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1―2



 リズは重い木の扉を開けると、山積みの書類の奥に見える人物を体を傾けて確認した。


「オズモンドさん、こんにちは」

「ああ、やあ、リズちゃん。待っていたよ」


 恰幅のいい中年の男性は首を伸ばしてリズの顔を見るとニッコリと笑う。リズは小さく微笑んで手にしていた厚い封筒を彼に手渡した。


「これ、頼まれていたものです」

「確認させてもらおう」


 封筒の中身を取り出して一枚一枚確認していくオズモンド。手持無沙汰なリズは気まずそうに視線をさ迷わせながら直立して待つしかない。


 静かな空間に紙が擦れる音だけが響き、無言で待ち続けること約10分、ようやくオズモンドが顔を上げてにっこりと笑った。


「うん、よく出来ている」

「ありがとうございます」


 リズはほっとして肩を撫で下ろした。


「文章には人の性格が出るっていうけど、リズちゃんのは繊細で丁寧だなあ」

「はあ・・・あ、どうも・・・」


 これは褒められているのだろうかと、お礼を言うべきなのか迷った末に曖昧な返事をしたリズは苦笑する。


「お給金はいつも通り月末で構わないかな?」

「はい、もちろんです」

「若いのに偉いねえ。こんなにしっかり働いてるんだから」


 いいえ、とリズは首を横に振る。


 リズはベルモットの名を借りてはいるものの居候の身だ。自分の食い扶持を稼ぐのは当たり前のこと。

 確かにベルモット家は裕福だが命を助けてもらった上に養ってもらうなんてそこまで図々しくはなれない。本来ならば家の手伝いをすべきなのだろうが掃除や洗濯は全て雇ったメイドたちがやってくれるし、食事はイズラが趣味で作っているのでリズが役に立つ隙がなかった。


 しかしお嬢様育ちのリズには唯一の特技がある。それが勉学に優れているということ。

 特に語学では古語から西側で公用語となっているベイゼイ語から東の果てのトゥルグ語まで堪能だったため、フレッドの取引先であるオズモンド出版から依頼を受けて翻訳の仕事を貰えるようになった。人見知りのリズにとってはこの上ない有難い仕事だ。


「こんなに語学が堪能なお嬢さんがいたなんて、ベルモット家も鼻高々だろう。

そうそう、昨日の仮面パーティーは楽しかったかい?」


 リズはビクリと小さく震えたが力なく笑って頷いた。


「はい、チケットをありがとうございました」

「うちは皆そういうの行きたがらないからねえ。リズちゃんが楽しんでくれたなら良かったよ」

「お料理が・・・美味しかったです」


 チケットを貰った以上、どんなに苦しくても社交辞令は必要だ。オズモッドに罪はない。


「ははは!そうかそうか!

―――あ、そういえば話は変わるんだが」


 思い出した、と言わんばかりに切り出したオズモンドが真剣な表情になり、真面目な話だと察したリズは固く口を閉ざして一語一句聞き漏らすまいと聞き耳を立ててる。


「城から語学に通じた若者はいないかと訊かれてね、リズちゃんを推薦しておいたよ」

「え、えっ・・・城?」


 それはなんとも不穏な単語。リズは途端に眉間に皺を寄せて半歩後退る。


「そうそう。隣国から留学に来た王女・・・・ほら、名前何て言ったかな・・・、そうだ、エレノア王女が教わるならどうしても歳が近い者がいいんだと」

「そんな・・・私には無理です」


 強く拒否したのは人に教える自信がないからではなく、城へ行くわけにはいかなかったから。リズは名前を奪われたとは言えどハーバート・フリーデンの娘、それは血筋的に王位継承権を主張する相当の理由を持っているということだ。

 表向きリズはあの事件で死んだことになっているが、もし生きているということを誰かに知られたら・・・・。


「無理です、私は行きません」


 リズにしては珍しいほどきっぱりと拒否したが、オズモンドは謙遜していると思っているらしく大きな声で朗らかに笑う。


「リズちゃんなら大丈夫だって!なんてったって給金はすんげえいいんだ。行って損はない。

それにその可愛い顔で貴族の坊ちゃんに見初められる・・・ってもあり得るんだぞ」


 いいなあ玉の輿、だなんて呑気なオズモンド。彼はリズが全身から血の気を引かせて動揺しているとは思いもせず、話をどんどん先へと進めていく。


「ミタニア王国の王女といえば陛下の婚姻相手の第一候補だぜ?媚び売っておくに越したことはない。歳も近いから仲良くなるチャンスだ。庶民じゃこんな幸運、滅多に巡ってこないぞ。

