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7-1【私たちだけの秘密】



 リズが倒れたとゼフィールの耳に入ったのは翌朝のことだった。おそらくゼフィールが政務を投げ出して駆けつけないよう、わざと遅れて連絡を寄越してきたのだろう。


 ゼフィールは執務室の机の前でため息を吐き出す。ペンを取って紙を前にしても何も思いつかない。


 リズから手紙を受け取った時、ゼフィールは彼女の言葉をどう受け止めればよいのかわからなかった。助けを求めるような苦しみもがく文面に胸が締め付けられ、すぐにでも彼女を抱きしめたいのにそれすらできない現実を思い知る。結ばれる未来を想像すればするほど彼女が笑っている様が想像できなくて、まさか彼女に好かれるのがこんなに嬉しくないだなんて思わなかった。


 返事を書いて慰めるのも、励ますのも、手紙の主がゼフィールであることを隠している以上は卑怯だ。油断すると自分に都合がいいように書いてしまう気がして、何が正しいのかわからないまま考え込んでいたら足が自然と彼女と会った本の間へ向かった。挙句に夢と混同して彼女に手を出してしまうなんてとんだ失態だ。


 緑色の硝子のような瞳に驚きと悲しみが同時に映った、あの彼女の表情が脳裏に焼きついて離れない。


『自分ではどうにもならない気持ちがあることは僕にもよくわかるよ。亡くなったリズのご両親がどう思っているかは知りようがないけれど、僕が君の親ならばリズが一番幸せになる道を選んでほしいと思うだろう。だから』


 少しペンを進めて、再び手が止まった。自分が殺めた人のことをどうこう言うのは良くないかもしれない。そもそもリズの気持ちを肯定するようなことを書いて許されるのだろうか。・・・またよくわからなくなってきた。


「陛下、失礼します。本日は兵舎で勲章式が行われますので早目のご準備を」


 そうこうしているうちにクロウがやってきてゼフィールはペンを置いた。いくら悩んでも仕事は待ってくれない。


「それから、お庭番から報告を受けました。陛下、また彼女と会っていたそうですね」


 お庭番に見られていたならば何があったかも報告を受けているだろう。言い訳をする気になれないゼフィールは黙って聞き流した。


 クロウはむっとして口調を強める。


「正気ですか?」

「・・・どういう意味だ」


 あまりにも失礼な物言いにゼフィールの喉から低く唸るような声が出る。


「彼女はあの人の娘ですよ?正気の沙汰じゃない。

まあ一時的な遊び相手としてならば止めませんが」

「リズを愚弄する気か!」


 ゼフィールは怒り立ち上がって抗議する。彼女の苦悩や自分の感情すら馬鹿にされている気がして、腹が立ってしょうがなかった。クロウにそのような意図はないとわかっていても言い返さずにはいられない。


 譲れないクロウは怯まずに続ける。そもそもゼフィールとリズは想い合うことすら間違っているのだ。臣下として、オストールの国民として、2人の逢瀬は看過できない。


「陛下、考え直していただきたい。

そもそも陛下は本当に彼女のことが好きなんですか?ただ障害の大きさに気持ちが盛り上がっているだけでは?もし彼女が普通の町娘だったら歯牙にも―――」

「ふざけるなっ!!」


 ガシャンッ!と、硝子が割れる音が響いた。ゼフィールがクロウに向かって投げたインク瓶は扉の横で砕け散り、零れ出たインクが壁と床を黒く染めていく。


「出て行けっ!!」


 激怒したゼフィールに身の危険を感じたクロウは青い顔をして部屋を出て行った。誰も居なくなった部屋で、ゼフィールは呆然としてがたん、と急に気力を失ったかのように椅子の音を立てて座る。


 ―――王家になど生まれたくなかった。普通の男として生まれていたのならばリズの手を取るのを迷わなかった。とっくに結婚を申し込んで、とっくに結ばれていたはずだった。

 だけど、“もし”だなんて永遠に訪れない。いくら望んだって状況が変わることは無い。


 それでも何度も何度も、違う出会い方をしていたら良かったのにと悔やみ続ける。

 もし王家の人間として生まれなければ、例え憚られるような関係でも必ずリズを選ぶ確信があった。彼女が望むなら駆け落ちでも、それこそ心中でも構わない。どんな形でもいいから彼女と添い遂げたかった。何を犠牲にしても、誰に迷惑をかけても。


