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リズの知っていた以前のラスター家のタウンハウスは売り払われたらしい。新しいタウンハウスは以前より一回り小さかったが新しくて立地が良かった。
「ごめんね、うるさくって。リズが来てくれるって知ってたらもっと静かな場所に買ったのに」
目の前が大通りなので馬車がひっきりなしに行きかっている。庭を挟んでいるが騒音はそこそこありそうだ。
「いいえ、素敵な家ですね」
一回り小さいと言ってもベルモット家と変わらないくらいのサイズはある。それにここは本家ではなく首都に滞在するための仮住まいだ。リズにとっては十分な贅沢。
玄関を潜るとたくさんの使用人に迎え入れられてリズは小さくなりながらぺこぺこと頭を下げる。そしてエントランスホールを抜けると、ジェイスに連れられて一番最初にやって来たのはゲストルームだった。こじんまりとしているが調度品がどれも可愛くてリズのテンションが上がる。小さな花柄のカーテンや彫刻のある白いテーブルセットなど全てがリズの好み。
「可愛い・・・!」
「気に入ってもらえてよかった。リズと本の間で会ってから、いつか来るかもって揃えてたら止まらなくって。好きに使ってね」
全てリズの為に集められたらしい。リズはわざわざ誂えてもらって申し訳ないと思いながら、自分のためにしてくれたことだからとできる限り分かりやすく喜んだ。
「あ、あの、すごく嬉しいです。こんな部屋に泊まれるなんて夢みたい」
「良かった」
使用人がリズの荷物を運びこんだタイミングで、ジェイスとリズは入れ違いで部屋を出て行く。
「婚約式が終わるまではここに泊まってもらうけど、日中は僕は仕事でいないから暇だよね。僕の部屋にある本を読んでてね。他に欲しいものがあったら用意するから遠慮なく言って」
「いいんですか?その・・・勝手に持ち出しても」
「もちろんだよ。僕の部屋は好きに出入りしていいから」
次に訪れたのはジェイスの部屋だ。先ほどのゲストルームより広く、生活感があって物がたくさん揃えてある。中でもリズの興味を引いたのは壁一面の本だった。
「わっ、すごい数」
当然ながら本の間とは比べるまでもないけれど、個人が所有しているにしてはすごい数の本。ざっと見ても色んなジャンルが取り揃えられている。
「欲しい本があったら取り寄せてあげるよ」
「いいえ、十分です」
リズは本棚に近づくと一番側にあった赤色の本に手を延ばし、さっと中を開いて・・・すぐに閉じた。
「ジェイスお兄様・・・これ・・・成人本・・・」
「ああっ!!しまった!!」
真っ赤になったリズからジェイスは大慌てで本を取り上げる。
「もう・・・っ」
「ごめん、今片づけるから・・・!」
わたわたしながら本を隠し始めたジェイスに、リズは膨れた頬を両手で抑えながら後ろを向いた。自分の部屋とはいえ、そういう本はできるだけ目に見えない場所に置いてほしいものだ。
「―――いいよ!」
しばらくしてリズが振り返った時、本棚の所々に空きがあったのは・・・さすがに気づかぬフリをしておいた。
夕食は急きょ一人増えたというのにシェフたちはリズの分も手早く用意してくれた。人見知りなリズのために使用人をできるだけ減らし、リズの視界に入らないよう極力気を付けてもらっている。
余計な気を遣わせてしまい、リズは夕食の間ずっと恐縮しっぱなしだった。
「すみません、急にお邪魔することになって。せめて数日前までに話すべきだったんですが・・・」
「気にしないで。貴族の家じゃゲストが急に来るのは珍しいことじゃないよ」
「そうなんですか?」
リズは昔から箱入りで育てられたため、フリーデン家にいる間はゲストどころか使用人も最小限だった。来てもリズには鉢合わせないよう配慮されていたのかもしれない。
