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3-6



 アンリエッタはしばらく考えた後、ゆっくりと口を開いた。


「そうねえ、入るのは無理だねえ。居城は限られた人しか出入りできないんだよ」

「侍女の服着たら紛れ込めない?」


 エレノアは譲らない。ここで諦めたら次にゼフィールに会う機会は訪れないかもしれないのだから。


「紛れ込んだら私の首が飛んじまうよ。何年か前に同じようなことがあってね・・・」


 彼女は昔を思い出しながら、遠い目をしてぽつりぽつりと話し始めた


「夜間、陛下の部屋に裸の女性が忍び込んだことがあってねえ」


 エレノアとリズは顔を見合わせる。夜這い作戦、一度は2人の間で話題になったことのある手段だが、まさか先駆者が居たとは。


「陛下は足で蹴って追い返した上に、手引きした衛兵を全員首にしちまったんだよ。忍び込んだ子は貴族のお嬢さんで身元もしっかりして危険はなかったのに、そりゃもう容赦なく」


 エレノアとリズは同時に同じことを考えていた。―――夜這い、やらなくてよかった。


 アンリエッタは口を大きく開けて笑う。


「ほら、あの方、女性嫌いっていうか、人間不信なとこあるだろう?

ほとんど口を開かないし、近寄れるのは信頼できる限られたごく一部の人たちだけ」


 ゼフィールが今までエレノアのことを無視していることを考えると、人間不信という言葉はすんなりと納得できた。隣国からやってきた賓客を蔑ろにすることは普通はあり得ない。人間不信もかなり拗らせているとみえる。


「無理やり中に入ればそれ相応の罰を受ける。陛下に近づくのはとても難しいだろうねえ」


 エレノアは大きな大きなため息を吐く。できれば自分が部屋まで運びたかったが、無理に忍び込んで嫌われたら元も子もない。目的はあくまでゼフィールと結婚すること、そのために彼の信頼を勝ち取らなければならないのだ。信頼を損なうような真似は避けなければ。


「わかったわ、部屋まで運ぶのは諦める。でもせっかく作ったんだから陛下が食べるところを見たいのよね」


 そうこうしているうちに、焼き上がったパイがお皿に上がった。香ばしい匂いに目が覚めるような思いで覗き込む。


「すごい!綺麗に焼けてるじゃない!」


 エレノアの賛辞にシェフは得意顔。続いてリズの作ったクッキーも焼き終えて皿の上に乗ったため、エレノアは満面の笑みでそれを覗き込む。


「わあ!おいしそっ・・・・・・・・おい・・・・・・・・・・・・・・・・・・お・・・・・・・・・・・・・・・」


 厨房に居る全員の目が点になった。―――何故かクッキーは緑色で、茶と紫の混じりあったような微妙な色の煙をあげている。


「・・・リズったら何を入れたの?茶葉?」


 首を傾げて不思議そうに見入るエレノア。リズもなんだこれは、と眉間に皺を寄せてエレノアの横からクッキーに見入る。


「いえ・・・なにも・・・」


 しかし茶葉や野菜でも入れなければクッキーが緑色になるなんてあり得ない。作る工程を全て見ていたシェフたちも皆で不思議そうに首を傾げた。


 エレノアは鼻を近づけてくんくんと匂いを嗅ぐ。


「匂いは普通なのにねえ・・・」


 そして彼女は一枚手に取ると、パクッとなんの躊躇もなく口の中に放り込んだ。得体の知れない緑色のクッキーを食べたエレノアに製作者であるリズは声にならない悲鳴を上げる。


