい友はおらず、喰らいついてでも彼についていこうと心に決めていた。もう孤独はこりごりだ。
「おい、金山!」
前をずんずんと歩く金山の背中に向かって呼びかける。
「こっちはもしかして……」
彼の足は渡り廊下に差しかかろうとしていた。
「野球部の部室じゃないのか?」
「へへ、ばれたか。ここまで来たんだからおとなしくしろよ」
金山が歩きながら顔だけをこちらに向ける。意地悪そうな笑顔を浮かべている。
「嫌だ! 絶対無理だって」
俺はそう叫び、足を止めた。ほぼ同時に金山も足を止める。そして彼はやれやれ、といったふうにはあ、と溜息を吐いた。
「だからさ、お前も部活ぐらいやった方がいいって。そんなんじゃ、いつまで経ってももてないぞ」
確かにもてないが、俺は金山にそんな話をしたことはなかった。勝手に決めつけるな、と言いたい。
「そうゆう問題じゃないだろ。俺みたいなド素人が野球部に入ったって邪魔になるだけだし、何の意味もない」
俺の言い分を聞いた金山は、呆れたような表情で、ゆっくりと首を横に振った。
「なあ頼むよ。誰か勧誘しないと俺、先輩にボコられちまうだろ」
「じゃあ俺以外の奴にしてくれよ。俺、野球に興味ないし、部費や、器具を揃える金もない」
実は彼から勧誘を受けたのは初めてじゃなかった。もっとも今までは会話の中の軽いジョークに似たニュアンスであったが、彼が本気だというのは薄々と感づいていたのだ。
「金山、何やってんだ?」
その時、渡り廊下の向こう、部室方面から非常に重く、よく通る声が響いた。俺と金山は、ほぼ同時にそちらを見た。身長二メートルはありそうな大男が、こちらを睨みつけている。
「三島先輩!」
金山の声は、少し震えているようにも聞こえた。