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目を開けると真っ暗でリズは飛び起きた。
少し休んだつもりが外は暗闇に包まれていて驚く。丸一日眠っていたのにまた眠ってしまったなんてまるで子どものようだと恥ずかしく思い、リズはすぐにベッドから出て立ち上がった。
そこでふと思い出す。確か、ここはゼフィールの寝室のはず。
(陛下が寝る場所をとってしまった・・・!)
自分がやらかしてしまったことに気付いて青ざめるリズ。別に部屋を用意してもらっていたはずなのに二日もゼフィールのベッドを占領してしまった。意識が無かった初日はいざ知らず、惰眠を貪ってまた一日無断で使用してしまうなんて。
これ以上は借りられない。早急に退室しなければ。
衛兵に部屋まで案内してもらおうと寝室を出たところで、ソファに横たわって眠っているものに気づきリズは文字通り飛び上がった。
窓辺に置かれたソファには、全く音を立てずに静かに眠っているゼフィールの姿。プラチナブルーの瞳は閉じられ、仰向きで眠っている姿はずいぶんと無防備だ。革張りの大きなソファも彼が横たわると窮屈そうに見える。
国王のベッドを使用し、国王をソファへ追いやる。とんでもないことをしてしまった、と更に青ざめるリズは両手で顔を覆った。世が世なら首を刎ねられてもおかしくないほどの悪業だ。
このままゼフィールをソファに寝かせておくのは申し訳ないが、起こすのは更に忍びなくて、リズは足音を立てないようそろりそろりと出口へと向かっていく。ゼフィールが目を覚ましたら空いているベッドに気づいて使ってくれるだろう、と思いながら。
「・・・ん?リズ?」
足音を立てないようかなり慎重に歩いたはずが、よほど忍び足が下手だったのかゼフィールを起こしてしまった。目を擦りながら起き上がる彼に、リズは彼女にしては俊敏な動きで勢いよく頭を下げる。
「寝過ごして申し訳ございませんでしたっ・・・!陛下をこんな所に追いやってしまうなんて・・・!」
「気にしなくていい、ただの仮眠だから」
「でも・・・」
「元々あまり眠るつもりもなかった。明日は朝一で大事な案件があるから。
使おうと思えば部屋は他にあるが必要がなかったからここで休んでいただけだ」
リズは申し訳なさそうに黙って俯く。仮眠とは建前でリズがベッドを使っていなければゼフィールは普通にベッドを使用していただろう。
ゼフィールは俯くリズの緑色の瞳を見て目を細めると、静かに口を開く。
「具合は?」
「だ、だいじょうぶ、です・・・」
「こんな時間で悪いが少し聞きたいことがあるんだが、いいだろうか」
「はい・・・」
もちろんです、と小声で言うリズに頷くゼフィール。
「こちらへおいで」
「は、はい・・・」
リズはゼフィールに促されたソファの隣の席に座りながら、彼に「おいで」と言われたことに心の中でわーきゃー叫んで顔を赤らめた。赤くなったことに気づかれると恥ずかしいので両手で顔を隠すが、リズの小さな手では全て覆うことはできない。暗くて良かった・・・と思いつつ、リズは間近にあるプラチナブルーの瞳を直視できずに座ったまま下を向く。
不思議な感覚だ。隣にゼフィールが座っていて彼の気配をこんなに近くで感じられるなんて。リズはゼフィールと二度と会えないのだと自分に言い聞かせて覚悟していたのに、今は手を延ばせば当たり前にいる距離に彼が居る。
「・・・リズ」
静かに低く出されたゼフィールの声に、リズはおずおずと顔を上げた。
「はい・・・」
「今がどのような状況かはリズも分かっているはずだ」
「・・・はい」
もうジェイスと結婚はできない。ラスターの領地で静かに過ごす、というリズの夢は消え失せてしまった。
世間ではリズがハーバートの娘ではと噂されており、確信には至っていないだろうが、それでも婚約式では探るような視線を向けられて身体中に刃物を突き付けられているような思いをした。あの時はまだジェイスが隣に居て“これが最後”という思いがあったため耐えられたが、あの雰囲気の中にただ放り込まれていたら一刻も持たずリズは根を上げていただろう。
「今は城からは出してやれない。そのことは・・・頼まれでも承諾できない。安全のためだ、しばらく耐えて欲しい」
「はい・・・」
「ジェイスのことも、たとえリズに懇願されようと彼との結婚はもう承認できない」
「・・・わかっています」
ジェイスが復讐に走りさえしなければ今頃リズとジェイスは無事にラスター領へ向かっていたはず。しかしゼフィールの命を狙い牢から出られない彼との結婚はできない。ゼフィール自身も、リズの幸せより己の欲望を優先したジェイスにリズを託すつもりはなかった。
リズが行く場所はもうどこにもない。
「・・・リズ」
辛そうに名を呼ぶゼフィールにリズは頷いた。
「はい、陛下」
「これからどうしたいのか自分自身でよく考えてほしい。リズが望むなら助力は惜しまない。新たな地で新たな名前で生きていくこともできるし、安全な国外へ留学する手もある。辺境の城に警備をしいて匿うこともできる」
「・・・ありがとうございます」
リズただ一人のために助け支えになってくれるゼフィール。不運に見舞われることは多々あれど、こんなに恵まれていることはないとリズは思った。
「それからジェイスのことだが、リズは温情を望むか。もしリズが望むならば俺はあらゆる手を使ってでもジェイスを生かそう」
リズは途端に体を強張らせて口を閉ざす。
ジェイスに死んでほしいわけがない。だけど命だけは助けてほしいとゼフィールに言えば彼はリズとクロウの間で板挟みになってしまう。またジェイスを処刑せねばならなかった時、ゼフィールはまたリズに辛い思いをさせてしまったと余計に苦しむだろう。だからといってすっぱり「温情を求めない」と言えば、今度はジェイスに対する思い出や情を全部切り捨ててしまうようで踏ん切りがつかない。
「酷なことを聞いているとわかっている。だが、時間があまりない」
リズが迷っても臣下は待ってくれない。世間的な目を考えても、ジェイスの処遇を決断するまであまり猶予はなかった。
「・・・温情は」
リズは下を向いて考えながらぼうっとした表情で口を開く。
「・・・まだわかりません。ジェイスお兄様に会わせていただけませんか?」
面会?とゼフィールの眉間に皺が寄る。
「鉄格子越しで良ければ」
「十分です。ありがとうございます」
リズは膝の上でぐっと拳を握って言った。
「お話の続きは明日の夜にさせていただけますか。それまでに心を決めます」
「わかった」
ジェイスに会って、優柔不断な自分の心にケリをつける。そして今度はゼフィールから視線を逸らすのではなく、しっかりと彼の目を見据えて自分の気持ちを伝えたい。今まで言えなかったことも、全部。





