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10-1【リズの選択】



 朝になるとリズは用意してもらっていた部屋へと移動できた。警備の固い居城の一室を借りることとなり、窓際には婚約式でゼフィールに貰った黒い薔薇の花束が生けてある。2日目の薔薇はまだ生き生きとしてとても綺麗だった。


 部屋で朝食を軽くとると、迎えに来た衛兵に連れられてリズは城の地下へと向かった。本城の奥にある螺旋階段を降りた所にあるのは暗闇に包まれた地下牢。城の地下に厳重な牢があると噂で聞いていたリズは本物を目の当たりにして辺りをきょろきょろと見回す。空間は広いが松明の僅かな灯りしかない地下は、新月の夜に歩く城の廊下によく似た雰囲気だ。


「こちらへどうぞ」


 最初は一人だった衛兵が一人、また一人と増え続け、いつの間にか十人近くの衛兵を伴って歩くことになるリズ。その物々しい雰囲気と鉄格子の嵌められた小部屋の数々を見てだんだん顔色が悪くなっていく。


 細く長い道を進めば、ようやく目的地へ着いた。数ある牢の中でも最奥に近い場所だ。


「リズ・・・?」


 鉄格子越しに見るジェイスは、たった2日しか離れていなかったのにリズが知っている彼とは思えないほど人相が違って見えた。優しかった面立ちはきつい顔立ちになり、鋭く突き刺さるような冷たい目つきとどんよりと淀んだ瞳。

 冷たそうな床に座っていた彼は、リズの姿を見るなり飛びかからん勢いで鉄格子に手をかけて身を乗り出そうとする。しかし、ジェイスは足首に繋がれた鎖の所為で屈んだままでしか近づけない。


「リズ!無事だったんだね!」

「ジェイスお兄様・・・」


 リズの声が震える。目を逸らしたくなるほどの光景に怯えながらも、リズはジェイスに近づいて膝を折ると目線を同じ高さにした。


「どうしてあのようなことをなさったんですか・・・?」

「どうしてって、どうして?」


 リズの質問を理解できないのかそのまま聞き返される。不思議そうな顔をして、どうしてそんなことを聞くの?とジェイスは目を大きくした。


「へ、陛下に、危害を加えようなど・・・ましてや毒でお命を狙おうなど、恐ろしいことをどうしてなさったんですか」

「何を言ってるの、リズ」


 心底わからない、そんな顔をしてジェイスは口を開いた。


「あいつは僕たちの両親を殺したんだよ?」


 だから僕は間違ったことはしていない、とジェイスはさも当然のように言う。リズはそんなジェイスの顔を見ていられず、下を向いて絞り出すように訊ねた。


「わかっています。でも・・・ジェイスお兄様の謀は間違っています。陛下は決して悪い方ではありません」

「何言ってんの、悪いとか悪くないとかどうでもいいよ!」


 ジェイスにとってゼフィールを恨む理由は家族を奪われたから。それ以上のものはない。どれだけゼフィールが優れた王であろうと民に好かれていようと、そんなことは関係なかった。ジェイスには自分を責めるリズが理解できない。


「でも、私にはラスターの領地で一緒に暮らそうと約束してくださったではありませんか」


 ジェイスの言葉を信じたからリズはジェイスの求婚を受けた。誰にも邪魔されず、邪魔をせず、穏やかに暮らしていこうと決意した。もしゼフィールの命を狙っていると聞いていたら万に一も求婚を受けることはなかったのに。

 

「リズは優しいから躊躇するだろう?復讐に加担する気がないのは最初からわかっていたから」

「ですが・・・黙ってこんなことを・・・」

「リズは怖がりだから知らない方が幸せだと思ってたんだよ。知らないうちにゼフィールが死ねば喜んでくれるものだと信じてた。

なのに、なんで邪魔したんだよ・・・!リズが邪魔しなければ今頃・・・っ!」


 実際に、ゼフィールがあの毒を飲んだとして彼が命を落とす確率は低かっただろう。それでもジェイスはあの一杯のワインに全てを賭けていた。ジェイスだけじゃない、ジェイスと同じ志を持っていた仲間もだ。

 リズが邪魔さえしなければジェイスは投獄されずに今頃ラスター家の覇権を取り戻す算段を企てていたかもしれない。


 リズが邪魔さえしなければ・・・。


「謝れよっ!」


 がなり声で怒鳴られたリズは体を大きく震わせて目に涙を溜めた。ジェイスの瞳は恨みと怒りに燃え、とてもリズが直視できるものじゃない。


「そもそもこうなったのはリズの所為でもあるんだぞ!リズが生き残った時点で立ち上がってゼフィールと戦ってくれていたら、僕たちは既に取り返していたかもしれないのに!」

