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ゼフィールとリズの出会いから婚約までを記した所謂“暴露本”というものの作成は国の最優先事項として約一カ月半で市場に並べられた。歴史上類のない婚約発表に国内は一時騒然となったが、若い二人の恋物語は10代の女性を中心に広く受け入れられ支持された。
当初の議会ではベレー家を中心に反対が多数となり婚約を拒否されたが、ベレー家はクロウが何度か頭を下げたことで沈黙。ベレー家が黙ると他の貴族も世間の情勢を鑑みて声高に反対を唱えることができず、しぶしぶという格好にはなるが二度目の議会でリズとの婚約は可決となった。
ただしゼフィールの支持基盤で最も有力な貴族のひとつ、彼の祖母の実家であるドゥーベ家は最後まで抵抗を続けていた。振り上げた拳を下ろすことができず幾度となく周囲を説得に回り、国内情勢は一色触発の険悪な雰囲気に陥る。
ここで活躍したのは貴族ではなく国民だ。
大きな声でリズを罵り続けるドゥーベ家の人々に、激怒した一部の過激な国民が大量の生卵をぶつける、という前代未聞の事件が起こる。
そして生卵は武器になり得るのか、罪になるのか否か、というなんとも滑稽かつ深刻な騒動となり、「生卵じゃ怪我をしないから罪にはならない」「では茹で卵ならば罪になるのか」「汚れるので有罪では」と様々な議論が国中に巻き起こった。
最終的には議会まで持ち込まれ、“将来に渡って国民の意志表示の機会を失わない”ことを最重要視された結果、生卵をぶつける行為は処罰の対象とならず口頭注意のみとされた。この一連の事件は後に『生たまご騒動』と呼ばれ末永く語り継がれることになる。
その後、元々フリーデン派を名乗っていた貴族はもとよりベレー家まで支持に回り、さらには国民の顰蹙まで買ってしまったドゥーベ家は完全に分が悪いことを悟りようやく沈黙する。
ゼフィールとリズの婚約はクロウの計画通り、数の力で押し切るという形で収められた。
リズは出来上がった本に初めて目を通した日は頭が冴えて全く眠れなかった。本の中の人物は確かに自分なのになんだか他人事のようでいまいち実感が沸かない。脚色が多い所為だろうか、クロウが執筆の専門家に依頼した文章は自分事とは思えないほどロマンチックに描かれて話が大きく盛られている箇所もあった。特にゼフィールがリズに結婚を申し込むシーンは10ページ以上使用された見所となっているが、実際はジェイスの脱獄や毒を盛る事件の対応に追われて時間がなかったため驚くほどアッサリとしたものだ。
リズがジェイスを殺めた件も始終美しく表現されており、誇張が酷くて頭を悩ませることとなった。賛辞されるようなことじゃないのにまるで褒め称えるかのような描き方に罪悪感を抱くが、これもまたクロウ曰く必要な演出らしいのでリズは黙って受け入れるしかない。お陰で世間はみんなリズに同情的で彼女を責めるような声は上がってこなかった。
結婚式まで日程もあとわずかとなり、恐ろしいほどすべてが順調だ。
「陛下っ」
キングズガーデンの奥に見えた人影にリズは駆け足で近づく。
ゼフィールは馬から飛び降りるように地面へ着地すると駆け寄って来るリズを両手を大きく広げて胸の中へ迎え入れた。
「おかえりなさいませ」
「ただいま帰った。こんな所で待たせてすまない」
「いいえ、私が待ちきれなくて」
ぎゅっと苦しいほど抱きしめられたリズは微笑みながらゼフィールの胸板へ頬擦りすると、彼の手が両頬を包み込むように触れたため顔を上げてプラチナブルーの瞳を見つめた。熱く視線が交わり吐息も熱くなる。
「ご無事のご帰還お待ちしておりました。お怪我はございませんでしたか?」
「ああ。リズこそ変わりはなかったか?少し顔色が悪い気がするが・・・」
「変わりありませんよ、陛下のお帰りをずっと心待ちにしておりました」
「俺もリズに会えるのを今か今かと待っていた。やっと会えたな」
「はい」
そして人目も憚らず優しく唇が重なると、笑い合いながらお互いの存在を確かめるように触れ合った。
ゼフィールに帯同していたベンはゼフィールらを指で差し、隣に居るクロウの方を向いて口を開く。
「戦争から帰って来たみたいになってんだけど」
「ですね」
「行ってたの兵舎だぞ?ここから1キロも離れてねーんだけど!?」
