10 ―雨の篭城 そして人情―
ゴォォッ。
一瞬の閃光から間を置いて、轟音が鳴り響いた。教室の至る所から小さな悲鳴が上がり、やがてざわつき始める。
「こらっ、静かに!授業に集中しなさい」
数学教師の沢野が怒鳴る。途端にざわつきは消えた。角刈りの大男である沢野の威圧感が、雷鳴による好奇心を打ち負かしたようだ。
今週に入ってから三度目の雨だ。朝は晴れていたのだが、二時限目の最中に突然降りだした。六時限目の今も一向に止む気配はなく、むしろ激しくなっている。
窓際の席に座る金山の様子を見てみる。彼は俺の視線に気づき、生気が抜けたような顔つきで、二度首を振った。
どうやら今日も野球部の練習は中止となりそうだ。
「俺さ、ちょっと筋トレして帰るわ」
ホームルームの直後、唐突に金山が言った。
「筋トレってどこで? 体育館は使わせてもらえないんだろ?」
野球部は人数があまりにも多く、他の部との兼ね合いもあり、雨天の日は屋内で筋トレというわけにはいかないらしい。これは金山自身が話したことだ。
「そんなもん決まってるだろ。ここでだよ」
「ここで?」
『ここ』とはもちろん教室のことだろう。
「どうせ放課後誰もいなくなるんだし、別に迷惑じゃねえだろ」
「それはまあ確かに……」
そこまでして練習を行おうとする彼が、少し立派に見えた。
「やっぱ焦っちまうんだよ。俺、一年の中ではけっこういけてる方だけどさ。それでも俺より上手い奴はたくさんいる。雨だからって練習しねえと、どんどん置いてかれそうでさ」
教室に金山を残し、家路につこう、と昇降口へ足を進めていた途中、重大なことに気がついた。傘がないのだ。今朝は晴れていたので、今日は大丈夫だろう、と勝手に見越し、鞄一つで家を出てしまった。
昇降口にたどり着くと、外から物凄い雨音がザァァと聞こえてきた。駅まで走って、潜り抜けられるレベルの雨量じゃないことは、明らかである。
仕方ない、ここは誰かの傘を拝借して……。
そう考えて傘立ての前まで歩いたが、良心が痛み行動に移せない。
どうしよう……。
良いアイデアが思い浮かばず、無意識のまま廊下を後戻りし始めた。
二階の隅にある図書室の前まで来た。
放課後、図書室は常に開放されており、俺も試験前に一度だけ訪れたことがある。とりあえず雨が弱まるまで、ここで時間を潰すことにした。
ガラガラと静かにドアを開けると、そこには意外な光景が広がっていた。
俺の中で放課後の図書室というものは、多くの生徒でごった返しているイメージがあったのだが、今日はたった一人の少女が机に向かい、本を広げていた。そして、その少女はポーカーフェイスの野球部マネージャー、岡本さんだった。ドアの開いた音は聞こえたはずだが、彼女は一瞥もくれず、本に目を落としたままだ。
「お、岡本さん」
思わず呟く。俺の声を聞いて、彼女はようやく顔を上げた。怪訝そうな表情をしている。
「渡辺くんだっけ? どうしたの? 早く入りなよ」
彼女に言われるがまま中に入り、ドアをしめた。
「きょ、今日は少ないんだね」
「ここ? いつもこんなもんだよ。試験前でもないし」
「そ、そっか」
そう返事をして、ひとまず本棚へ向かった。適当に本を探す間、俺は少なからず居心地の悪さを感じていた。
思えば、彼女とは何度か顔を合わせているが、直接言葉を交わすのは初めてのことだ。