11-3
翌朝、リズは目を覚ますと上半身を起こし、しばらくぼーっとした眼でベッドに座っていた。
ところが昨夜の自分の行いを思い出して即座に真っ青になる。
(話の途中で寝てしまった・・・!)
よりにもよってリズのための会議だったというのに、最後まで話に参加することなく記憶が途切れている。確実に途中で眠ってしまったことに気が付いてリズは飛び起きた。
「おはようございます」
「お、おはようございます・・・」
扉前で待機していた侍女に声をかけられ慌てて乱れた髪を手櫛で整える。その女性はリズより少し年上だろうか、茶色の癖毛を一纏めに括っていてキリッとした容姿。
「お湯は浴室に準備がございます。朝食もすぐにご用意できますが」
「あ・・・、えっと、・・・先にお湯をいただきます」
初めて見る侍女にリズはボソボソと返事をしながら靴を履く。先ずゼフィールに謝罪しなければならない所だが身形を整えなければ恥ずかしいし彼は忙しい人なので簡単に会えないだろう。
リズはポーッとした頭のままお湯を浴びて服を着替えると、薦められるがままに朝食を食べはじめる。
たった一日で人生にとんでもない変化が訪れた。
両親を失い、名前や家も失った頃は、亡くなった両親を想いながら庶民に紛れて細々と生きていくものと思っていた。
しかし、両親を殺した敵を愛してしまった挙げ句、彼のためにジェイスまで殺めてしまった。自分勝手な感情で禁忌を犯した自分の恐ろしさに身震いを起こす。そして自分はしっかりと好きな人と結ばれ王妃の座に収まろうとしているのだから余計に質が悪い。
それでも後悔しているわけではない。同じことがあれば躊躇なく同じことをする。自分を殺してでも、大切な人を裏切ってでも、ゼフィールのためなら全てを投げ捨ててしまう。
エレノアには否定されたが、やはりどこか頭がおかしくなったとしか思えなかった。強くなったと言う人もいるだろうが、リズにはイカれてしまったと表現する方がしっくりくる。
そんな自分が嫌いじゃないのも、また恐ろしい。
「失礼いたします」
開きっぱなしの扉に現れた衛兵は畏まるように直立すると、はきはきとした口調で言った。
「リズ様、陛下がお呼びでございます」
「あ、は、はい・・・っ」
リズはフォークを置いてナフキンで口元を拭うと急いで立ち上がる。
「急ぎではないとのことで召し上がった後でも構いませんが・・・」
「いえ、もう大丈夫です」
「かしこまりました、ご案内いたします」
案内するもなにも居城は広くないので迷う場所もないのだが、後ろから侍女と衛兵が二人してゾロゾロとついて来た。その二人分の視線の圧力に若干居心地の悪さを感じながらもリズは執務室へたどり着く。
「あの・・・失礼します・・・」
扉が開けっ放しなのでリズは控えめに顔を出して声をかけた。部屋の中ではゼフィールはデスクではなく部屋の隅に備え付けらえたソファに座っており、クロウは何本かの巻物の束を抱えたままリズの方を振り向く。
「ああ、来たな」
「すみません、昨日は・・・勝手に眠ってしまって」
恥ずかしそうに俯いて言うリズ。
「いや、疲れていたのに無理をさせてしまって悪かった」
「そんな・・・陛下の方がお疲れなのに」
「いいから早く座ってください」
早く本題に入りたいクロウは二人の会話に割入って声をかける。多少むっとしたゼフィールもリズには柔らかい表情で座ったまま手を差し出した。
「こちらへ」
「はい」
リズは促されるままソファへ歩を進めると、何のためらいもなくゼフィールの膝の上にちょこんと座った。そのまま嬉しそうに頬擦りを始める二人にクロウの目が半分になる。
「・・・あの、いいですかね、始めても」
厭味ったらしい口調にもゼフィールは表情を変えることなく「ああ」と声をかける。頬擦りは止めてもくっつくのは止めないらしい、未だに二人の頬はぴったり張り付いたまま。
注意するのも馬鹿らしくなってきたクロウはごほんとひとつ咳をして話し始めた。
「では、昨日の続きをさせていただきますね。まずは本ですが執筆が終わり次第印刷して出荷します。著者は私の名前になりますので」
「お前に本を書く間などないだろう」
「表向きの名前ですよ。実話として売り出すんですから側にお仕えしている私の名前を出した方が信ぴょう性が高いでしょう?」
堂々としたゴーストライター宣言にゼフィールは一瞬息を詰まらせたが、大した問題ではないかと口を出すのを止める。
「それから、リズさんには陛下とのご結婚に向けてスケジュールを組ませていただきました」
どうぞ、とリズが手渡された紙にはみっちりと文字が並んでいる。マナー講座、政治や世界情勢の授業、交渉術の習得など、王妃になるにあたって必要な知識や技術を学ばなければならない。しかもかなりの過密スケジュールで。
忙しさに目を回してしまいそうだが、結婚式に向けてのドレスの採寸やデザインの相談の時間も設けられているのは救いか。
「議会の承認を受けたわけではないのに勝手に進めていいのか?」