まあまだ決まったわけじゃないけどなあ」


 今にも鼻歌を歌いだしそうな声色にリズは引き攣った精一杯の笑顔で頭を下げる。震える手は拳を握って誤魔化した。


「それでは今日は失礼します。・・・また仕事があったらよろしくお願いします」

「はいよ、ご苦労さん。フレッドによろしくな」

「はい」


 リズは踵を返すと一目散に外へ飛び出した。


 城に行くという最悪な想像をしてしまい、何度も深い呼吸を繰り返して自分を落ち着かせる。

 リズの身空では城に出向くなんてとんでもなく恐ろしいことだ。もしハーバート・フリーデンの娘だとバレたら今度こそ命はないかもしれない。―――それに、城には当然あの人(・・・)がいる。


 昨夜のキスを思い出したリズは体がカッと熱くなって両手で顔を抑えた。想うことすら許されない相手だというのに体は言うことを聞いてくれない。口づけた時の感覚や肌の熱さを鮮明に思い出して、もう一度、とあの時の快楽を求めてしまっているのだから。


 「最っ低だわ」と心の中で自分自身を罵ったリズは、早く忘れなければと頭を振って街道を歩き出した。














 鬱々としながら一冊だけ本を買って家へ戻ると、昼食の準備を始めたイルダが奥のキッチンから顔だけ出してリズに声をかけた。


「手紙が届いてたわよ。ダイニングテーブルに置いてあるから」

「はい、ありがとうございます」


 リズは“手紙”と聞くなりソワソワしながらテーブルへ向かい、ぽつんと置いてあった白い手紙を素早く手に取った。黒い封蝋に描かれた薔薇は文通相手のもの。色々あってささくれていた心を少しだけ溶かしてくれる感覚にリズはじんわりと笑みを深めていく。


 買ってきた本よりも手紙の方が待ちきれない。リズは階段を駆け上がって部屋の扉を閉めると、本をベットの上へ投げてすぐに手紙を開封した。

 味気ない真っ白の羊皮紙(ヴェラン)に書かれてあるのは一点の癖もない完璧で美しい文字。もはや芸術と呼べるほどの美しさにうっとりしつつ、リズはさっそく内容を知るために文字を目で追い始めた。


『来月は君の誕生日だね。もうすぐ17歳になる君はどんなに綺麗になっているだろうかと想像しています。近くで祝えないのが残念でならないよ。

だけど一番はよくここまで大きく無事に育ってくれた、そのことに感謝しよう。事情があって僕の名を明かせないことを許して欲しい。遠くから君の誕生日が素晴らしい一日になることを祈っています』


 短い文だったが50回、いや、100回は読み返す。


 宛名はなく黒い薔薇しか手掛かりのない手紙は、両親を亡くしてベルモット家に落ち着いた後、ある日突然リズ宛に送られて来た。普通ならば知らない人間から、しかも身分を隠してこの家にやって来たリズに手紙が来るなど警戒するべきなのだろうが、リズはこの黒薔薇の紋様に一人だけ思い当たる人物が居た。


 うんと幼い頃の話、リズは一度だけ城で催されるキングズガーデンでの祝賀会に参加させてもらったことがある。

 夜に松明を焚きながら行われる賑やかなパーティーは楽しく、初めて城に来たこともあってリズは興奮してしまい、お目付け役の監視の目をすり抜けて庭を探検し始めた。迷路のような大きな庭にわくわくしていたのも最初だけ、暗くて怖くなってしまい動けなくなった時、一人の男の子がやって来てリズの前に立った。

 泣きじゃくるリズに男の子は慰めるつもりだったのだろう、傍にあった低木から黒い薔薇をもぎ取って差し出してきた。幼いリズは差し出された黒薔薇をそっと受け取れば、大きな棘が手に刺さり指からじんわりと滲み出るのは鮮血。

 男の子は大慌ての様子でリズから薔薇を取り返そうとしたが、リズは固く握りしめ頑として手放そうとしなかった。多少の怪我や痛みなんてどうでもいい。初めて男の子に花を貰って嬉しかったから、その大切な"初めての花"を手放したくなかったのだ。


