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12-1【今ここにある幸せ】



 ジェイスの事件、およびリズとの婚約の件は本が完成するまで秘匿することになった。しかし、婚約式でゼフィールが堂々とリズを抱きしめてしまったことや、元々二人が逢瀬していたことが噂になっていたため、早々に話が出回りクロウの徒労は無駄に終わってしまう。なにより本人たちが自重しないので隠しようがなかった。


「もう一口召し上がりますか?」


 あーん、と開いたゼフィールの口の中へフォークに刺さったケーキが近づくと、パクリと口が閉ざされ咀嚼される。


 膝の上に乗ったリズにケーキを食べさせてもらっているゼフィールの表情を直視できる者は誰も居ない。


「すみません、こんな所で堂々とそういうことをするのは止めていただけますか」


 苦い顔をして言うクロウ。

 キングズガーデンはそれなりに人通りがある。これ以上目撃した人々をぎょっとさせるのは止めてもらいたかった。


 今日は気候が穏やかなので庭に設置されたテーブルセットでお茶会が行われた。ゼフィールとリズにとっては久しぶりの息抜きなのでやりたい放題だ。エレノアのお菓子も気合いが入っているのかいつもの倍は用意されている。


「婚約中のカップルなんてこんなものよ」

「よくないです。噂を鎮めようとしている私の苦労はどうなるんですか?この姿を目撃して仰天している人たちの気持ちはどうなるんですか?」

「諦めたら?」


 エレノアから悪戯っぽく言われた言葉にクロウは頭を抱える。

 そんなクロウの様子に、友人が幸せそうにしていて何が駄目なのか理解できないエレノアは小首を傾げた。


「いいじゃない、こんな幸せそうな陛下見たことないし。表情筋が死んでなくてよかったわね」

「ええ、でもちょっと怖いです」

「それは・・・そうね」


 顔の造りの所為か大きく表情が変わるわけではないが、以前のゼフィールを知っている人からすれば十分驚くに値する変わり様だ。


 チラリとゼフィールの方を見れば、彼は口の端についた欠片をリズに取ってもらい、リズの指ごとケーキの欠片を口に含んでいた。リズは少し顔を赤らめながらも嬉しそうに笑っていて、そんなリズを見たゼフィールはリズの頬に口づけをする。


