6-3
昼食の後はジェイスと話し込むようになると本を借りる時間が本格的に無くなった。困ったリズは仕事を終えると大浴場が閉まる前に風呂を済ませ、急いで髪を乾かしてから本の間へと向かう。
しかし当然鍵がかかっていて中へ入れない。
大きなため息を吐いて踵を返すと、夜間に警備をしている衛兵と目が合った。
「本の間へ御用ですか?」
「は・・・はい。でも閉まっているので・・・」
「鍵でしたらこちらにございますよ」
「えっ?」
どうぞ、と有無を言わさず案内されたのは本の間の隣にある部屋だった。扉の前には数人の衛兵がおり、案内してくれた彼もここの警備の人らしい。
「中へどうぞ。事情を話したら貸してくれると思います」
「・・・ありがとうございます」
わざわざ自分のために開けてもらってよいのかと不安になりながら扉を開けると、部屋の中には一人の年配の男性が。
「どちら様かな?」
「り、リズ・ベルモットと申します・・・。本の間に入りたいのですが・・・」
「はいはい、本の間ね」
どっこいしょ、と曲がった腰を支えて立ち上がる男性は、壁にずらっと並んだ大量の鍵の中からひとつを選んで手に取った。リズはすぐにここが鍵を管理する部屋だと気づいて目を丸くする。ものすごい数の鍵だ。城中の鍵が集まっているのではないだろうか。
「どうぞ」
しわしわの手で差し出された鍵に、右手は本で塞がっているので左手で受け取った。
「あの、鍵をお借りしてもいいんでしょうか・・・」
「いいですよ。後で返してね」
「はい・・・もちろんです」
自分だけのために開けてもらうのは恐縮だが、日中はエレノアに付きっきりなので夜間に本の間を使えるのは大変ありがたい。これで本がなくて困ることは無くなるだろう。
「暗いからこっちのランタン持って行ってね」
おじいさんが指差したのは小さなテーブルの上に置いてあるランタン。二重の硝子造りで上から火を入れる空洞がある仕様になっており、万が一落としても大丈夫という代物だ。火事対策だろう。
「ありがとうございます」
リズは鍵を持っていた左手でそれを抱えると、本を脇に抱えて扉を開く。最後にぺこりと頭を下げてリズは部屋から出ると本の間へ向かった。
といっても、本の間は管理室のすぐ隣。あっという間に到着して、右の脇に本を挟んだまま、右手に鍵を持ち替え、左手にあるランタンで手元を照らしながら鍵を開ける。
大きな扉は重く、ギギイと蝶番が古く軋んだ音を立てた。
中は当然真っ暗で一瞬身がすくんでしまうほどの暗闇が広がっている。色付きのステンドグラスから光は入っているものの、目が慣れるまではランタンがなければ身動きが取れないほど足元の視界が悪かった。
「どれにしよう・・・」
暗さに慣れると貸し切りの空間にリズの心は踊る。誰にも見られず、誰にも気兼ねせずに本を選べるなんて夢のようだ。
まずは借りた本を返さねばと脇に挟んでいた4冊の本を近くのテーブルへと置いた。鍵はポケットの中へ仕舞う。背表紙の番号を見れば借りていたのは三階の本棚のものだったため、すぐにリズは本とランタンを抱え直し、階段を上がって三階へと向かう。
いつも利用している異国語の蔵書が並んだ奥のエリアに、リズは一番近いテーブルの上へランタンと本を置いた。
そしてリズは一冊の本を手に取ると背表紙の番号を確認して大きなため息を吐く。上の方の段のものだ。またここの座りの悪い脚立を使わなくてはならないのかと思うと気が重かったが、ここの本棚はすごく高さがあるので仕方がない。
本を片手に脚立を持ってきて足をかけるとギシッと嫌な音が鳴る。テーブルに置いたランタンの明かりは乏しく、足元が悪い中しがみ付くように本棚の淵を握りながら一歩一歩確実に登っていく。
「・・・リズ?」
突然聞こえて来た誰かの声にリズの体がビクッと震え、手にしていた本が地面へと落ちた。途端に足を踏み外してしまい、バランスを崩したリズは脚立から飛び降りるようにして地面へと降り立つ。まだ三段目だったので何事も無かったがもう少し高ければ危ないところだった。
「大丈夫か?驚かせてすまなかった」
「へ、陛下・・・!?」
暗闇に浮かぶ薄い金髪に、何故ここにゼフィールがいるのかとリズは狼狽した。
「ひっ・・・!」
短い悲鳴を上げてゼフィールの横を通り過ぎると一目散に階段の方へと逃げる。
目が合うなりいきなり逃走したリズに、焦った様子で手を伸ばして呼び止めるゼフィール。
「待て、またころっ・・・」
「きゃああ!」
遅かった。
リズは猫足のテーブルに足をかけてしまい、豪快に顔から床に突っ込んでいった。ふわふわのカーペットのお陰であまり痛くは無かったが、ゼフィールにまた転ぶところを見られてリズの目に涙が浮かぶ。
「そんなに明からさまに逃げられると・・・いや、なんでもない」
