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ジェイスと過ごした休日は穏やかだったが、束の間の心の休息となった。
なんと、ゼフィールとリズがこっそり逢引きしているのではという噂が城内で流れ始めた。おそらくキンズグガーデンか本の間で会った時に誰かに見られてしまったのだろう。
リズが注目を集めると、同時にリズをフリーデン家と関係があるのでは疑う者も現れ始め、城内はかつてないほどピリピリとしたムードが漂うようになってしまう。
そんな中、他人の視線に人一倍敏感なリズが周囲の変化に気付かないはずがなかった。自分がなにかしたのでは、何かバレてしまったのではと、怯えながら過ごすようになる。
心なしかエレノアさえ言葉少なで、リズは一層追い詰められることとなった。
―――手紙の返事はまだ来ない。
食欲がないリズは夕食を断って自室へ戻って来た。しばらくベッドで横たわっていたが、突然むくりと起き上がる。そろそろ新しい本を借りなくては。
今夜は明かりが無くても歩けるほど月が出ていた。一番高い場所まで登った丸く白い月を眺め、リズは管理室で鍵を借りてから本の間へと入った。ステンドグラスから差し込む光にランタンを入り口の近くに置き、重い本を両手で抱えて一階右の本棚へ。
全て返し終わると、今度はエレノアの授業で使う本を借りるために三階へと向かう。
しかし一番奥のテーブルにリズは居ないと思っていた人物が居て息を飲んだ。思わず一歩後退ったが、薄い金の髪を頬にかけ突っ伏している彼をまじまじと見つめる。
ゼフィールは椅子に座ったままテーブルに突っ伏して眠っていた。
こんなに遅い時間だというのに何故ここで眠っているのだろうとリズは首を傾げる。そしてこのままでは身体を冷やしてしまうという心配から放置できなかったリズは恐る恐る彼に近づいた。
「・・・陛下、お風邪を召されてしまいますよ」
とんとん、と軽くゼフィールの肩を叩いて起こす。
すぐに顔を上げたゼフィールにじっと見つめられ、リズは体を硬直させて手に力を込めた。
「・・・ああ、またこの夢か」
夢?とリズは不思議そうな顔をしてゼフィールの目に見入る。寝ぼけているのだろうか。
ゼフィールはそっと静かに立ち上がるとリズの顔に触れて親指で頬を撫でた。
「リズ」
乞うように名を呼ばれてリズは硝子玉のような緑色の瞳を真ん丸にする。拒否することもできず、ただ唇が重なる瞬間まで微動だにせず立ち尽くした。
(今、「またこの夢か」っておっしゃっていたわ・・・)
きっとゼフィールは夢を見ていると思っているのだろう、と気付いたリズ。重なった唇は優しく吸い上げられて、それだけでどうにかなってしまいそうだ。
ちゅっと何度も音を立てられて、触れられた箇所全てが熱くて堪らない。嫌なわけがなかった。リズはずっとゼフィールにこうしてほしかったのだから。
ゼフィールは先ほど「また」と言った。つまり、このような夢を以前にも見たということだ。
頭の中は快感で埋め尽くされているというのに悪知恵はこんな時でもよく働く。リズは咄嗟にゼフィールのキスに応えて“夢の中のリズ”になりきった。彼の胸元に手を置き、身長差のあるゼフィールに合わせて顔を上げ背伸びをする。
ゆっくりと舌が差し込まれればぎゅっと彼にしがみ付くように服を強く握った。そうでもしなければ腰が溶けてしまいそうだったから。
「んぅ・・・」
優しいのに少し強引で、リズの口から苦しそうな声が漏れる。目には零れそうなくらい涙をためて、口づけの合間にゼフィールのプラチナブルーの瞳を見つめた。
「・・・今日はいいのか。持っていないならば俺の剣を貸そう」
ゆっくりと唇を離したゼフィールは不思議そうな顔をしてそう訊ねて来た。リズは何のことかわからずに訊ね返す。
純粋に疑問だった。自分は夢の中で彼に何をしていたのだろう、と。
「私は・・・いつもどうしていますか?」
ゼフィールはぼうっとした表情で遠くを見ながら静かに言った。