「毎日こんな感じなので」
ベンは人差し指をフルフルと震わせながら呆れと驚きの混ざった表情。
一方でクロウは大きなため息を吐いて頭を抱えた。早く本城内に戻りたいがゼフィールとリズの睦み合いが終わらないことには歩を進められない。
「ふふっ、くすぐったいです」
背中を這う手に身を捩るリズに、ゼフィールは大きく屈んで彼女の首筋に顔を埋めると思い切り息を吸う。リズの香りはいつも柔らかくて甘い。
「リズは何故こんなにいい匂いがするのだろう」
「まあ、陛下こそいつも良い香りがしますよ」
「俺は汗まみれで恥ずかしいくらいだが・・・」
「汗を纏う陛下は美の神と見紛うほどの美しさです。髪を滴る汗も乾いた大地を潤す一滴の朝露のような儚さと神秘があるのですから」
「リズこそ神が地上に遣わした天使のような清さに俺が触れる度汚しているのではないかと不安になるほどだ。そのうち神の怒りに触れかもしれない」
これを大真面目な顔をして言っているのだから、もう周囲は閉口して見守るしかできない。
ゼフィールとリズはお互いしか目に見えておらず、甘えるような声で何度も何度も口付けをせがんでは応えるを交互に繰り返しす。
ベンはしょうがないなあという顔で始終黙って見守っていたが、毎日何度も同じような光景を目撃させられているクロウはとうとう堪忍袋の緒が切れて、突然に手にしていた書類を勢いよく地面へ叩きつけた。
「胸焼けすんだよ!」
クロウがキレた。
夜間、クロウは珍しいことにエレノアの部屋を訪ねていた。決して艶っぽい理由ではない。
「毎日毎日毎日毎日、あの方々はいつになったら飽きるんでしょうね。お一人の時も突然ニヤニヤしたりして心底気持ち悪いんです。
もうこれ以上はやってられません、価値観の相違です」
彼の口から発せられる言葉の数々は相談というよりもほぼ愚痴だった。
拳を握りながら歯を食いしばって力説するクロウを、エレノアはテーブルに肘を着きながら乾いた笑いをして眺める。
「価値観って・・・離婚する夫婦みたいなこと言って」
「大真面目に言ってます」
「ふざけてるわけじゃないのはわかってるわよ」
さて、どうしたものか、とエレノアは明後日の方を向いて考え込む。いちゃつく上司が鬱陶しいなど傍から見れば馬鹿馬鹿しい悩みだが本人は至って真剣だ。エレノアだって気持ちはわからないでもない。ゼフィールとリズのいちゃつき方は遠慮の欠片もないので苦手な人には辛いだろう。
エレノアはひとつ息を吐き出すと口を開いた。
「仕方ないわよ、あの人たちは自分の人生を相手の幸せに懸けた人たちなんだから。そりゃあ私たちと価値観は違うでしょうよ」
「自分の人生を相手の幸せに懸ける・・・ですか」
クロウは呟くようにエレノアの言葉を繰り返す。
彼女の言う通り、ゼフィールとリズは自分の幸せや欲望を犠牲にしてまで相手の幸せのために尽くし続けて来た。
大きく頷いて続けるエレノア。
「それだけ大切な相手ってことよ。皆は温かい目で見守っているのにクロウさんだけ根を上げているのは共感力が乏しいからでしょ?普通は同情したり感化されたりするもの」
クロウははっとした。共感力・・・言われてみれば確かに自分に共感する能力は低い。本を作成する時の聞き取り調査でもクロウは二人の話を淡々と聞きながら筆を動かしていた。中には本を読んで涙する人もいるというのに。
「そうですね・・・共感力はないと思います」
「でしょう?」
クロウはなるほどと深く納得して口を閉ざした。エレノアの言う通り、自分には理解できないほどゼフィールたちは人生を相手に懸けている。全く別の世界で生きている人たちだと思えばあのいちゃつき方も・・・他人事として静観できるかもしれない。
溜飲が下がったクロウは晴れ晴れとした表情。ずいぶんスッキリとしたらしい。
「ありがとうございます。貴女に相談してよかった」
「良かったわね」
「はい!―――ついでにご相談ですが、よく喋る婚約者を黙らせる方法はご存知ありませんか?」
婚約者とはもちろんエレノアのこと。つまり、エレノアに「黙れ」と遠回しに言っているのか、それとも純粋に悩んでいるから良い方法がないのか訊ねているだけなのか。
期待の籠った目を見る限りは後者っぽい。
「・・・もう少し私に配慮した言い回しはできなかったの?」
エレノアはものすごく呆れた様子で言った。





