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リズはまたゼフィールに鉢合わせたらと思うと怖くてまともに出歩けず、あれからしばらく自室に引きこもっていた。
しかし、エレノアの授業だけはサボることができず、リズは廊下の壁に背を預けながら横歩きで授業へ向かわなければならなかった。さながら害虫のようでお行儀が悪いが、警戒しているリズには勇気を振り絞ってもこれが精一杯。
今日は巻き込まれませんように。扉の前でひとつ祈ると、意を決してドアノブに手をかけた。
「ごきげんよう、姫様」
「あら、ごきげんようだなんて、どこかの貴族令嬢みたいね」
あなたは王女なんですけどね、とリズは苦笑しながら後ろ手で扉を閉めるとエレノアの隣に座る。
「それより昨日見た!?陛下見た!?」
リズは小刻みに首を横に振る。
エレノアは夢見る少女のように目をキラキラさせながら身を乗り出して語り出した。
「もうっ、勿体ない!すっごくかっこよかったのよ!?」
「すみません・・・お二人の邪魔をしたくなかったので・・・」
「リズも見ればよかったのに!噂で聞いてたよりもっと綺麗なお顔立ちで、凛々しいというよりもセクシーなの!セクシー!」
はあ、と圧に押されて頷く。聞こえていた限りではあまり相手にしてもらえなかったようだが、それでもエレノアはゼフィールに会えて満足そうだ。
「何かお話できましたか?」
「ううん」
あっけらかん、と首を横に振るエレノア。
「最初っから最後まで無言だったわ。隣に居た男の人はペラペラ何か喋ってたけど」
「無視ですか・・・」
手紙の淡泊過ぎる文から受け取れるイメージはそのまま当たっていたようだ。実際、エレノアは必死に話しかけ続けたが何も返事がなかった。
「でもセクシーだった!綺麗なだけじゃなくて兵士みたいな男臭さもいい感じにあって!」
「あの・・・良かったですね・・・」
それでもエレノアが喜んでいるのだからここは良しとすべきか。リズは苦笑しながらうんうんと頷く。
返事をしないなんてかなり失礼な話だが、とにかくエレノアとゼフィールの関係が壊れなかったのでリズは安堵していた。もしここで妃候補として有力なエレノアにそっぽを向かれたらエレノアが未来の妃になる可能性を潰してしまうこともあり得た。そんなことになったらリズはオストール全市民に対してなんとお詫びすればよいのか。
まあ、最も原因があるのは無視したゼフィール自身なのだが、結果的に待ち伏せを勧めてしまい、予想外の鉢合わせをさせてしまったリズが責任を感じてしまうのも仕方がないこと。
リズの共感に気を良くしたのかエレノアは勢いよく喋り始めた。
「朴念仁は好みじゃないけどあの容姿なら全然アリだわー。他の欠点全て許せちゃう」
「そう・・・ですか?」
ゼフィールの無関心は欠点というレベルではない気がするが、エレノア的には容姿で全て許せてしまうらしい。リズはゼフィールとエレノアが並んでいる姿を想像したが、一方的に話かけるエレノアと無視し続けるゼフィールという、なかなか鬼畜な場面しか思い浮かばなかった。あれが毎日続くのは地獄だ。
改めてエレノアの精神力に感心する。もしリズが無視されたら・・・それが名前の知らない赤の他人だとしても、ショックをしばらく引きずってしまうだろう。そして自分が何か失礼なことをしたのでは、無視された原因は自分にあるのでは、と部屋に引きこもって悩むはずだ。
しかしエレノアはゼフィールに無視され続けても諦めることなく先へ先へと関係を進めようとしている。すごく肝が据わっていて強い、鬼のようなメンタルの持ち主。
「それでね、あれから考えたんだけど!」
エレノアは突然話を切り出す。
「何をですか?」
「何をって、陛下を落とす方法よ!」
ああ、とリズは納得して頷いた。本人が前向きに頑張っている以上、リズは応援する他ない。また昨日のように巻き込まれるのは絶対に御免だが。
「やっぱり男を落とすなら胃袋を掴まなきゃね!」
「胃袋・・・?」
「そうよ!美味しいもの食べさせて胃袋の心を掌握するのよ!」
胃袋の心?と疑問に思ったが口には出さず頷き続ける。作ったところであのゼフィールが食べてくれるか疑問だったが、こちらもエレノアのやる気に圧されて口に出せなかった。
「世界の平和は食卓から!これ、常識よ!」
「はい・・・、頑張ってくださいね」
まあ、待ち伏せするよりいくらか平和か。とリズは呑気にしていたが
「何言ってんの、リズも一緒に作るのよ!さあ、厨房へゴー!」
この人はどうしてもリズを巻き込まなければ気が済まないようだ。