 自重しろ、と言った傍からこれだ。


「監視役のお庭番も困っているんですよ。どこで制止すればいいのかわからない、と嘆いていました」


 人前でも自重しない人たちなのだから、当然自室でも自重はしない。一番可哀想なのは監視役を担っているお庭番たちだ。


 間接的な苦情を受けたゼフィールはふん、と軽い鼻息をして口を開く。


「リズを可愛がっているだけだ。子ができるようなことはしていない」

「堂々とそういうこと言うのやめてもらっていいですか?」


 聞いている方が恥ずかくなる。


 クロウはリズの方へ向き直って言った。


「リズさんも少しは抵抗してくださいよ」

「え?」


 リズに「何故?」という顔をされ、クロウはだめだこりゃと全てを諦めて閉口した。


 エレノアはクロウの肩をぽんぽんと叩く。


「まあまあ、そのうち慣れるわよ」

「どっぷり甘いロマンス小説を毎日無理矢理読まされている気分ですよ。慣れる気がしません」

「私はイケるわ」

「私には無理です」


 人それぞれ向き不向きがあるか、とエレノアは苦笑した。可哀想だが王佐として耐えてもらうしかない。


「・・・というわけで私はしばらく城を空けますので」

「あらまあ、逃げるの?」

仕事(・・)です」


 話の流れは完全に逃げの方向だったが、クロウは"仕事"をえらく強調して言った。


「王佐の仕事は私の補佐が代わりますので」

「クロウさんの補佐とはどのような方なんですか?」


 ゼフィールに耳を甘噛みされたリズはくすぐったそうにしながら訊ねた。王佐の仕事はもっぱらクロウしか見かけなかったので、リズはクロウに補佐が居たことも初耳だ。


「三人いますが普段は別棟におりますのでリズさんはあまり会ったことがないでしょうね」

「へえ・・・三人もいらっしゃるんですね」

「そのうちの一人は緑頭ですよ」


 緑・・・、と呟くリズ。緑頭と聞いて一番に思い浮かんだのは、初めてゼフィールとの仲が噂になった時にしつこく問い詰めてきた男性だった。


 リズの眉間に僅かに皺ができたからだろう、ゼフィールは彼女の頬に手を添えて口を開く。


「心配するな。あいつには既にキツいお灸をすえてある。

今度リズに何かしたら王命で髪を剃らせると脅したから近づいても来ないだろう」

「王命で坊主にするの?」


 エレノアは可笑しそうに笑うがリズは笑っていいのかわからず困ったような顔をした。あの時、精神的に追い詰められて倒れたのは緑頭の男性ひとりのせいではない。色々なものが積りに積もっていたからだ。

 リズが彼に問い詰められた直後に倒れたからといって彼に責任を負わせるのは申し訳ない。


「そこまでなさらなくても・・・。私は大丈夫ですから」

「気になさらなくていいですよ。あの人いつも調子に乗ってるので坊主くらいさせた方がいいんです」


 クロウまでゼフィールの援護に回る。


「ああ、すぐ調子に乗るからな」

「ちなみに頭も口も悪いです」

「おまけに顔も悪い」


 酷い言いようにリズは更に困った顔をしてオロオロした。

 リズはゼフィールと婚約してからというもの常に護衛を帯同しているため表立った嫌がらせには遭っていないが、遠くから睨まれたり髪の毛を結う時に引っ張られたりするような些細な悪意に触れることは何度かあった。ただし、リズが不快に思うようなことをした人物を見かけることは二度とない。


「陛下は過保護です」


 ゼフィールの隣に立つ以上は民の評価を受け入れなくてはならない。反発する人物を遠ざけたからって解決にはならないのだから。


 リズの言葉にゼフィールの眉間へ皺が寄る。


「リズ、しかし・・・」

「折り合いが悪いことも含めての人間関係でしょう。関係を築く前に遠ざけられては私はいつまで経っても成長できません」


 もうリズは子どもではない。親の言われるがままに囲われて他人との関わりを閉ざしていた頃とは違う。自分で付き合う人物を選び、学び、成長していかなければならない。


 リズが選んだのはそういう道なのだから。


「確かに私は頼りなく陛下にご心配をおかけするでしょうが、私はもう自分の身を守る術を知っています。他人の言いなりにはなりません。嫌なことは嫌だと言えます。

だから陛下は何もせず見守っていてください。耐え切れないほど辛い時に慰めてくだされば私は頑張れますから」

「リズ」


 ゼフィールはリズの瞳の熱に浮かされたように名を呼ぶ。

 自分と一緒になるために、他人を恐れてできるだけ人と関わらないよう生きてきたリズが、ここまで言ってくれるなんて。もちろんリズが生半可な覚悟でゼフィールとの結婚を決めた訳じゃないとわかっていた。それでも彼女の想いの強さを改めて思い知らされ感動する。


 頬を撫で、目を閉じて額を合わせれば交じり合う熱い吐息。


「・・・わかった。だが職務を全うできない者は容赦なく首を切る。リズに危害を加える者は誰だろうが許さない」

「はい」


 今にも唇が重なりそうなほど近い場所で囁くように言えば、リズとゼフィールは目を合わせて小さく微笑んだ。


 エレノアはさっとクロウの目に手の平を当てて視界を遮る。


「しばらく目を閉じておくといいわ」

「音でわかるんですよ、音で」

「・・・耳栓も必要かしらね」


 未来の夫の胃は心配だが幸せそうなリズとゼフィールを止められるわけがない。塞ぎ込んでいた頃よりずっといいじゃない、とエレノアは小さく肩を揺らして笑った。







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