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8―1【新たな生活】



 エレノアには朝一番で事の次第を報告した。


「そう、黒薔薇の君、やっぱり陛下だったのね」


 すごく驚くだろうと思っていたリズは、エレノアの言葉で逆に自分の方が驚き目を大きくする。


「えっ、やっぱりって・・・」

「リズから話を聞いたときにそうかなって思ってたのよ。陛下ならリズの事情を全て知っていてもおかしくないし匿名なのも納得できるなって。手紙も、ほら、なんだか口調が微妙に気持ち悪かったじゃない?普段使ってない言葉を無理矢理使ってるのかもって」


 リズはどこか釈然としない表情で俯くと、上目遣いでちらりとエレノアを見た。


「ど、どうして、仰ってくださらなかったんですか・・・」


 思ったのなら言ってくれれば良かったのに、そうしたらあんなに驚かなかったのに、とリズ。

 エレノアは「だってねえ」と思い出すように言った。


「混乱してたから余計なこと言わない方がいいと思って。なんの確証もなかったんですもの。無責任に言えないわよ」

「そう・・・ですね・・・」


 リズはゆっくりと頷いた。あの時は混乱して頭がいっぱいいっぱいだったのでエレノアに言われても受け止めきれなかったかもしれない。

 それにゼフィールは手紙に本人と分かる証拠を一切残していなかった。もし疑惑を持ってもそれを確かめる術はなく、本人に訊ねてもはぐらかされていただろう。曖昧なまま余計にモヤモヤしていたかもしれない。


 リズが冷静に事実を受けとめられたのは、キングズガーデンでゼフィールに初めて出会った時のことを思い出したからだ。黒い薔薇に込められた想いとゼフィールに見守られてきた事実を知って、ようやくリズは自分の恋心と向き合うことができた。ゼフィールと結ばれることのない運命を受け入れる覚悟ができた。


「頑張ったわね」


 優しく言うエレノアの言葉にリズは歯を食いしばって頷く。


「・・・はい。姫様には、多大なご迷惑をおかけしました」

「謝らなくていいわよ。お互い様でしょ」

「そうでしょうか・・・」

「リズがいなかったらオストールでの生活は楽しくなかったもの。だからおあいこね」


 リズは僅かに微笑むと頭を下げて口を開いた。


「本当に・・・姫様にはお世話になりました。私は、本日付けで退職いたします」

「え!?辞めちゃうの!?」


 はい、とリズは静かに言う。


「城に居る限り陛下に会う機会はありますから、ケジメをつけるために辞めることになりました。昨日、陛下と話し合って決めたんです」

「はぁ、寂しくなっちゃうわ。でもよく考えたらそりゃそうか、結婚退職ってことだものね」

「はい」


 ジェイスとの結婚が決まっていながら恋心を抱いているゼフィールと会うわけにはいかない。不誠実だと考えたリズは昨夜ゼフィールに申し出てすぐに受理された。


「おめでたいことだけどおめでとうとは言わない方がいいのかしら。リズはまだ辛いでしょう」

「・・・はい」

「それでも自分の力で選ぶことができて偉いと思うわ」

「いいえ、偉くなんてないです。情けないです。結局最後まで陛下に助けていただいたのに・・・」


 ゼフィールは指一本触れようとしなかったが、リズよりもずっと辛そうに見えた。


「私、何もして差し上げられなかった」


 支えるだけ支えてもらって、傷つけるだけ傷つけて、去ることしかできないなんて。リズは何かに耐えるように膝の上で強く拳を握った。

 最後まで辛そうな顔しかさせることのできなかった自分への情けなさに吐き気がする。もっと自分が彼に相応しい人だったらよかったのに、もっと強い人だったらよかったのにと、後悔で胸が張り裂けてしまいそうだ。


 泣き叫びたいけれど、手紙に使われていた黒い薔薇の意味を思い出した今は、もう泣いてゼフィールを困らせるような真似はできない。後ろに大切なものを残したまま前を向くしかない。自分が幸せになることがゼフィールにできる最後のことだから。


