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9―2



 意識の向こう側で誰かの怒鳴り声のようなものが聞こえてきた。


「は!?ふざけないでください!」

「そちらこそふざけるな!そんなことできるわけないだろ!」


 誰かが言い争っている声に、リズは深い意識の底から叩き起こされて瞼を開く。そっと辺りを見渡せば見たことのない部屋だったが、ここがどこかは何となく雰囲気で見当がついた。おそらく、ゼフィールの寝室だろう。

 リズが眠っていたベッドは柔らかいのに造りがしっかりしていて、寝返りを打ってもギシギシ音がしない。


「じゃあどうしろって仰るんですか!オストールでは!当たり前に!死刑です!お許しになると!?」

「許せるわけないだろう!あいつ、リズの幸せを放棄して政治の道具にしやがった!死んでも許さない!」


 隣の部屋から聞こえるのは耳が痛くなりそうなほどの怒鳴り声。扉は閉ざされて姿は見えなかったが、声の主は間違いなくクロウとゼフィールだ。


 リズは震える手で肩までかけられていた薄手のシーツを目の下まで引き上げる。


「だったらすぐにも処刑すべきでしょう!?彼女だって反対しません!」

「嫌だ!もう嫌なんだ!リズから両親を奪って、居場所を奪って、今度は婚約者まで奪えと言うのか!」

「先に放棄したのはラスターですよ!」

「先にあいつの両親を殺したのは俺だ!」


 二人が言っているのはたぶんジェイスのことだ。


 リズが毒に気づいた一番の原因はジェイスの様子がおかしかったからだ。どんな時も平常心を欠かさない彼が、あの時ばかりは緊張に手を震わせて言動も不自然だった。


 王家の人間に手をかけようとした罰は、どこの国も例外なく死刑。

 しかし聞いている限りだと、ゼフィールはそれを拒否しているらしかった。


「陛下!ご心痛はお察し致しますが・・・っ!」

「お前たちに何がわかる!?俺を王にして好き勝手に利用してきたのはお前たちだ!

それでもハーバートらを殺したのは言いなりになっていたわけじゃなくそうせねばならないと俺自身が思ったからだ!でも今回は違う!」

「陛下っ!」

「ジェイスが死んだらリズはっ・・・!

なぜ俺はリズを傷つけることしかできないんだ!こんなことになるなら王なんてなるんじゃなかった!」

「なんてことを仰るんですか!もし衛兵などに聞かれたら大騒ぎになります!」


 クロウは必死にゼフィールをいさめ続けている。


「処刑の決断は誰も咎めませんよ!リズさんも!それが国王として正しい判断なのですから!」

「正しい正しくないとかそういう問題ではない!俺がリズから婚約者を奪う事実が問題なんだ!」

「陛下!」

「これ以上はやってられるかっ!」

「一旦落ち着いてください!」


 誰かの足音が寝室へ近づいてきて、リズは慌てて扉とは逆の方へ身体を向けるとシーツを頭の上まですっぽりと被った。


 開いた扉の音にぎゅっと固く目を閉ざす。


「―――リズ?」


 ゼフィールの声に先に目だけ出すと視線がかち合い、リズは観念してそろそろシーツの中から出てきた。


「意識が戻ったのか」

「すみません、何がなんだか・・・」


 ズキッと一瞬痛んだ頭を抱えて上半身を起こすと、ゼフィールはベッドの側に膝をつく。


「具合は?」

「平気です。喉に少し違和感があるくらいで・・・」

「そうか・・・。体はもう問題ないそうだ。婚約式からは丸一日経っている」

「えっ」


 一日!?とリズは部屋の外を見た。陽が高く数時間ほどしか経っていない感覚だったので、そんなに長い間眠っていたとは思わなかった。


「リズ、自分が何をしていたのか覚えているか」


 責めるような口調ではなかったが、優しくもない。

 リズは毒を進んで飲んだ挙げ句に解毒を拒否した。あれは自殺行為と捉えられても仕方のないことだった。


「はい・・・」

「返答次第では24時間監視をつけなくてはならない」

「・・・」


 リズは黙り込んで俯く。開いた扉の向こう側にはクロウも静かに待機していて、何か言わなくてはと思うのに上手く言葉が出てこなかった。


「リズ?」

「あの・・・よくわかりません。私、咄嗟のことで・・・」


 曖昧な言葉ではゼフィールもクロウも納得しない。無言で続きを促されたリズは小さく震えながら口を開く。


「毒味をしていた男性に見覚えがあって・・・ラスター家を出入りしていたので・・・」

「ではなぜ飲んだ」

「すみません、よくわかりませんが・・・、ジェイスお兄様に裏切られたことがショックで自棄になっていたのかもしれません。・・・あるいは大切な人を傷つけることしかできない自分の存在に・・・絶望した・・・のかも」