ベルモット家もあちこちに事務所や店を構えているのでリズが住まわせてもらっていた本家にゲストが来ることはほとんどなかった。仕事柄人付き合いは多かったようだが、親戚付き合いはほとんどなかったのではないかと思う。
ナイフとフォークで魚を切りながらジェイスは笑った。
「むしろ、ゲストをいかにおもてなしできるかが使用人たちにとっての勝負だからね。もちろんそれは僕にちホストにも言えることだけど」
「大変なお仕事ですよね・・・。私も簡単な掃除くらいならできると思いますが・・・料理はちょっと・・・」
リズは料理に対してトラウマしかない。ジェイスは料理と聞いた瞬間目を輝かせた。
「リズの料理?興味あるなあ」
「絶対絶対絶対やめた方がいいです」
「そんなに?」
リズはふかーく頷く。あんなものを食べられるのはこの世でゼフィールくらいのものだ。
急にゼフィールを思い出してしまったリズの手がピタリと止まり、ジェイスは不思議そうに小首を傾げて訊ねる。
「リズ?どうした?」
「・・・いいえ、なんでもありません」
ジェイスと一緒に居るのは心から楽しい。だからと言ってゼフィールに対する気持ちが薄れるかと言ったら完全に別問題だった。最初から分かっていたけれど、失恋は自分で立ち直らなくてはならないこと。
「ジェイスお兄様は・・・失恋したことありますか?」
「あるよー。子どもの頃家庭教師してたお姉さんだった。綺麗でスタイルが良くって、あの年頃ってそういう女の人に憧れるもんなんだよ」
ジェイスらしいなとクスリと笑いが漏れる。
「まあ恋愛になるような歳でもなかったし、歳の差もあったし、始まりもせずに終わったんだ。好意は示したつもりだったんだけど相手にしてもらえなかったなあ。今考えたら当たり前なんだけど。
それで、リズは?好きな人いたんだよね?」
「えっ?」
リズは目を見開いて驚く。ジェイスにはゼフィールのことを何も言っていないのに、どうして気づかれてしまったんだろうか。
「結婚しようって言った時に困ってたからそうかなって思ってたんだ。いいよ、言いたくないことは何も言わなくて」
「・・・」
リズはぎゅっと口を固く閉ざして俯く。ジェイスは眉を八の字にして少し困ったように笑った。
「後ろめたいとか思わないで。僕たちの結婚は恋愛とか以上に、お互いを守るためのものなんだから」
「守る・・・」
「世間の僕たちに対する視線は厳しいからね」
リズは無言で頷いた。ハーバートに恨みを抱いている人は多くいる。特に彼に冷遇されたり大切な人を奪われた貴族たちの恨みは深い。その恨みは死んだハーバートだけではなく遺されたジェイスにも向かっている。
「もうこちらが仕掛けようとしないかぎり向こうも仕掛けてこないだろうけど、リズは例外だよ。出自がバレる前にラスターの領地に行くのが一番安全だ。
それに僕自身も多くのものを失った。少しつづだけど・・・取り返したいんだ」
リズが不安そうな顔をしたからだろうか、真剣な顔を急に笑顔にしてジェイスは続ける。
「遺された者同士力を合わせて頑張ろうってこと。
リズも失恋は辛いだろうけど、未来は必ずいいものになるよ。それを信じて今は頑張ろう」
ジェイスも色々な苦難を乗り越えてここまで来たのだと思うとリズは胸が締め付けられる思いだった。リズにはゼフィールが居たけれど、ジェイスには支えてくれる人はいたのだろうか。いなかったとしたらどれほど辛い思いをしたのだろうか。
「・・・私、ジェイスお兄様をお支えしたいです」
ゼフィールに対する感情とは違う。胸を高鳴らせることも、焦がれるような甘さに我を忘れることもない。
けれどもジェイスの支えになりたいという気持ちは本当だった。
「ありがとう、リズ」
ジェイスとリズは目を合わせて微笑む。そんな二人の様子を使用人たちは微笑ましく思いながら静かに見守っていた。