「リズ・・・」


 痛々しいリズの姿に、エレノアの手が延びてリズの頭の上に乗った。

















 昼、本の間で会ったジェイスに結婚の申し出を受ける旨を伝えると、彼は本の間に響き渡るくらいの大声で喜んだ。すぐに注意されて追い出されたけれど、リズはジェイスに喜んでもらえたことが素直に嬉しかった。


 夕方、荷物をまとめたリズは仕事を終えたジェイスに迎えに来てもらい、エレノアに見送られながら一緒の馬車に乗ってラスター家のタウンハウスに向かう。本城まで来た時は苦労したのに馬車に乗ればあっという間で、リズは景色を見ながらジェイスの言葉に耳を傾けた。


「嬉しいよ、リズ。これからはずっと一緒にいられるんだね」

「はい。あの、ごめんなさい。早くジェイスお兄様のこと異性として好きになれるよう努力します」

「そういうのは気にしなくていいって言ったじゃん。いいんだよ、君が幸せならそれで」


 リズはゆっくりジェイスの顔を見ると小さく微笑んだ。まだ上手く笑えず声に力も無いけれど、リズの変化に気づいていないのかジェイスはいつも通りのようだ。


「・・・はい。頑張ります」

「だからそんなに気負わなくてもいいんだって。リズの性格は重々承知してるからさ、全部僕に任せてよ。

リズは結婚したらどんな事がしたい?どんな生活が送りたい?」

「以前お話していたように、ラスター家の領地で静かに暮らしたいです」


 そうか、とジェイスは笑顔で頷いた。


「じゃあ役人の仕事は今月中に辞めるよ。それからちょうど二カ月後に議会があるからそのタイミングで婚約式をしよう」


 議席を持つ八貴族の者が成人する時と婚約する時はキングズガーデンで祝賀会を行うのが慣例だ。しかしまさかジェイスと自分まで婚約式を開くとは思わなかったリズは「え」と戸惑う。


「私も・・・ですか?」

「申し訳ないけれど、一応僕がラスター家の当主だからね。避けて通れないんだよ。

でも心配しないでね。それが最初で最後のお勤めだよ。結婚式は領地で僕たちだけでやろうよ」

「わかりました」


 これも貴族の勤め。ジェイスと結婚するならばキングズガーデンでの婚約式は義務だ。


「リズが望むなら結婚式は盛大にあげてもいいけど・・・ってそれはないか」

「はい。質素にお願いします。盛大なお式は資金もそれなりに必要でしょうし」

「お金ならあるよ?」

「そんな・・・私には分不相応ですよ。そこまで甘えるつもりはありません」

「ええー、僕の奥さんになるのに?」


 ラスター家当主の妻になればリズはかなり裕福になる。


 しかしリズは静かに横に振った。


「裕福になりたいわけではありませんし、申し訳なくてジェイスお兄様の資産を使ったりできません。当主の妻になるのですから、私は家の中のお仕事でお支えしようと思います」

「当主の妻ってことはリズにも僕の資産を使う権利があるってことだよ。そんなに気を張らなくても」


 静かに暮らしたいという願いの割には働く気満々のリズに、ちょっと困ったように笑うジェイス。


「私、こんな人間ですけど私なりに自立したいんです。ジェイスお兄様と結婚するのは助けてもらうためじゃなくて、誰にも迷惑をかけないため、そしてジェイスお兄様と一緒にいるためですから」

「相変わらず真面目だなあ」


 裕福な家の娘のように養われながら優雅に暮らしても構わないのに。


 ジェイスはにこっと笑ってリズの頭を撫でた。


「でも、そっか。僕と一緒にいたいと思ってくれてるんだね」

「当たり前じゃないですか。でなければ結婚しません」


 ジェイスは唯一の大事な家族だ。もう二度と会うことも叶わないと覚悟したけれど奇跡的に再会することができた。もう二度と生き別れるのは嫌だ。


「・・・リズになってもまた家族になれて嬉しいです」


 頬を赤らめて言うリズに、ジェイスは顔を両手で覆ってしばらく悶えた。






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