城の厨房は城全体の大きさから考えるとリズが想像していたよりも狭かった。立派な竈が奥一列に並び、中央には大きな調理台。厨房最奥にある扉は食材を保管する地下倉庫へと繋がっており、地下へ持っていくためのランタンが壁にかけてあった。
「よし!やるわよ!」
気合を入れて袖を捲るエレノア。壁に一列にならんだ城お抱えのシェフたちは緊張した面持ちで見守っており、食事の準備の邪魔をして申し訳ないとリズは何度も頭を下げる。エレノアが使用するため狭い厨房はエレノアの占拠状態、もちろん彼らは仕事をすることできない。そして断ることも。
「私はパイを作ろうかしら。リズは、そうね・・・クッキーを焼いてちょうだい」
さっそく調理台へ用意された製菓の材料を測りはじめるエレノア。クッキーを焼けと言われても何をすればよいかわからないリズはおろおろして泣きそうな声を出す。
「姫様、私、料理したことなくて・・・」
「あら、いい機会じゃない。せっかくプロがいるんだもの、教えてもらえばいいわ」
「でも・・・」
知らない人から教えを乞い、経験したことのない料理をするのはリズにとってとても高いハードルだ。「教えてください」というたった一言すら言えない。
おろおろしながら右往左往するリズの頼りない姿に、周囲の人たちは心配そうに眉尻を下げて見守る。
そして手を貸さずにはいられなかったのだろう、一番近くに居たシェフが自ら声をかけてくれた。
「あの、私でよろしければお手伝いを」
「あっ、は、はい、よろしくお願いします・・・」
頬を赤く染め瞳をうるうるさせて、消えそうなくらい小さな声を出すリズ。既にエレノアは卵と泡だて器を手に持っている。
リズはシェフが教えてくれた通りに材料の量を測り、混ぜて、型をとる。慣れないため粉が飛んで少々服を汚してしまったが、その他は順調に工程を進めることができた。そして一番難しい焼きの工程はエレノアもリズもシェフに任せた。素人に火の加減は難しいし、万が一エレノアが火傷を負ったらシェフの首が飛ぶので致し方ない。
「あーん、ちょっとパイ生地が不格好なのよね・・・」
徐々に焦げ目がつきはじめたキノコのパイを見ながらエレノアは頬を膨らませる。本人は不服そうだが、何度も生地を伸ばしては織り込む、という職人顔負けの派手なパイ生地作りは見事だった。リズは不満そうに言うエレノアを心から励ます。
「とても綺麗にできていますよ。すごいです」
「ほんと?陛下食べてくれるかしら・・・」
「・・・そうですね」
料理はとても美味しそうだ。問題ない。しかし果たしてゼフィールが口にしてくれるかどうか。
「あらまー、珍しいこともあるもんねえ。それにしてもいい匂いだこと。美味しそうじゃない」
話しながら厨房に入って来た女性は侍女の服を着ていた。そしてリズは気づいてしまった、もうすぐお茶の時間だ。
さーっと顔色を無くすリズ。エレノアたちが占拠してしまったせいでシェフたちはお茶の時間に出すはずの料理を作ることができなかったのだから。
「すみませんっ、私たちが厨房をお借りしていて・・・!」
「そうかいそうかい!まあいいじゃないか、美味しそうなものが出来てるみたいだし」
リズは顔を上げると目を細めて優しそうに言う侍女がアンリエッタだということに気付いた。彼女は陛下付きの侍女、会うのは初日以来だ。
白髪交じりの茶髪に黒の侍女服を着た彼女は大きな声で笑う。
「陛下はあまりお茶の時間は物をお召し上がりにならないからねえ。飲み物だけでも問題ないよ」
「あっ、ちょっと待って!」
エレノアがずいずいと身を乗り出してくる。
「陛下のお茶の時間に私の作ったお菓子を出したいの!協力してもらえない!?」
「そりゃ微笑ましいこと。召し上がるかどうかはわからないけど、出すくらいなら問題ないよ」
やったー!とエレノアは両手拳を天に突き上げて喜ぶ。どうやって食べてもらうか悩んでいたので、陛下付きの侍女であるアンリエッタに協力してもらえるのはとてもラッキーだ。
「そうだわ。私たちも陛下の部屋に入れてもらえないかしら」
「部屋に!?」
名案が閃いた!と目を輝かせるエレノアにリズはぎょっとする。なんてことを言い出すのか、と。
「そうよ、侍女の代わりに私が食事を運べばいいんだわ!そしたら陛下が食べるところを見られるし、感想も聞けるし、話も弾むかもっ!」
既に空想の世界に入りきっているエレノアに顔を真っ青にしているリズは視界へ入らない。アンリエッタは「んーっ」としばらく考え込む。
「どうかねえ・・・」
「お願いお願いおねがーい!どうしても陛下に会いたいのよ!そのために留学してきたんだもの!」
エレノアは手を合わせると摩擦で火が起きそうなほど必死にスリスリした。