 結局、リズが生きている限りゼフィールは危険に晒される。その事実を目の前に突きつけられて思考が真っ暗になった。


 渋い顔をするゼフィール。


「その返答では監視をつけなくてはならなくなる。今ここで、もう二度と危険な真似をしないと誓ってくれ」

「はい、もうしません」


 申し訳ありませんでした、と小さな声で言うリズに、ゼフィールはため息を吐いて頷いた。


「本当にもう危ない真似は止してくれ。俺は自分が危ない目に遭うよりも、リズに何かあった時の方が辛い」

「・・・はい」


 改めて考えてみると、自分に何かあればゼフィールが辛い思いをするのは当然のことだった。考える間がなかったとはいえ、愚かな行為をしてしまったと猛省するリズ。


 しゅんとして小さくなったリズに、ゼフィールは強く言いすぎてしまったかと狼狽える。


「いや、つまりだな、もっと自愛してくれと言いたいだけであって責めているわけでは・・・。いや、全く責めていないわけではないが・・・」

「わ、わかっています。大丈夫です」


 ゼフィールは「そうか」と言うと立ち上がってクロウの方を向いた。


「急ぎの用だけ済ませてくる。リズを頼む」

「はい、命に変えても」


 バタバタと慌ただしく部屋から出ていくゼフィールの背中を見送ると、リズは自分をじっと見ていたクロウの方を向いた。


「何かお聞きしたいことはございますか?」


 丁寧な言葉にリズはおずおずと遠慮がちに訊ねる。


「あ、あの、私はこれから、どのような罪に問われるのでしょう・・・」

「罪?」

「私がフリーデン家の者だと気づいている人達もおりますし、私は事前にジェイスお兄様の企みに気づいて彼を止めることができませんでした」


 リズの周囲で計画されていたことなのだから、場合によっては連帯責任を問われてもおかしくない。


「あなたを罪に問おうものならいよいよ私は陛下に殺されますよ」


 クロウはふざけるような口調ではなくごく真面目にサラッと言った。


「それに、リズさんは罪になるようなことはなさっていません。やり方は滅茶苦茶でしたが、むしろ陛下を助けていただいたのですから褒賞を与えられるべきことです」

「・・・いただけません」


 リズがもっと早くジェイスの企みに気づけていたらゼフィールを危険な目に遇わせずに済んだ。そもそもリズがジェイスと出会わなければ、もっと言えば、そもそもリズが生きていなければこんなことにはならなかった。


 責められることはあれど、褒めてもらう権利などない。


「そう言うと思ってましたよ」


 少し呆れたように言うクロウはため息を吐き出して続ける。


「褒賞はともかく、無茶はしないよう私からもお願いいたします。あなたに何かあったら今度こそ陛下の心臓が止まってしまいかねませんので」

「は、はい・・・」

「今回は運が良かっただけだと重々承知しておいてください。使用されていた毒は毒味役が即死しないようあまり強いものではありませんでした。解毒剤も効き目があったようです」


 本当に運が良かったですよ、と言われてリズは青い顔で頷いた。


「それで・・・ジェイスお兄様は・・・」

「今は牢におります。罪も確定しております。

今後彼がどのような運命を辿るかは、ご理解していただけますね?」


 ジェイスの死刑は避けられないことだ。ゼフィールの命を狙った代償は大きい。


 念を押すように訊ねられたリズは、俯いてほんの僅かに頷いた。


 ―――リズが大好きだったジェイスはいなくなってしまう。そして、ジェイスを王として処罰しなければならないゼフィールは、再びリズから家族を奪った事実に苦しむだろう。


 全て自分のせいだ。


 真顔で目からボロボロと涙を流すリズにクロウはぎょっとした後、気まずそうに視線をさ迷わせる。なんと声をかければよいのか分からず、しばらく黙り込んでため息を吐き出した。

 さすがに今回のことは同情してしまう。本当にリズは不運な星の元に生まれてしまった、と。


「・・・今お部屋を用意しておりますのでお待ちください。お水はそこに。お食事は後で侍女がお持ちいたします。

私はこちらの部屋におりますので、ご用があれば声をおかけください」


 それでは、と静かに寝室から出ていくクロウ。


 リズはしんとした部屋で静かに涙を流す。


 ゼフィールと離れる辛さに自分のことばかりで、ちゃんとジェイスと向き合えていなかったのではないのか。ジェイスの苦しみと向き合っていたならば、復讐を思い止まらせることができたのではないのか。もっと注意を払っていたら。もっと話を聞いていたら。


 後悔しても時は巻き戻らない。




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