3-7
「陛下っ!」
お茶会の準備が整ったところで、会議室へやってきた一行にエレノアは破顔して黄色い声を上げた。
「・・・なんだこれは」
部屋の中へ入って早々、おしゃれに飾り付けられたテーブルを見てゼフィールは顔をしかめる。そして部屋へ入って来たもう一人、クロウが淡々と言った。
「ええ、ですから会議です」
「どこがだ」
会計監査に関する報告と会議があると聞かされてここまでやって来たゼフィールは、美味しそうな香りを出しているテーブルと部屋の中に居るエレノアを見てから刺し殺さんばかりの視線でクロウを睨みつける。明らかに彼は怒っていたが、エレノアは怯える様子もなくニコニコしながら言った。
「ごめんなさい、陛下。私が侍女に頼んで陛下をここまで呼んだのよ。それより見て見て、この料理!私が作ったの!」
部屋に入れないなら逆に来てもらえばいい。逆転の発想で見事に呼び寄せることに成功し、じゃーん!と両手を広げて努力の結晶を披露するエレノア。ゼフィールは途端、踵を返して部屋の外に出ようとしたがクロウが足で扉を蹴って閉めたため出口は無くなった。
「貴様、行儀が悪いぞ」
「なんのことです?それより会議です。席に座ってください」
しれっと言うクロウ。
ゼフィールは殺気立っても譲らないクロウに諦めたのかため息を吐いて大人しく席に座る。さっさと食べ終えるのがここから出る一番の近道だと悟ったらしい。
「このパイ私が焼いたの!生地も作ったんだから!」
「・・・毒味は」
「さっき私が味見したから大丈夫!あーんしてあげましょうか?」
ゼフィールはエレノアから奪うようにフォークを受け取るとガツガツ食べ始めた。
傍から見てもやけくそだと分かる。
一方。
(どどどどどどどどどうしようっ・・・・)
リズは入り口近くの壁に背を張り付けたまま動けなくなっていた。俯いて顔を隠すが限界があり、尋常じゃない冷や汗が全身を伝う。恐怖のあまり指先は痺れて息も苦しい。
唯一の出口である扉はクロウが足で開かないように押さえていた。もしここから逃げるならば彼を押しのけて扉を開けなければならないが、それではあまりにも不自然に思われてしまう。顔を見られるのは避けたい。しかしそれ以上に不審な行動をとって目立つのはもっと避けたい。
騙された、とリズはエレノアに罪を擦り付けた。お茶会だと聞いていたからエレノアと二人きりで喋りながら食べるだけだと思っていたのに、まさかリズがお花を摘みに行っている間にゼフィールを呼んでしまうとは。今までのことを考えるとよくここまでできたなと驚いたが、アンリエッタが協力すれば不可能な事でもなかった。迂闊だ。
「ねえねえ、どう?美味しい?」
「・・・・・」
ゼフィールは眉間に皺を寄せたまま無言で食べ進める。返事はなかったが食べる所を見られたのでエレノアは本望だ。
「・・・なんだこれは」
そしてとうとう、ゼフィールの興味が不思議な緑色をしたクッキーへと向かってしまった。リズは心の中で悲鳴を上げる。
ああ、とエレノアは笑みを深めて口を開いた。
「リズが作ったの!すごいでしょ!?」
「・・・緑?」
「そうなの。不思議でしょう?謎味なのよ」
あのゼフィールとエレノアが会話できている。奇跡だ。
リズはエレノアを応援する身として喜びたいところだが、自分がそれどころではない上に、話題が自分の失敗作だったので全く喜べなかった。
ひょいっと持ち上げられてゼフィールの口の中へと消える緑色クッキー。
「陛下!毒味!毒味!」
焦った様子でクロウが叫ぶ。
「毒味は大丈夫よ、さっき私とリズが食べたけどなんともなかったもの。死ぬほどまずかったけど」
己の料理下手を晒されたリズは泣きたかったが注目を集めたくなくて我慢した。
ゼフィールは咀嚼して飲み込むと再びパクリと新たなクッキーを口の中へ放り込む。
「え!?大丈夫!?」
2つ目にいくとは思わなかったエレノアは仰天する。味見でひとつ食べたら十分褒められるほどの出来なのに、と。
作ったリズには失礼だが実際に食べてそのクッキーのまずさは熟知している。
「普通に美味いが?」
「うそー、あまりのまずさにリズったら吐き出してたわよ?」