「ジェイスお兄様・・・」

「リズが戦わなかったから僕が代わりに戦ってあげたんだよ!」


 ジェイスはチラリとリズの後ろに控えている衛兵たちを見ると、息を吐いて声を潜めながら続ける。


『戦わなきゃ殺される。リズも、僕も。だから戦うしかないんだ』


 ―――ブルタル語だ。独特のアクセントがあり発音が非常に訛っているため、衛兵たちは何を言っているのかさっぱり聞き取れないだろう。


『リージアが生きていることを知ってドゥーベ家やベレー家が目の色を変えてリズの命を狙ってくる。ゼフィールだってそうだ』

「陛下はそんなことなさいませんっ。私の命も・・・ジェイスお兄様の命も助けてくださったではありませんか」

『助けたんじゃないよ。自分に都合が悪くなかったから見逃しただけだ。温情のある措置で国民の支持を得るためのパフォーマンスにしか過ぎなかったんだよ』


 リズは政治にあまり詳しくはない。しかし、リズとジェイスを見逃したことが政治的なものだったとしても、リズが知っているゼフィールは意味もなく人を殺める人ではない。悲しくなるくらい優しくて温かい人だ。


『あいつは僕たちの両親を殺したんだよ?リズだって憎いはずだ』

「そんな、私は陛下を恨んでなど・・・」

『嘘をつくな!』


 ジェイスの剣幕にリズは目と口を固く閉ざす。ジェイスは鉄格子をガタガタ鳴りそうなほど揺すり、血走った眼で唾を飛ばしながら怒鳴った。


『奪われたんだよ!あいつに!父様たちがあいつを殺さなかったから!殺さなかったから殺されたんだ!』

「は、話を聞いてくだ・・・」

『あんなに優しい人たちだったのに・・・!許せない!絶対に!』


 ジェイスは復讐の道から抜け出すことができなかったのだろう。

 リズも両親を失い、地位も名前も失って絶望した時期はあった。偶然にもベルモット家やゼフィールに支えられ生きて来られたが、彼らに出会わなければあのまま絶望してゼフィールを恨み続ける道もあったかもしれない。


 ハーバートを殺して奪われた王座を取り返したゼフィール。両親を殺された恨みで復讐しようとしたジェイス。どちらが正しいかなんてリズにはわからない。


『他に、復讐の他に道はなかったんですか?私と一緒にラスターの領地で幸せになろうとは思ってくださらなかったのですか?』


 リズは初めてブルタル語を使って訊ねた。ゆっくりと顔を上げれば、ジェイスはリズの顔を見て歪んだ微笑みを浮かべながら口を開く。


『幸せになれるよ、僕たち。両親の敵を討ってフリーデンとラスターの権威を取り戻したら、また前みたいに楽しい生活が待ってる。もう誰も僕たちを見下したりなんかしない、させないよ』

『ジェイスお兄様・・・』

『一緒に逃げよう、リズ』


 え?とリズは目を丸くする。ジェイスは力強い視線でリズの目を見つめた。


『ここから逃げて、一緒に国外へ行こう。当てならある。そこでまた一からやり直そう』

『そんなっ』


 リズはしばらくジェイスの言っていることが理解できなかった。ジェイスは既に牢の中で刑の執行を待つ身。逃げるだなんて現実離れした提案にリズは混乱する。


『リズだってオストールにいたら危ない。早く逃げなきゃ僕もリズも命が危ないんだ』

『そんなっ、罪を犯した上に脱獄するなんていけません・・・!』

『リズは良い子でいたいの?法を律義に守って、ゼフィールに頭を下げて、命乞いしながら生きていくの?』


 リズは口をぎゅっと固く閉ざす。生きている限りハーバートの娘だという事実は消えない。ならばハーバートの娘という事実を背負いながら、ハーバートの犯した罪に許しを乞いながら、これから先もずっと生きていくしかない。ゼフィールの治世を肯定する限り。


『どんなに望んだって僕たちはあちら側(・・・・)には行けないんだよ』

『―――っ!』


 ジェイスの言葉にリズは辛い現実を改めて突き付けられた思いだった。

 リズがどんなに望んでもゼフィールと一緒になる未来を選べなかったのは、運命の道が交わっていなかったから、そして彼と住む世界が違っていたからだ。それを乗り越えていくためにはとんでもない労力と忍耐が必要になる。幸せになる確証もなにもない中で目に見えるほど明らかな苦難が待ち受けている。


 リズだけでなく、ゼフィールにも。


『すぐ側に甲冑を着た男の銅像がある』


 ジェイスがチラリと視線を遣ったのは、ここよりも更に奥の方。


『そこの下は地下通路になっていて、城の裏にある森の中に繋がってる。三本の高い杉の木が生えた中央にある天使の像から出ることができるはずだ。そこを使うんだよ』

『・・・無理です』

『無理じゃない、やるんだよ。リズにだってそれしか選択肢は残されていないはずだ』


 ジェイスは言葉巧みにリズを追い詰めていく。リズはただ呆然としながら必死に紡ぐジェイスの言葉を聞き続けた。


『ここは入り口の警備は固いけど中の警備は2時間に一度の見回りしかない。夜明けより一刻前、地下通路を使って僕を迎えに来て。牢屋の鍵は管理室にある』

『ジェイスお兄様・・・』

『逃げるしかないんだ』


 もうそれしか道はないよ、とジェイスはリズの目を見ながら静かに言った。






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