「ひ、姫様―――っ!」

「・・・・・・・・・・・・」


 エレノアは無言のまま咀嚼して飲み込むと、口に手を当ててピクリとも動かなくなった。かろうじて吐き出してはいないものの、どう見ても美味しそうなリアクションではない。


 リズも製作者としての責任を感じ、一番小さなものを恐る恐る口に入れる。そして一気に口の中に広がった謎の味にリズの表情が死んだ。

 皆が固唾を飲んで見守る中、味覚のショックから立ち直ったエレノアは控えめに、しかしながら詳細に語り始める。


「こう・・・薬草を煮詰めたような、苦みの中に酸味が混じってて、奥にほんのりと砂糖と小麦粉の味が・・・・。後から追いかけるようにまた苦みがやってきていつまでも口の中に味が残ってて、何にも例えられない初めての味だわ」


 一方クッキーを食べたもう一人、リズは感想も言えずに口を両手で抑えて蹲った。砂糖と塩を間違えたってレベルじゃない。


「まあまあ、誰にだって失敗はあるさ」


 慰めるアンリエッタだが、慰められて元気を取り戻すようなレべルでもなかった。重症である。


 緑の瞳に涙を浮かべて今にも死に絶えそうな声を上げるリズ。


「す、すみません・・・食材を無駄にして・・・」

「いいえ、お気になさらず」


 調理の邪魔をした上に食材を台無しにしてもシェフたちは優しかった。一生懸命作ったのにこの出来なのでリズがあまりにも可哀そうに思ったからだ。緑色の目に涙を浮かべている姿も同情心を誘ったのだろう、リズを見る皆の視線はとても哀れんでいた。


「お、お花を摘みに行ってきます・・・」


 リズは俯いたままパタパタと早足で厨房を出て行く。


 (((そんなに酷いのか・・・)))


 やはりそんなリズの背中を見守る視線は、どこまでも哀れみを含んでいた。
















 リズは嫌な予感がしていた。このままエレノアのペースに巻き込まれたらまたゼフィールと出会ってしまいかねない。


 授業の時間はもう過ぎたのだから、と自分に言い訳をしてリズは私室に戻るべく廊下を歩いていた。もちろん、人目につかないようにコソコソと。

 厨房に置いて来たクッキーやエレノアに罪悪感で胸は痛むが背に腹は代えられない。アンリエッタも居ることだし彼女なら上手くやるだろう。そしてきっと明日の授業の時間にどうなったか話してくれるはず。


 だから今日はこのまま帰って明日の準備を―――


「リズー!リズー!こっちこっち!」


 させてもらえそうになかった。


 一階の奥の廊下から顔を出したエレノアがリズに向かって大きく手を振る。あれだけ大声を出されたら聞こえないフリをして無視することはできなかった。


「あの・・・どうかなさいましたか?」

「お茶会しましょ!今準備できたのよ!」


 エレノアは本の間の近くにある小さな会議室を借りたらしい。紅茶を淹れたのだろうか、とても良い香りが廊下の奥まで漂っていた。


 お茶ならば、と誘われたら断りきれないリズはすごすごとエレノアの元へ向かう。

 室内は会議室らしく大きなテーブルがほとんどの面積を占めており、上には先ほど作ったパイや問題の緑色クッキーも並べられていた。そして香りを漂わせていた紅茶もちゃんとセッティングしてある。


「捨てて良かったのに・・・」


 ペーパーナプキンやランチョンマットで彩られたテーブルの中、ひとつだけ異様な雰囲気を漂わせている緑色クッキーにポツリと呟かれたのは本音。あの味は思い出したくない、見るだけでも辛くなってしまう。


「もったいないじゃない、せっかく作ったんだから」

「でも食べられませんし・・・」

「いいのいいの、形だけでも。それに緑が差し色になってテーブルが鮮やかでしょ?本当は庭からお花を貰って飾りたかったのだけど時間が無かったからちょうどいいわ」


 ケラケラと笑いながら言うエレノアにリズはもう反論する気力がない。


 さあ、紅茶とお茶請けが揃ったことだしこれから座ってお茶を・・・―――という時、ゾロゾロと部屋に入って来た一行にリズは石のように硬直して動かなくなってしまった。






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