 だけど今、ゼフィールの肩には何万という民の命が乗っている。捨てるには重すぎた。


 ゼフィールは王座に両手足を雁字搦めに縛り付けられて身動きが取れない。縛られたまま他人に頭を下げられたって何の感動もなく、不自由さに奥歯を噛み締めてただ望まれるままに生きるしかなかった。

 こんな飼い殺しのような状態で幸せになる未来など全く想像できない。リズに―――想いを告げることすらできない。


 できることなら欲望のまま彼女を連れ去って逃げてしまいたい。リズの肌に触れたなら、幸せのあまり心臓が止まってしまうくらいの心地になれるだろうと思うのに、どれだけ足掻いても王座からは逃れられない。不自由な身になることはハーバートを討った時から覚悟していたが、自分で選んだ道なのに吐き気がするほどの後悔に襲われる。


 ゼフィールは書きかけの手紙を畳んで上着のポケットに雑に仕舞った。

 せめてリズだけは自分のような苦痛を味合わず幸せになって欲しい。それを望むことすら許されないのならば、誰にどんな害を与えようと王など辞めてやる。


 己を落ち着かせるために息を大きく吐き出し、ゼフィールは立ち上がって部屋の外へと向かった。



















 リズは倒れた翌日も体が重くて起き上がれなかった。初めて仕事をさぼってしまい、申し訳なさで侍女に謝り倒したのは朝一番の出来事。


 リズはベッドで横たわったまま意味もなく天井を見つめ続ける。


 倒れたのは精神的な要因によるものだそうだ。ストレスをためないように、と医者に言われてもリズにはどうしようもない。

 ゼフィールと噂になっている所為で今まで好意的だった衛兵や侍女たちの視線は厳しく、突然知らない人に噂は本当なのかと問いただされることもあった。倒れる前には、深い緑の髪色の知らない男性から「陛下と恋仲なのか、好きなのか、どうやって落としたのか」などと詰め寄られ、リズが震えて口が聞けなくても追及を緩めてくれることはなかった。恐怖のあまり、その後どうやって男性から逃げたのかは覚えていない。気がついたらいつものようにエレノアと食事をとっていて、直後に息が苦しくなって倒れてしまった。


 ゼフィールと噂になっただけでこれだけの注目を受ける。悪意ある言葉をかけられることもある。自分の感情だけではなく周囲の変化にも振り回されて、リズは混乱してまともに考えることもできない。


 コンコン、とノックの音と共に扉が開くと赤いふわふわの髪の女性現れた。―――エレノアだ。


「大丈夫?加減はどう?」

「姫様・・・」


 リズはベッドから出ようとして「ああっ」とエレノアに止められる。


「だめよ、そのまま休んでて。具合が悪いんでしょ?」

「・・・すみません」


 リズは上半身を起こすだけに留めて、近づいて来たエレノアの顔を見ることができず俯く。ずっと応援してきたエレノアに対して横恋慕した上に、こうして迷惑までかけてしまった。たとえ謝って許してもらえてもリズの心は晴れない。


「やっぱり悩み事があるんでしょ?」


 エレノアにずばりと言われて、リズは何も言えずに黙り込んだ。これ以上隠すのは無理だとわかっていたからだ。だけど言葉にして言うのは憚られる。リズ自身、混乱してまだ上手く説明する自信はなかった。


「わかるわよ。言い辛いことなのよね」


 柔らかい声色にリズはおずおずと頷く。


「リズったら勉強はできるのにお馬鹿ね。なんでちゃんと相談してくれないの?一人で抱え込むにしても限界ってものがあるでしょう。そんなんだから倒れちゃうのよ」


 エレノアは相変わらずの歯に衣着せぬ物言い。


 リズは体を小さくして頷いた。全てエレノアの言う通り、リズが一人で抱え込み考えるのはもう限界だったのだろう。文通相手の彼からは返事が来ないため、他に相談できる人はエレノアしかいない。


「ちゃんと話して。誰にも喋らないし責めないから。解決にはならないかもしれないけど、今よりもずっとマシでしょ?」


 リズはチラリとエレノアを見て考え込んだ。打ち明けるならばフリーデン家で生まれ育った部分から話さなくてはならない。しかしリズは5年前にリージア・フリーデンの名を奪われて名乗ることを禁止されている。だったらどうやってこの特殊な立場を説明すればいいのだろう。


 リズは消え入りそうな小さな声で、ゆっくりと話し始めた。


「昔、リージア・フリーデンという女の子がいたのですが―――」





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