5-1【フランスパンの悲劇】
今日は朝から大忙しだった。エレノアは午前中の授業を全てキャンセルし、厨房に入り浸って料理を作り続ける。もちろん目的はゼフィールに食べてもらうため。そして今日のデートを成功させるためだ。
護衛や付き添いが同伴するので二人きりではないが、城の裏山にある池の畔でランチをするのだからデートと言ってもいいだろう。
「よし、パンはちゃんと焼き上がったようね」
窯から取り出された香ばしい香りのするパンを見て満足そうに頷くエレノア。時間の関係でタネはシェフに用意してもらったが心を込めて成型した。
そしてその成型を手伝ったリズも自分が作ったフランスパンがごく普通の色をしていたので安堵のため息を吐いた。緑色のフランスパンが出来上がったらどうしようかと危惧していたが、ちゃんとエレノアが成型したパンと同じ茶色でとても美味しそうに見えた。いつものように変な煙も上がっていない。
これで焼き上がったパンやパンに挟む具材は全て揃った。
「よし、付け合わせは作ったし、具材の用意もできたし、後はパンに具を挟むだけでできそうね」
バタバタしていたがどうにか出発前には出来上がりそうだと、エレノアは急ピッチで最後の仕上げを行う。
―――ところが、リズは少し冷ましたフランスパンを持ち上げた所で異変に気が付いた。パンを縦に持ったまま固まるリズに、エレノアがロールパンに卵のフィリングを詰めながら不思議そうに訊ねてくる。
「どうしたの、リズ。さっさとスライスしちゃって」
しかしリズはフランスパンを持ったまま動かない。そしてたっぷり間を置いてから、リズはゆっくりと不思議そうに首を傾げた。
「・・・・・・?」
持った感触が他のパンと違う。嫌な予感がしたリズは指でパンをコツコツと叩いた。
コツコツ?
「硬い・・・」
まるで硬い木を指で小突いているかのよう。今度は思いっきり指で潰してみたがビクともせず・・・。
エレノアがはっとしてリズからフランスパンを受け取った。まな板の上に置き、包丁で切り目を入れようとしたが硬過ぎて傷ひとつつかず、これ以上の負担は包丁がやられそうだったため断念した。明らかに包丁より硬い。
「パンなのに!!」
エレノアの絶叫にシェフたちの視線が集まり、リズのパンを見て「ああ、またか」と納得する。リズはどんな簡単な料理も珍品へと変貌させる才能があるので周囲にとってはそんなに驚くことでもなかったらしい。
しかしリズ本人は納得できない。このパンのタネはシェフが作ったため、リズは成型の過程しか手を出していない。形を作っただけなのにどうやったらここまで硬いパンに仕上がるというのか。
「・・・・・まあいいわ。予備のフランスパンを焼いておいて良かったわね」
「すみません・・・」
「いいじゃない。これはこれでなかなか面白いわ。なにかと便利そうだし」
パンは食べるものであって便利なものではない。
エレノアはまるで金属のようにガチガチのフランスパンを振り回して笑った。ここは「食べ物で遊んではいけませんよ」と注意するべきなのか迷ったが、リズはこれを食べ物と呼んでいいのか迷って断念する。この硬さじゃ水に浸した所で食べられる気がしなかったので。
「急ぐわよ、陛下をお待たせするわけにはいかないわ。
―――あ、リズはそっちで待っててね」
これ以上食材を駄目にしたくなかったリズは、エレノアの指示に素直に頷いて厨房の端で大人しく待つことにした。ちょっとだけ切なかった。
「馬!」
エレノアは兵たちが連れて来た大きな軍馬を見て声を上げた。近くで見ると立派な身体をしているので迫力がある。
「はい。裏山まで少し遠いので馬で行くんです」
「へえ!いいわね!」
クロウの言葉にエレノアは満面の笑みで一番先頭にいた黒い馬に手を伸ばす。よく飼いならされていて、黒い馬はエレノアに大人しく撫でられるとフンと荒い鼻息を出した。貫禄があって自信に満ちている様子だ。
「陛下!私この子に乗りたい!」
黒い馬が気に入ったらしく手を挙げてアピールするエレノアに、馬と共にやって来たゼフィールは「好きにすればいい」と興味無さそうに言う。少し機嫌が悪いのはもう標準装備だ。言うまでもなくクロウに無理やり連れてこられたのだろう。
そして無理やり連れてこられたもう一人、リズは馬を見て硬直していた。想像していたよりずっと大きく、この上に今から乗らなくてはならないと思うと顔色を悪くして立ち尽くす。
「よし、この子に決まり!」
エレノアがさっそく馬に乗ろうと鐙に足をかけたところで、ずっと黙り込んでいたリズが声を上げた。
「ひ、姫様・・・、スカートですからお一人で乗られるのは・・・」
横座りなら問題ないが跨るとスカートが捲れて素足が見えてしまう。庶民ならいざ知らずエレノアは高貴な身なのだから素足を他人に見せてはよろしくない。
リズの小言にエレノアはえーっと不満そうな声を上げた。
「ちょっとくらい問題ないわよ。乗馬は慣れてるんだから平気平気」
「でもせっかくですし・・・へ、陛下に乗せていただく・・・とか」
蚊の鳴くような小さな声での提案に、エレノアは目を真ん丸に開いたまま頷いた。
「リズ天才!超天才!」