 その後、彼はリズを両親の元まで無事に送り届けてくれた。暗闇の中で迷い絶望していたリズにとって彼は救世主。優しくて紳士的で素敵な男の子はたった一度しか出会えなかったけれどもリズの初恋の人となった。


 その淡い初恋の思い出から黒い薔薇はリズが一番好きな花だ。幼くて男の子の顔は忘れてしまったけれど、黒い薔薇を貰ったことはよく覚えている。キングズガーデンに入れるということはあの時の男の子は貴族の出自なのだろう。家族を失ったリズがベルモット家に身を寄せたことを秘密裏に知っていてもおかしくない。


 そして彼は両親を失って落ち込むリズを慰めるために手紙を書き、今までずっと励まし続けてくれた。宛名がないのでリズから手紙を出すことはできないと思いきや、ある日思い立って“黒薔薇の御方”と書いて出した手紙は何故か本人に届いたらしい。次に送られて来た手紙には『手紙を受け取ったよ』と書かれてあって仰天したものだ。


 配達人が便宜を図ったのか―――それにしても何故“黒薔薇の御方”で通じるのかリズにはさっぱりわからなかったが―――手紙がちゃんと届いたのだからどうでもいい。それ以来リズはずっと名前の知らない人と文通をしている。


 両親を亡くし苦労はしたが、淡い初恋の思い出と自分の身を案じて励ましてくれる手紙に支えられて、なけなしの気力を振り絞ってここまで生き延びることができた。彼には感謝しかない。


 リズは机から紙とペンとインクを取り出しさっそく返事を書こうとしたが、すぐに大きな壁にぶち当たってペンを動かせない。


 ―――仮面パーティーでの出来事を書くべきなのだろうか。

 リズは今まで彼に私生活を洗いざらい報告していた。他に話題もなかったし晒して問題になるようなこともなかったからだ。ベルモット家の人々、オズモンドさんや仕事のこと、初めて食べた物や初めて見た物、街で出会った人たち、その全てをリズの文通相手は知っている。


 でも昨夜の仮面パーティーでの出来事を文字に起こすのはあまりにも憚られた。なんて破廉恥な女なんだと思われたらどうしよう。

 リズは嫌な汗をかきつつも、こんな事を誰かに相談するとしたら彼にしかできないので、やはり書くべきなのかと迷い続ける。


 迷いに迷った挙句、リズはあまり過激にならないよう当たり障りのない文章で事を知らせることにした。しかし文字にするとリズが行きずりの男に体を許すような股の緩い女に見えてしまい、実際そうなのだが、できるだけ悪くとらえられないように何度も書き直す。


『先日オズモンドさんにチケットを貰ってチャリティーの仮面パーティーに参加しました。黒のドレスはとても気に入っていたのですがもう着ることはないでしょう。お酒を飲み過ぎて粗相をしてしまいました。知らない男の人とキスをしてしまって・・・今は後悔しかありません。

はしたない女だとお思いでしょうが誓ってこのようなことは初めてです。自分がこんな人間だとは知らずショックを受けています』


 リズは文を書きながらゼフィールの事を思い出すと小さく手が震え出し、自分を落ち着かせるために深く息を吐き出した。

 今はまだ思い出話として人に語れるほど整理できていない。彼に触れた時の興奮と彼がゼフィールだったことを知った時のショックが同時に襲ってくる。


 しかしリズはあえてペンを握って続きを書き始めた。こういうことはかなぐり捨てるように文字に起こして、誰かに聞いてもらって綺麗に忘れるのが賢いだろう。自分の中だけで溜め込み続けるのは精神的に良くない。


『また、知らなかったとはいえ、私を生み育ててくれた両親に対して恩知らずな行為をしてしまいました。あの人は私にとってこの世で最も関わってはならない人であり、想ってはならない人なのに。』


 暗に“あの人”がゼフィールだと示した。貴族でありリズの境遇を知っている彼なら気付くことができるはずだから。


『あなたに話を聞いていただけて嬉しいです。次の手紙には、誕生日の頃には元気になって何でもなかったとあなたに言えるように、少しでも早く忘れられるよう努力しようと思います。』


 これなら誰にでも股を開く淫乱には見えない。パーティーで酔って失敗してしまった、くらいの失敗談として受け取ってもらえるはず。


 何度か読み直して頷くと、リズは手紙を折りたたみ封蝋を持って火を貰うためにキッチンへと向かった。





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