「・・・」
リズは真っ赤になって自分の行いを恥じる。ゼフィールの姿に動揺して何も考えず逃げてしまった。借りていた本やランタンを放置して逃げて、自分は一体どうするつもりだったのか。
「怪我は?」
「だいじょうぶです・・・痛くありません」
リズは落ち着け、と心の中で何度も繰り返しながら自力で起き上がった。逃げたって何も解決しない。本も返せない。
落ち着いて本を返して、新しいものを選んで、さっさと帰る。それが一番自然な行動のはずだ。
「陛下も御用があっていらしたのでしょう。どうぞ私に構わず」
リズは俯くと震える小さな声でぼそぼそと言う。暗に関わるなと伝えたが、ゼフィールは何故かその場から動かず口を開いた。
「本棚に戻すんだろう?手伝う」
「え・・・!?」
当たり前のように言われたリズは素っ頓狂な声を出して顔を上げる。まさかゼフィールに小間使いのような真似などさせられるわけがない。
「戻すだけだ。すぐに終わる」
「でも・・・」
「また脚立の上から転ばれては適わないからな」
「・・・」
何も言えなくなってしまった。否定したいが今しがたゼフィールの目の前で脚立から転んだばかりだったのだから。
「この本を戻せばいいのか」
ゼフィールは脚立の下に落ちていた本を拾い、脚立に登って背表紙の番号のある場所を探し始めた。手伝うこともできず、任せて去ることもできず、リズは下からヒヤヒヤしながらゼフィールの姿を見守る事しかできない。
「暗くてよく見えないな。明かりを」
「は、はいっ・・・」
リズは慌ててテーブルの上に置いてあるランタンを抱えて彼の近くに持って行けば、多少はゼフィールの手元が明るくなる。
「ああ、見えた」
手にしていた本を本棚へ戻すと、ゼフィールはそのまま振り返ってテーブルの上に残っている本を見た。
「あの本は?」
「え・・・、あの、ここのものです」
「じゃあ返そう」
「はい・・・」
脚立に乗ったままのゼフィールに、リズは他の三冊の本を抱えて下から彼にひとつづつ手渡す。脚立の上でも危なっかしくないゼフィールはリズと違い、あっという間に片づけ終わってしまった。
「・・・ありがとうございました」
降りて来たゼフィールに、リズは勇気を振り絞り蚊の鳴くような小声で言った。
「これくらい構わない。じゃあ、おやすみ」
ゼフィールはそれだけ言うと、あっさりと背を向けて出口のある階段の方へ向かう。
え、とリズは唖然とした。
ゼフィールが行ってしまう。あんなに逃げたかったのに、いざとなると離れがたくて仕方がない。矛盾している考えに混乱しかけたが、今回はリズには珍しく考えるより先に口が動いた。
「あのっ・・・」
リズに後ろから声をかけられたゼフィールは少し驚いた様子で振り返る。
「どうした?」
「へ、陛下も御用があってここにいらしたんです・・・よね」
バクバクと激しく鳴る心臓がどうにかなってしまいそうだったが、リズは足を震わせながらもしっかりとした口調で尋ねた。
「ああ・・・、本を見に。だが俺はいつでも来られる」
今日はリズにこの場を譲って帰ってしまうらしい。しかしそれではリズは申し訳ない気持ちになる。ゼフィールだって多忙な身、仕事を終えてようやく時間ができたから夜間にここへ来たはず。
「ほん、本を・・・」
リズはだんだん自分のやっていることが恐ろしく感じてきて、語尾に力を無くしていく。ゼフィールを呼び止めた時のような勢いはもうない。
それでも引き返すことはできなかった。
「本を、選びたい・・・ので」
口をなんどもはくはくとさせながら、震える声を絞り出す。不審がられてもおかしくないほどの挙動だが、ゼフィールは真剣にリズの言葉の続きを待ち続けた。
「選びたい、ので・・・手伝って、くださいませんか」
最後の方はもう聞こえるか聞こえないかというほどの小さな声だった。リズは力尽きたようにしゅんと項垂れている。
「どのようなものがいい」
ゼフィールがなんの迷いもなく訊ね返し、リズはおどおどしながら返事をした。
「シュヘメールの晩年の作品を探していて・・・」
異国の本なのだがリズはこの辺りを探しても見つけることができなかった。ゼフィールならば知っているかもしれないと思い聞いてみれば、彼は頷いて歩き出す。
「それなら歴史の棚にある」
わざわざ案内してくれるらしい。彼は少し歩いたところでリズが来るのを待っていた。
リズは息を飲んでランタンを持ち直すと静かにゼフィールの後を追った。饒舌ではない二人の間に会話はなく、カーペットを踏む足音だけが聞こえてくる。
そして階段に差し掛かるとゼフィールが振り返り手を差し出してきた。
リズのものよりもずっと大きな手。リズは少し迷った後、恐る恐る手を延ばしてゼフィールの手に自分のものを重ねた。