乗せてもらうならば横座りで問題ないし、何より絵面がデートっぽい。一緒に乗れば当然密着するし距離が近いので会話も弾むはず。
エレノアはゼフィールに向かって大きく手を振る。
「陛下ー!私、陛下の馬に乗せてほしいわ!」
「・・・」
ゼフィール、無言。
知らぬふりをしていたがクロウに睨まれて、ゼフィールは苦虫を噛み潰したような顔をしながらエレノアの選んだ黒いの手綱を取る。ちゃんと相乗りさせてくれるようだ。
リズはほっとしてエレノアにこっそりと耳打ちする。
「良かったですね」
「うん!ありがとう!」
ぎゅーっと首の後ろに手を回して抱きしめられるリズ。若干首が絞めつけられて苦しかったのでリズは困ったように笑うとさり気無くエレノアの腕を離してもらった。
弁当や飲み物、敷物などの準備は整った。そろそろ出発かという時、ドタドタと地響きのような足音を立てながら鎧を身にまとった大男が現れる。
「待たせたなー!行くかー!」
王であるゼフィールに向かって軽い口調で声をかけるその男は、まるで熊のような大きな体躯をしており、顔立ちも野性味のあるいかにもな武人。おそらく鎧の下は筋肉も多いのだろうが脂肪もそれなりに多い。年齢はアンリエッタと同じくらいだろうか、笑うと目尻に大きな皺ができる。
突然現れた人物にエレノアはぽかんと口を開けて訊ねた。
「誰、この人」
「オストールのベン・ウェイレス将軍ですよ。陛下の正式な護衛でもあるんです」
クロウの説明にへえ、と感嘆の声を上げる。
「確かに強そうね!」
「はい、オストールで最も強い男と言われるほどの方なので。まあ少々性格に難はありますが・・・」
「あはは!じゃあ朴念仁の陛下、神経質なリズ、小言の多いクロウさん・・・ここに居るのは性格に難アリばっかりね!」
「ひめさまぁ・・・」
リズはものすごく情けない声を出した。仮にもゼフィールは国王という特別な地位に居る人物、本人の前で難アリは呼ばわりはまずい、と。
しかしエレノアはまったく気にする様子もなく顔の前で手を横に振って笑う。
「大丈夫よ!私が一番問題児よ!」
胸を張って自信満々に言うエレノアに、リズは言ってしまったものは取り消せないかと諦めて口を閉ざした。失礼ではあるがゼフィールはあまり周囲の評価に頓着しない人だから、いちいち他人の悪口に目くじらを立てることもないだろう。実際ゼフィールはエレノアの発言にも特に気にする様子はなかった。
しかし、気にしている人がここに一人。
「難ありとはひでえ言い様じゃねえか、クロウさんよ」
「いつもアンリエッタを怒らせているのはどこの誰でしょうね」
「あれはコミュニケーションだ、こ・みゅ・に・けー・しょ・ん」
「・・・」
相手にするのが面倒なのかクロウは黙って視線をベンから逸らす。ここで議論を続けていてはいつまで経っても出発できない。
「そろそろ昼食時ですから行きましょう」
「そうね!陛下!さっそく乗せて欲しいわ!」
絵本のお姫様のように抱きかかえられて馬に乗せて欲しかったエレノアはゼフィールに両手を広げてアピールするが、嫌だったのかゼフィールはふいっとそっぽを向いて知らぬふりをした。ちぇっとエレノアは唇を尖らせるとひょいっと馬に登って、スカートが捲れないように横向きに座る。
ずいぶん慣れた動作にゼフィールの堅い口が開いた。
「乗れるじゃないか」
「そりゃあ乗れるわよ!そうじゃなくって、こういう時はロマンチックな展開を期待するものでしょう?」
「・・・」
ゼフィールは反論することなく大きなため息を吐くと、エレノアが乗っている黒い馬に自分も乗った。鞍が一人用なので密着してしまい、乗り心地はかなり悪い。ただし、エレノアは大喜びである。
「やったー!近いー!」
思ったことをそのまま口に出すエレノアにリズは頭を抱えて俯いた。ゼフィールの好感を得たいならばもう少しお淑やかにした方が良いと思うのだが、饒舌で裏表のないところは長所でもあるから注意しづらい。
「そこのちっこいお嬢さん、馬は乗れるか?」
ベンがリズの方を向いて言った。
言うほど小さくはないが、ベンに比べたらリズは小動物のようなもの。リズはすぐに首を横に振った。
「ほら、ここに足をかけて」
片手を掴んで支えられると、鐙に足をかけて力を入れる。しかし馬の背はリズの頭と同じくらいの高さがあり、腰を掴んで持ち上げてもらわなければ乗り上げることはできなかった。なんとか鞍に乗ったもののあまりの高さにリズはぎゅっと目を瞑る。
「怖いか?まあ乗馬は慣れだなあ」
「だ、だいじょうぶです・・・」
語気が全然大丈夫じゃなかった。リズを乗せた茶毛の馬はリズの緊張を悟ってか首を横に振り出す。どうどう、とベンが馬の背中を撫でたがあまり落ち着きがない。
「俺が乗ったらお嬢さん潰れそうだしなあ」
リズは一人では乗れないので誰かと相乗りしなければならないが、狭い鞍の上にベンの大きい体はリズが圧迫されてしまう。
名乗りを上げたのはクロウだった。
「私が彼女のお供しますよ」
「それがいいな」
クロウがリズの前に乗ると、ベンも別の馬に乗って手綱を引く。
「さあ、行きましょう!楽しみねえ!」
全員馬に乗った後、エレノアは待ちきれないというように両手拳を天に突き上げて大きな声を出した。





