3-1【エレノアのアピール大作戦】
「ね!お願いっ!」
両手を握られて懇願されたリズは困惑した。
「・・・私にですか?」
「そうよ!あなたにしか頼めないのよ!お願い、リズ!」
リズに向かって必死に頼み込むこの女性、ミタニア王国のエレノア王女は今生の願いとばかりに頭を下げる。
最初の授業の日、上手く教えることができるだろうかと緊張しながらリズがやって来た部屋には、赤いふわふわの髪の勝気な女性が居た。年齢はリズと同じか少し上くらいだろうか、くりくりの目が可愛らしく、スラッと高い身長にしっかりとした体の凹凸は失礼ながら視線が自然に向かってしまう。
「ね!ね!お願い!」
エレノアはリズが来るなりこの調子だった。彼女曰く、どうしてもゼフィールと結婚したいから彼と仲良くなるために力を貸して欲しい、とのこと。
「ミタニアはどうしてもオストールと縁を結びたいの!ミタニアの東の隣国と一触即発だから、西側のオストールが後ろ盾になってくれれば状況が改善するはずなのよ!」
リズはエレノアの言っている意味を理解して小さく頷いた。
歴史的にミタニアとずっと小競り合いをしているマーラン王国。もしミタニアに自国と同じかそれ以上の力ある国が協力関係にあれば、マーランはミタニアに手が出せなくなる。更にミタニアとしては両隣を敵に回して地理的に挟まれたくないため、何が何でもオストールとの仲は取り持っておきたい。
エレノアはプンプンと怒りながら続ける。
「結婚が決まるまで帰ってくるなって言われてるのに、陛下には一度もお会いできるチャンスがなくって焦ってるのよ」
「え?お会いしていないのですか?」
「そうよ!会ってないの!一度も!」
それはあんまりだ、とリズは思わず同情してしまった。未婚の身で単身留学にやって来た異国の王女を、ホストであるオストールの国王が一度も会わないなんて不敬だとミタニアに怒られても仕方がないこと。せめて晩餐くらい共にするのが礼儀なのに。
「陛下にはお会いできないし、ここに来てから楽しいことがなくて詰まらなかったわ。前任の語学の教師なんて耳元ですごく大きな声で喋るからうるさいし、厳しいし、おじいちゃんだし!私はもっと楽しくおしゃべりしたかったのに・・・」
それで自分が呼ばれたのか、と脱力するリズ。結局エレノアはゼフィールと会えず暇を持て余しており、楽しくおしゃべりができる相手が欲しかっただけらしい。通りで教師なのに若者に限定して探していたわけだ。
「ね!だからお願い、協力してくれる!?」
「あの・・・私は庶民なので、何のお力にもなれませんが・・・」
「いーのいーの!話し相手になってくれれば!だってここおっさんとおばさんばかりで相談できる相手がいないんだもの!」
「はあ・・・」
リズは勢いに押されて惰性で返事をした。それをオーケーだと捉えたエレノアはパッと表情を明るくして喜ぶ。
「ありがとう、リズ!よろしくね!」
「よ、よろしくお願いします・・・」
座って、と言われて遠慮がちにリズは勧められたエレノアの隣の椅子に座る。
なんだか面倒なことになってきた、と恐怖で震えながらもリズはエレノアに合わせて無理やり笑みを作った。ゼフィールとは絶対に顔を合わせたくないのでどうにか上手く誤魔化しながら切り抜けるしかない。
「ね!ね!リズはゼフィール陛下にお会いしたことあるの!?」
嘘がつくのが壊滅的に下手なリズは10センチくらい飛び上がった。額にだらだらと汗を流しながら、彼女は必死に視線をさ迷わせて答える。
「い、いいえ・・・そんなまさか・・・」
必死に否定する様子は傍から見れば怪しかったが、エレノアはふーんと気付く様子もなく口を開く。
「そりゃそうよね。はあ、会ってみたいなあ。イケメンでしょ?きっと目の保養だわあ」
「お、お顔は美しいと聞いています」
実際にリズは初めて見た時に綺麗だと思った。鼻から上は仮面で隠されていたが、とても整っていて精悍な顔つきをしているのはよく分かった。
嫌なことを思い出してしまい、リズは真っ赤になって身体を縮こめる。あの時の口付けは人生の汚点であり、良いも悪いも一番心を揺るがすものだった。
「結婚相手としては申し分ないわよね。顔も良くて仕事もできて、身分はもちろん。
氷のように冷酷な王って噂されてるのはちょっと気になるけど・・・リズは聞いたことある?」
リズは正直に頷いた。世間のゼフィールへの評価は噂に疎いリズでも耳にしたことがある。人情味のない、まるで鋭利な刃物のような人物だとか。所詮噂なのでどこまでが真実かはわからないが。
「あの・・・でも・・・お優しい方かもしれません・・・」
もちろんこれはお世辞だ。わざわざ留学してきた王女に姿を一切見せないなど、薄情なのは間違いない。
世辞だというのはエレノアも承知済み。
「そうねえ、とにかく会ってみたいのよねえ。どうしたら会えると思う?お城の方に話を通してもらったんだけど全然返事が来ないのよ」
少し酷過ぎるのではないか、とリズのゼフィールに対する印象がさらに悪化した。返事がないとなると薄情を通り越してただの失礼な人だ。
エレノアは更に続ける。
「伝言を頼んでも『お取次ぎできませんでした』としか言われないのよ?酷くない?」
「そうですね・・・。それでは・・・お手紙などいかがでしょう」
案が思い浮かんだのはリズ自身が昨日手紙を受け取ったからだ。手紙を送ってしまえば物的証拠が残るから返事をせざるを得ないし、会えなくても文字でコミュニケーションを取ることができる。それから興味を持って・・・という展開もあり得るだろう。
エレノアは感心したのか目を見開いて何度も首を縦に振った。
「いい!いいわ!その案いただき!」
「では、せっかくですから古語で手紙を書いてみましょう。勉強の成果を披露する、という口実ができますよ」
リズは話の流れをこれ幸いにと、準備していた古語の児童書をエレノアの前へ差し出す。お喋りばかりでいつになったら勉強を教えられるだろうかと不安になっていたが、手紙を理由に自然と勉強を勧めることができた。仲良くなるために素敵な文章を考えることで勉強もはかどるはず。
「リズ、あなたって天才だわ!」
「あ、ありがとうございます・・・」
エレノアはさっそくリズに渡された本を開く。中には可愛らしい挿絵がついているもので、大体3歳くらいならば理解できる優しい内容だ。
「読めないわ!」
元気いっぱいの一言に、リズは「やっぱり・・・」と肩を落として一文字ずつ解説を始めたのだった。