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ヤマダヒフミ自選評論集

ナポレオンを敗北させた小雨

 今年の目標にしていた事がだいたい終わったので、エッセイを書いて気晴らしでもしたいと思います。

 

 パスカルの「パンセ」に「クレオパトラの鼻」という有名な話があります。『もし、クレオパトラの鼻がもっと低かったから、この世界は決して今のようではなかっただろう』という意味です。

 

 丁度同じ見解を内村鑑三が披露しています。「ヨブ記講演」に書いてあります。内村が引いているのは、ナポレオンが大敗を喫した戦いで、ナポレオンが敗北した原因は朝の小雨のせいだ、と言っている。この小雨故に、ナポレオンの進軍が遅れ、ナポレオンは敗北し、世界はナポレオンの餌食から免れた。そういう事を、ヴィクトル・ユーゴーの口を借りて主張しています。

 

 何故、内村鑑三とパスカルが同見解を披露しているかと言うと、二人共キリスト教徒だからです。簡単に言うと、そういう事になります。

 

 キリスト教徒的には、パスカルーー内村のラインで、巨大なものが些細な現実につまづく、と証明する事が大切です。というのは、そこで人間の卑小性、限界が示されるからです。

 

 人間の限界が示されると、その先は神の領域という事になります。神の恩寵が入ってくる「隙間」がないと、宗教というのは存在できません。人間が万能で、何でもできるという考え方だと宗教は存在し得ません。

 

 だからこそ、パスカルも内村も、些細な現実によって世界が転倒している様を示します。言い換えれば、彼らは世界よりももっと大きなものを見ているのです。(だからこそ偉大な思想家なわけですが)

 

 ちなみに言えば、パスカルはクロムウェルの例も出しています。これは内村と全く一緒です。イギリスを荒らし回っていたクロムウェルは、尿道結石に苦しみました。そこでパスカルは、ほんの小さな石が尿管にできた事が、イギリスを支配しようとしていたクロムウェルの進撃を止めた、と見るのです。

 

 これは一つの見方ですが、今はあえて反論を試みようと思います。

 

 ナポレオンの例で考えてみます。丁度、ナポレオンの伝記を読んだ所なので、ナポレオンについては大体把握しています。


 実際問題、ナポレオンが敗北したのは朝の小雨故なのか、というと、そうではない、と私は思います。これは、そもそも理由ーー因果関係というものをどう考えるかという哲学的問題です。

 

 ナポレオンの伝記を読むと、彼は様々な不利な状況で勝ち抜いてきたのがわかります。絶望的な状況を冷徹な計算と勇気でくぐり抜けてきたのを伝記で確認できます。では、そのナポレオンは、朝の小雨程度の事で負けるのでしょうか? そういう事はあるのでしょうか?

 

 実際の所、その頃のナポレオンは落ち目でした。それ故に、今までにない判断の曇りがでてきています。しかしそれ以上に大きいのは、ヨーロッパ全体がナポレオンに「疲れていた」事だと思います。対ナポレオン同盟ができたのはその為で、これはナポレオンが「連戦連勝」だったからこそできた同盟です。ナポレオンが敗北して、引き下がっていたらできなかったものでしょう。

 

 ここで何が言いたいかと言えば、人は偶然と闘う生物という事です。ナポレオンは、ずっと様々な現実と闘ってきました。それに常に打ち勝ってきた男です。しかし、とうとう敗北の瞬間が来たーーというのは、それは、ロシアの寒さが原因かもしれない。神が降らした小雨のせいかもしれない。ただ、彼の意志力が衰え、彼の存在そのものが世界にとって荷厄介になった時、「朝の小雨」といった些細な現実が、彼の敗北の「原因」となったという事です。

 

 私は「原因」は、何でもいいと思います。例えば、怪我を理由に引退するスポーツ選手がいます。一方で、怪我から復活する選手もいます。それでは何が違うかと言えば、人間は諸々のそうした偶然的事実、現実のざらざらとした手触り、思い通りに行かない障害と闘う生き物なわけですが、その生物が、とうとう闘いができなくなった一点において、隠れていた現実の諸物が彼を敗北に追いやるという事です。

 

 病気の比喩で考えてみましょう。ある菌が体内に入ってきて、病気になり、死んでしまう人がいるとします。この場合、その人の免疫が強ければ、全然平気な菌だとします。彼は免疫が弱っていたので、菌の侵入を許し、死に至ってしまったのでした。この時、彼を殺したのは免疫なのか菌なのかと言えば、私は免疫の弱体化の方がより本質的な理由だと思います。免疫が弱体化したからこそ、菌の侵入を許したと思います。

 

 こうした比喩で何が言いたいかと言うと、当人が元気で、意志力も体力もあって、絶えず現実と闘っている限り、朝の小雨も尿管結石も、さほど問題にならないという事です。もっと正確に言えば、朝の小雨や尿管結石は、彼が闘うべき現実の一部なのです。そうした事に闘い続け勝利した人間が(その勝利の倫理的価値についてはここでは判断しませんが)、とうとう闘う事ができなくなった時、彼が制覇していた諸々の現実が彼を敗北に追いやります。それは尿道の中の小さな石だったり、朝の小雨だったりするわけです。

 

 こういう言い方をして何が言いたいかと言えば、人間は諸々の偶然的作用、現実と闘う生き物だという事です。しかし、この生物は、勝利している間、現実のざらざらとした側面を見る事はできません。それは彼が制覇し、勝利するので、絶えず後ろに追いやられ、それを確認している暇もないのです。ですが、敗北を知って、はじめて、現実というのが自分の外側に、手に負えないものとしてあったとわかるのです。

 

 ナポレオンの伝記を読んでいると、彼が挫折し、セントヘレナで幽閉されてから一段と賢くなったのではないかと感じる部分があります。元々、恐ろしく賢かったのですが、彼はそこで、彼が制覇していったもの、彼が屈服させていったものの一つ一つも、また自分と同じように確固として存在していたという現実を確認したのだと思います。

 

 英雄が悲劇に終わるのは、こうした構造があるからだと思います。つまり、彼はいつか、敗北の日に、「神が降らした小雨」に、出会わなければならないのです。勝っている時は、人間は何も感じません。敗者の痛みを感じるのは、自分が敗北してからです。勝っている時は、何かに乗って進んでいる状態で、自分をも強く意識していません。世界は制覇すべきもので、認識すべきものではない。

 

 しかし、彼が乗っている乗り物が転んだ時、それを転倒させた石に気づき、そこに石という存在があった事に気づく。敗北して人は、現実認識に到達できるのではないかと思います。そういう意味においては、パスカルや内村鑑三は最初から世界制覇を諦め、先回りして世界認識の方を取っていた。そういう風に言えるかと思います。

 

 

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