横から覗き込んでいたゼフィールが口を開く。普通、王の婚姻は議会の承認を受けてから予定を組むものだが、リズのスケジュールでは来週から準備を始めていることになっている。どう考えても一週間で議会の承認を得られるわけがない。
「議会は私がなんとかします。最短で本を出版するまで2カ月、結婚式は半年後ですね。ドレスは早目に手配しなければ間に合いませんから」
「婚約式は?」
「省略します」
リズは既に他の男性と婚約式をあげている。しかも毒が盛られるという事件もあったため縁起が悪いと考えたクロウは婚約式を省略することにした。婚約式は伝統ある行事だが・・・まあ今回は特殊な例ということで通るだろう。
「それからリズさん、昨夜陛下には申し上げましたが、お子は結婚後にしてください」
「え、あ、っはい・・・」
「よってお二人がご一緒の間は監視をつけさせていただきますので」
リズはクロウの言葉にそっと扉の外で待機している侍女と衛兵の方を見た。なるほど彼らが、と納得する一方で知らない人と過ごさなければならないのは気が重い。
しかし、王妃になるならば通らなければならない道。このくらいで音を上げていては先が思いやられる。
「はい・・・承知しました」
「心配するな、監視がつく間は俺も一緒にいる。気にならなくなるほど大事にするから」
「陛下・・・」
リズはゼフィールに触れられた時の高揚感を思い、確かに彼が居るならば監視の目などどうでもよくなると思い至った。甘く身を焦がすような感覚に優るものはない。それは恐怖や緊張や羞恥でさえも・・・。
見つめ合いながらうんざりするほど甘い空気を漂わせる二人にクロウは呆れたようなため息を吐いて続ける。
「はい、それでですね―――」
クロウの話を遮ったのはバァン!!と耳をつんざぐような爆音。一斉に音のした方を振り向けば、エレノアが肩で息をしながら半開きだった扉を思いっきり突き飛ばしていた。扉は勢い余って戻ってきたが・・・。
「リズー!よかった、やっと会えたわ!」
エレノアは許可もなくズカスガと入室すると、ゼフィールの膝の上に乗っていたリズの腕を掴んで引き上げる。
引っ張り上げられたリズはエレノアの腕の中に閉じ込められると、エレノアの豊満な胸をぎゅうぎゅうと音が立ちそうなほど押し付けられて目を白黒させた。ちなみに己の腕の中にいたリズをとられたゼフィールは人知れず歯軋りをした。
「よしよし、大変だったわね」
「姫様・・・」
「ここは御悔やみを言うべきなのかしら・・・。ううん、リズが自分で決めたことだもの、お祝いしなきゃ」
エレノアに思いきり抱き締められたリズはきゅっと唇を引き締めて頷いた。エレノアの腕の力が強くて少々苦しかったが気にならないくらい嬉しい。
「ありがとうございます」
「これから大変でしょうけど、私たちは味方だからね。あまり気負わないでリズらしくいてね」
「はい」
エレノアの温かい言葉にリズは柔らかく笑む。しかし、はっと思い出したように口を開いた。
「あっ、でも、姫様と陛下のご結婚が・・・」
ゼフィールとリズの結婚が決まったということは、ゼフィールとエレノアの結婚が不可能になったということ。エレノアはミタニアとオストールの縁を結ぶ為あれほど頑張っていたのに努力が水の泡になってしまった。
エレノアはリズを解放するとケラケラと笑う。
「大丈夫よ~、私この人と結婚するから」
そう言ってエレノアがガッと掴んだのは―――クロウの腕。
「えっ・・・ええっ!?」
仰天する一同。もちろん一番動揺していたのは当の本人であるクロウだ。彼は急いで腕にまとわりついたエレノアを引き剥がそうとするが、ガッチリと両手で掴まれているため離れそうにない。
「いや、無理ですっ!」
「なんでよ。大丈夫大丈夫、クロウさん王佐なんだから身分はバッチリよ!」
「そういう問題ですか!?」
「そういう問題でしょ!オストールと縁を結ぶなら一番は陛下、次点でクロウさんだもの!」
「いるでしょう!私以外に誰か!」
「いいじゃない、クロウさん独身でしょ?」
言い合いをしている二人をよそに、ゼフィールはふむ、と考え込む。
「なるほど、ベレー家か」
「悪くないな」と言うゼフィールにクロウは絶望した表情。
「ええぇぇぇ・・・そんな・・・」
エレノアは腕を掴んだまま笑ってそんなクロウを見る。
「よろしくねー」
「一回り以上年上なんですが」
「知ってるわよ」
「私忙しいので滅多に家には帰りませんよ」
「どうぞどうぞ」
「愛人作っても知りませんよ」
「どうぞどうぞ」
強い。
自分の意志などお構いなしに場が整ってしまい、クロウは頭を抱えてそれはそれは重たいため息を吐いた。
「はぁ・・・どうなっても知りませんからね」
「大丈夫よ~。これで私もオストールで暮らせるわね。とにかくお父様に叱られずに済んでよかったわあ~」
リズは喜んで飛び上がる。
「おめでとうございます・・・!」
「ありがとう。おめでたいことは重なるものねえ」
ニコニコと笑い合う二人。
クロウはぐったりとした様子で再び重たいため息を吐いた。