ちょっと引いている様子のエレノア。しかしゼフィールはまるで普通の食事をしているかのように手をひっきりなしに動かしていた。
気になったのか、クロウも恐る恐るクッキーに手を伸ばして一口齧る。
「・・・・・・おえっ」
そう、これが正常な反応である。
クロウは食べかけのクッキーをさり気無くテーブルへ戻すと、地獄から這い上がってきたかのような声を出した。
「・・・陛下、やめてください、これは食べ物ではありません」
「作ってもらったものに対して失礼な」
「あなたさっき一口も食べず逃げようとしていましたよね?」
ゼフィールは無視して食べ続け、パイの乗っていた3つの皿のひとつを平らげ、さらにはクッキーもひと皿分食べ尽くした。
みんなの心はひとつ。
(((味覚死んでるのかな・・・)))
「食べたぞ」
「陛下、気付いて下さい。作った本人がドン引きしているのに気づいて下さい」
リズは壁に背を張り付けたまま、俯いて顔を隠すのも忘れて頬の筋肉を引き攣らせていた。どう見てもドン引きしてる様子である。
「別に、普通に美味かった」
「ああ・・・そうですか・・・」
よかったですね、と力なく言うクロウ。
最後に紅茶を一気に飲むとゼフィールは立ち上がった。部屋を出て行くつもりらしいと気づいたリズは壁に背を向けたままカニ歩きで扉と逆方向へと逃げる。
「あ、待ってー!お茶のおかわりはどう!?」
「いらん」
「えー!?もっとお話したいのに!」
ゼフィールに付き纏って共に部屋から出て行くエレノア。
ひとり、ほとんど空になった皿と共に取り残されたリズは、丸くした目をぱちぱちさせた。
(・・・バレなかった)
そう、狭い部屋で顔を見られたのに、仮面パーティーで会った女だと気づかれなかった。あの時は顔の上半分が隠れて雰囲気が今と違って見えたからだろうか。一時は気を失いそうなほど緊張していたが、ゼフィールに何も言われなかったのでほっと胸を撫で下ろす。
良かった、顔を見られても大丈夫だ。
リズの不安の一つが払拭され、ここのところずっと張り詰めっぱなしだった気が少し楽になった。
しかし新たな不安も出てきてしまう。リズは空になったクッキーの皿を見て困った顔をした。
ゼフィールがお腹を壊したらどうしよう―――と。
リズが部屋に戻るとテーブルの上に手紙が置いてあり歓喜した。黒い薔薇の封蝋だ。
持って帰って来た本を置くと、さっそく手紙に手を伸ばして封を開ける。リズは手紙を開封する時の期待で膨らむ高揚感が一番好きだった。
ソワソワしながら手紙を開くと、リズは芸術のような美しい文字にうっとりしながら読み始める。
『お城の生活はどうだろうか。不便なことはないかな。なにかあれば侍女に言うといい、きっと力になってくれるからね。
教師の仕事も、最初は上手く行かないかもしれないけれど気に病まないで、リズらしくやればいいんだよ。きっとこれから先に生かせるいい経験になる』
「経験・・・か」
リズは何度も読み返しながら呟いた。否応が無しに決められてしまった城勤めも、リズにとってはいい経験なのかもしれない。特にエレノアは予想外の行動をするからリズにとっては毎日が新鮮だ。怖い思いもたくさんしたが、逆に新しい発見もあった。
リズは机に座ると紙を取り出し、ペンにインクを浸して書き出す。
『エレノア王女殿下はとても活発で良い方です。お勉強にはあまり興味を示して下さいませんが、行動力がありいつも前向きな彼女を見ていると、情けない自分が叱咤される思いです。』
リズは何度か宙を見ながら続きを考える。書くのはエレノアがゼフィールと結婚するために頑張っていること、それを応援するために手紙を書くのを手伝ったこと、そして作ったクッキーが死ぬほどまずかったのに何故かゼフィールは普通に食べていたこと。
まだお城に来て一週間なのに書くことがたくさんある。もしかしたら意外と楽しんでしまっているのかもしれない。
「経験、そうよね・・・」
エレノアの影響だろうか。以前よりも前向きになれた気がするのは。
リズは小さく微笑むと、エレノアと一緒に待ち伏せしたことも書き加えようとペンを握り直した。