「俺を、殺す」
「何故?」
リズは畳みかけるように訊ねる。
「俺を・・・恨んでいるから」
その時リズは、“夢の中のリズ”を演じるのを忘れて愕然とした表情をしてしまった。はっと我に返ると慌てて身を翻し、走って出口へと向かう。
同時に、ゼフィールもはっとして大きな声を出した。
「リズっ、待っ・・・!」
階段を降りるときに転びそうになったが、手摺りに捕まって体のバランスを立て直すと転ばずに済んだ。入り口のところに置いていたランタンを乱暴に掴んで扉の外に出る。ぜいぜいと肩で息をして、震える足は今にも崩れ落ちてしまいそう。
―――ゼフィールはリズがハーバートの娘だということを知っていたのだ。
しかし彼は知らないふりをしていた。リズはその事実がショックで現実を受け止めることができない。
どうやって鍵を返したのかわからなかった。混乱のあまりしゃくりあげるように泣きながら、早足で部屋へと帰る。
涙に濡れた顔も、心の中も、なにもかもぐちゃぐちゃだった。
ゼフィールとリズは生まれつきお互いが惹かれ合うものを持っていたのだろう。彼らは最初からずっとそうだった。
ポットは過呼吸を起こして運ばれていくリズを、重いため息を吐いて木の上から眺めていた。衛兵たちに抱きかかえられてぐったりとしている彼女の顔色は土気色、傍についているエレノアも顔色が悪い。
大丈夫じゃないのはゼフィールではなく、リズの方だった。
ゼフィールはポットの予想に反して、リズと接触しても取り乱すことなく冷静さを保っている。わかりやすいリズの好意に気付いても表情に喜びの色はなく、むしろ漂わせている悲壮感は増すばかり。
ゼフィールはリズを好きになってから共にある未来を何度も想像していたのだろう。しかし想像すれば想像するほどその道は険しく、現実的ではないと知る。
リズはあまりにも繊細過ぎた。人見知りで、他人の視線に敏感で、精神的に脆弱だと言える。エレノアのような図太さも強さも無い。
そんな彼女がゼフィールの隣に立つ日が来たら早々に心を病んでしまうだろう。ハーバートへ向けられていた恨みや悪意はリズに向かい、リズを選んだことを責められるゼフィールを見て、ずっと耐え続けられるとは思えない。
だからゼフィールはリズの気持ちに気付いても、己から手を延ばすことはしない。一歩引いた所でリズが選択する時を静かに待ち続けている。
以前よりずっと辛い状況だがゼフィールはよく耐えていた。なぜなら、彼には"リズが一番幸せになる道を選ぶ"という確固たる決意と覚悟がある。それはポットが人として尊敬に値すると思ったほどの。
対してリズは何の覚悟もないまま、自分の感情と周囲の変化に振り回されて、あっという間に限界がきてしまったらしい。ぼーっとして恍惚とした表情をしたかと思えば、夜中に突然わっと火がついたように泣き出す日々が続いた。
懸念べきはリズだけではない。
リズに結婚を申し込んだジェイス・ラスターの存在だ。かつてはハーバートの右腕として活躍していたラスター家は完全なるフリーデン派、その彼がリズを獲得しようとしている。クロウらが一番恐れていた事態だが、ゼフィールはポットが報告しても「そうか」と一言静かに言うだけだった。
また、城内で囁かれている噂も心穏やかではいられない。ゼフィールとの仲はともかく、周囲はリズがリージア・フリーデンなのではと気付き始めている。
彼女のような鮮やかな緑の瞳は珍しく、瞳の色も容姿もリズの母であるハーバートの妻にそっくりだったからだ。表へ出なければ気付かれなかったかもしれないが、不幸なことにゼフィールと噂になることで一気に注目が集まってしまった。そしてジェイスと仲良く会話してれば、もしかしたら、と不審に思う人が出てくるのは仕方のないことだった。
これでリズの立場はいっそう厳しく、難しくなる。
どうしてこうも悪い方悪い方へと転がって行くのか。ポットは医務室のベッドで横になっている彼女を見て、再び大きくため息を吐き出した。





